第18話 【書籍化】ハジメくん

 三十代後半の三浦浩二みうらこうじさんに聞いた話だ。


「ふたつ年上の兄が亡くなったのは僕が五歳のときでした」


 三浦さんのお兄さんは、原因不明の高熱が三日ほど続いた末に亡くなったそうだ。


「その兄にはハジメくんという友達がいたんです。といっても、兄にしか見えない友達なんですけど」

「お兄さんにしか見えない友達?」


 僕が首を傾げて尋ねると、三浦さんはこう答えた。


「ほら、子供って空想の友達を作ったりするじゃないですか。ハジメくんもそれです。空想上のお友達」

「ああ、なるほど。空想上の……」


 子供が作る空想上の友人をイマジナリーフレンドというそうだ。誰もいないところに話しかけていると精神疾患を疑いそうになるが、子供の成長過程において正常な現象らしい。想像力を養うために重要な役割を果たしているという説もあり、幼い子供の二、三割がイマジナリーフレンドを作る。


「両親も別に気にしていなかったみたいですね。子供にはよくあることだって思っていたんでしょう」


 ミニカーを手にしてリビングで遊んでいるときなどに、お兄さんはよく「ハジメくん」と口にしたそうだ。そのときの表情はやけに楽しげだったという。


「原因不明の高熱でうなされているときも、兄はハジメくんの名前を呼んでいました」


 その頃の三浦さんは非常に幼かったが、なんとなく記憶に残っているそうだ。


「でも、たぶん、空想上の友達ではなかったんですよね」

「ん? どういうことです?」

「二年前の正月のことなんですが、嫁を連れて実家に帰ったんです。正月だから親戚もたくさんきていて、六歳の女の子もいました。その子が一階のリビングで人形遊びをしながら、『ハジメくん』って口にしたんです」


 三浦さんはずっとハジメくんのことを忘れていた。女の子が口にしたときに思いだしたくらいだから、その子にハジメくんの話をしていないのは明らかだ。聞けば、三浦さんの両親も言っていないという。にもかかわらず、女の子は『