第24話 ぶらぶら
二十代後半の
内本さんが店にきてくれたのはずいぶん久しぶりのことで、顧客リスト的なものを確認してみると約九ヶ月ぶりだった。
「お久しぶりですね」
僕が会釈をしもって挨拶すると、内本さんも会釈を返してくれた。
「ご無沙汰してます」
そんなやりとりのあと、僕はさっそく店の仕事に取りかかった。それにちょうど一区切りがついたとき、内本さんが興味深い話をしてくれた。
「小学五年生のときの話なんですけどね、通学路の途中に大きな家があったんです」
それはオレンジ色の屋根が目を引く
「人がたくさん住んでいた時期もあったらしいんですけど、その頃は五十歳くらいの男の人がひとりで住んでいました」
「大きな家にひとりなんて、それは贅沢ですねえ」
「はい、明らかにお金持ちの家って感じでした。そういえば、そこに住んでいた人の苗字は未だに知りませんけど、当時の僕らはその家のことを犬屋敷って呼んでました」
「犬屋敷……?」
内本さんはうなずきながら説明した。
「大きな犬が二匹いたからです。たぶん土佐犬でしょうね。茶色のいかつい犬です」
その犬たちは庭に放されているときもあって、内本さんたちが家の前を通ると、牙を剥きだしにして吠えてきたそうだ。
「でも、一度配達の人が襲われそうになったとかで、それからは犬を庭に放さないようにしたみたいです。だから僕たちは吠えられなくなりましたけど、家の中で吠えてる声はしょっちゅう聞こえてました。とにかくめちゃくちゃ凶暴な犬ですから、さっき言った五十歳くらいの男の人にも、何度か噛みついたことがあったらしいんです」
「飼い主さんにまで噛みついたってことですか?」
「そうです。飼い主をガブっと」
「マジですか。それはだいぶ凶暴ですね。こわ……」
基本的に犬はしっかり躾けてやれば人間に危害を加えない。犬屋敷のその二匹の犬は充分な躾けがなされていなかったのだろう。
「それで、えーと、あれは確か……」内本さんは考える顔をした。「夏休みが終わってすぐの頃だったと思います。犬屋敷の二階には縦長の細い窓があったんですけど、家の人がその窓のところを何度も何度も横切っているんです。そのようすが外から見えて……」
内本さんは登校時にそれを見た。また、その日の帰宅時にも窓を横切る人影を見たそうだ。
「でも、実はそれ、窓を横切ってたんじゃなかったんです……」
内本さんは少し間をあけてから言った。
「翌日になってから見つかったんですけど、家の人が窓の近くで首吊り自殺をしてたんです」
詳しくはこうだった。
犬屋敷の主人である五十がらみの男性が、窓の近くで首吊り自殺を図ってそこにぶらさがっていた。外から見えていたのはぶらんぶらんと揺れている男性の死体だったらしく、小学生だった内本さん目にはそれが窓を何度も横切る人影に見えた。
自殺の理由は大人たちに訊いても教えてもらえなかったそうだ。しかし、男性は事業の失敗によって多額の借金を抱えていたと、ずいぶんあとになってからそういう噂を耳にした。
「とにかく、僕がなにげに見ていたのは、窓を横切る人じゃなかったんです。首吊り死体だったんですから、なんだか怖い話でしょう……でも、よく考えてみると、もっと怖いことがあるんです」
「もっと怖いこと?」
内本さんは「はい」とうなずいた。
「さっきも言いましたけど、僕は学校の行き帰りにそれを見てるんです。そのときは窓を横切っていると思っていましたが、本当は窓の近くでぶらんぶらんと揺れているのを……」
僕は内本さんがなにを言わんとしているのか気づいたが、話の骨を折りそうなので黙って話を聞くことにした。
「それって、おかしいですよね? 登校時間は朝の八時くらいで、下校時間は昼の三時くらいです。七時間くらい経っているというのに、行きも帰りも死体はぶらぶらしていたんです」
首を吊ってとうに死んでしまっているというのに、死体はひとりでにぶらんぶらんと揺れていた。内本さんはそう言いたいのだろう。もし、そのとおりだとしたら――
「怖いですね……」
「はい、めちゃくちゃ怖いです。死体がずっとぶらんぶらん揺れてるんですから……」
「ずっと……」
「そうです。ずっとひとりでにぶらんぶらんと……」
それからしばらくして内本さんは帰っていった。僕は内本さんを店先まで見送ったあと、ちょうど休憩の時間だったので、聞いたばかりの話を考え直してみた。
そして、こう思った。
彼の足と身体はどのくらい残っていたのだろうか……
犬屋敷には土佐犬とおぼしき獰猛な犬が二匹いた。あるとき彼らは配達員に襲いかかろうとして、家の中に閉じこめられてしまったが、その後に飼い主に牙を剥くという凶暴さをみせている。
そこまで気性の荒い犬であれば、窓際にぶらさがっていた死体に、なにもしないなんてあり得ない。何度も何度も噛みついたと考えるのが自然だ。死体がぶらんぶらんと揺れ続けていたのもそれが理由だろう。猛犬二匹に幾度となく噛みつかれたために、その弾みでぶらんぶらんと揺れ続けていたのだ。
また、翌日なって発見されるまでずっと、死体は犬の鋭い牙に苛まれ続けていた。ほぼ二十四時間、窓際にぶらさがったままで――
僕は改めて思った。
彼の足と身体はどのくらい残っていたのだろうか。
何度も何度も噛みつかれたであろう彼の足と身体は、いったいどのくらい……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。