第22話 夢十夜(夏目漱石)

◇ ちょっとご挨拶 ◇


 もうすぐ令和元年が終わりますね。でも、なぜか今年は年末感が少ない気がします。ずっと暖かかったからでしょうか。


 それはさておき、年末なので今回は趣向を変えたことをしてみようかと思います。


 夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などなど――文豪と称される方たちたくさんいらっしゃいます。でも、僕はその文士の方たちが書いた作品をほとんど読んだことがありません。芸術性が高すぎて敷居が高いんですよね。


 しかし、そんな僕でも頑張って読んだ作品があります。夏目漱石の『夢十夜』です。十の短編からなる作品で、どれも幻想的ですか、特に『第一夜』が好きです。


 また『夢十夜の第一夜』は『半実話あやし奇譚』に少し似てるんです――なんて言えば、おこがましすぎますが、不思議で幻想的なお話です。今回は年末特別スペシャルとして、その『夢十夜の第一夜』を紹介しようと思います。


 とはいえ、原作をそのままコピペして紹介するのも芸がありませんので、『夢十夜 第一夜』を現代語訳&アレンジして紹介しようと思います。


 脚色を加えると、原作の雰囲気をぶち壊してしまいそうな気もしなくもないですが、そこはかたいことを言わずにご愛嬌ということで。


 ちなみに、原作の得も言われぬアンビアンスを味わいたければ、青空文庫で読みふけってみるのもいいかもしれません。没後五十年を過ぎている夏目漱石の作品は、すべてがパブリックドメインになってますので、無料で読み放題という太っ腹対応になってます。


 それと、年始はいろいろと用事がありまして、カクヨムのチェックはしますが、新話の更新は無理だと思います。年が明けてからの1月6日以降になりそうです。


 ということで、少し早い挨拶になりますが、


 今年は仲良してもらってありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。



◇ 夏目漱石:夢十夜 第一夜 ◇


 夏の終わりに、こんな夢を見た。


 虫たちの奏でる鈴の音が、夜のしじまを震わせている。それを耳の端で聞くともなく聞きながら、自分は腕組みをして枕元に座っていた。すると、そぼ降る雨のような声がすぐ隣りでささやいた。


「私はもうすぐ死にます」


 声につられて隣りに視線を向けると、寝衣姿しんいすがたうるわしい女と目が合った。


 年の頃は二十歳はたち前後だろうか。鼻筋の通った小さな顔を枕にあずけて、みどりなす長い黒髪を畳に広げている。寝衣の胸もとは少し着崩れており、そこにのぞく白い肌には、なまめかしい色香が匂い立っている。


 女の気配は吐息のように儚げだったが、頬や唇に差す色はほんのりと温かかった。とても死が間近にせまっているようには見えない。むしろすこやかなせいを感じる。しかし、本人が死を断じているだから、まもなく女は息を引き取るのだろう。


「そうか、気の毒に。君はじきに死ぬのだな……」


 女は小さく頷いて自分をじっと見つめた。瑞々みずみずしいその眼差しを見返すと、瞳の奥に自分の姿が鮮明に映じている。それをしばらく眺めているうちに、だんだん女の言葉が信じられなくなってきた。この瞳のうるわしい輝きは、そう簡単に失われないはずだ。


 自分は女の顔をのぞきこんで尋ねた。


「君は本当に死ぬのか?」


 しかし、女はなにも返してこなかった。寂しげな目で黙っている。自分は少し意地になって言いつのった。


「君は死んだりしない。絶対に大丈夫だ」


 見知らぬ女だというのに、なぜか死んでほしくなかった。しかし、返ってきたのは否定の言葉だった。


「いいえ、私はもうすぐ死ぬのです。もう諦めております」


 それっきり女が黙りこみ、気まずい沈黙が場を苛める。それに耐えかねた自分は、なんとはなしに尋ねてみた。


「君は私の顔が見えているのだろうか?」


 女は不思議そうに首を傾げたものの、ややしてふっと目尻に笑みを寄せた。


「ちゃんと見えております。そこにいらっしゃるのですから」


 自分は「そうか……」と短く応じて前に向き直った。


 女は自分の死を確信し、なにより覚悟している。これはもう本当に死ぬのだろう。自分も女の死を認めて覚悟した。しかし、なぜ女は死ぬのだろうか。たちの悪いやまいにでも蝕まれているのだろうか。


 腕を組んで考える自分に、女が切実な眼差しを向けた。


「お願いがあります。私が死んださいは、そこ庭に埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちてきた星の欠片を墓石にしてください。それからお墓のそばで待っていてください。また会いにきますから」


 自分は「いつ?」とだけ尋ねた。


「赤い陽が東の空にのぼって、赤い陽のまま西の海に沈みます。また東の空に陽がのぼって、また西の海に陽が沈みます。何度何度も赤い陽が東の空に現れて、赤い陽のまま西の海に消えていきます。そのうち、私はあなたに会いにきます。待っていてくれますか?」


 急ぎの用がない自分は、待ってやろうと思った。首を縦に振ると、女は思いきった口調で「百年待っていてください」と言った。


「お墓のそばに腰をおろして、百年待っていてください。きっと会いにきますから」

「百年だね?」

「ええ、百年です」

「わかった。君を百年間待ち続けよう」


 そう告げるや否や、女の目尻に涙が膨れあがり、瞳に映じていた自分の姿がかき消された。同時に、瞼が幕を引くようにおろされ、ひと筋の涙が頬をつたった。


 自分ははっとして女の顔を覗きこんだ。女はもう事切れていた。


 息を吹き返してくれないだろうか。そう乞うてはみたものの、女の目はいつまで経っても開きそうになかった。やがて、諦めるしかないのだと悟った自分は、女を抱き締めて腰をあげた。まだ温かい身体はとろけるほど柔らかく、なにかよこしまな衝動が腹の奥にふくれあがる。


 自分は一旦腰をおろして、寝床の上に女を寝かせた。着崩れた寝衣を整えてやったあと、もう一度女を抱きあげて庭に向かった。


 月明かり照らされた庭におりると、立派な真珠貝がひとつ落ちていた。自分は真珠貝を拾いあげて、土をすくいはじめた。月光に差された貝の裏側が七色の光彩を放ち、湿った土の匂いがふわりと立ちのぼった。


 ものの数分で充分な穴が掘れた。また着崩れてしまった寝衣を整え、女の身体を穴の底に寝かせた。柔らかい土を少しずつかけているあいだも、真珠貝は七色の輝きを千々に散らす。女の美しい顔に土をかけるさいは、忍びない気分になって手の動きが鈍った。


 星の欠片も庭に落ちていた。欠片といってもずいぶん大きく、角という角が丸くなっている。夜空から落ちてくるあいだに、角が削り取られたかもしれない。そう考えながら星の欠片を抱えあげると、胸と手がほの温かくなった。それは女の身体の温かさに似ていなくもなかった。


 星の欠片を墓の上にそっと置くと、どこからともなく、花のような甘美な香りが流れてきた。だが、周囲を見まわしても花などない。


 女の匂いではないだろうか……


 ふとそういう気がした。


 できあがったばかりの墓の前には、苔が深い緑をびっしりと広げていた。そこに腰をおろすと、仕立てのいい敷物に座したときのように、尻がふかふかとして心地良い。自分は腕組みをして考えた。


 こうして百年待つのだな……。


 丸い墓石をぼんやり見ていると、女のいったとおりに、東の空から陽がのぼってきた。鬼灯ほおずきのように赤い陽だ。それが、また女のいったとおりに、西の海にのったりと沈んだ。自分は、ひとつ、と数えた。


 しばらくして、また赤い陽が東の空に現れた。そして、 赤い陽のままで西の海に沈んだ。今度は、ふたつ、と数えた。


 そうやって、ひとつ、ふたつ、と数えていくうちに、赤い陽をいくつ見たのかわからなくなった。数えても数えても、赤い陽が東の空に現れ、西の海に消えていく。いつしか数えきれなくなっていた。


 女が死んでから、どれほど経ったのかも判然としなかった。とうに百年経ったような気もするし、まだまだ先のような気もする。もし、百年経っていたとすれば、なぜ女は会いにこないのだろうか。もしや女に騙されたのだろうか。


 しかし、時が経つにつれて、なにもかもがどうでもよくなった。あれこれ考えるのが億劫になったのだ。だんだん頭の中が曖昧になり、しまいには自分が何者であるのかも、なぜここにいるのかも忘れてしまった。それでも、この場を離れてはいけないという強い一念だけは、心にずっとこびりついたままだった。


 あるとき、目の前にある苔むした石の下から、青い茎がするりと顔をのぞかせた。それは自分に向かって真っすぐ伸びてくる。みるみるうちに立派に成長して、ちょうど自分の胸のあたりで止まった。


 茎の先には一輪の細長いつぼみがついていた。首を傾げるように揺れるそのつぼみは、唐突に可憐な花をふっくらと咲かせた。真っ白な百合の花が放つ匂いは、頭の芯がしびれるほど甘かった。


 空の彼方から落ちたきた露が、百合をこくりこくりと揺らす。自分は顔をそっと差しだして、冷たい露がしたたる花びらに口づけした。気まぐれに辺りを見まわしてみると、白みはじめた東の空に星がひとつ瞬いている。


 自分はあの約束をようやく思いだした。


「……そうか。百年経ったのだな」





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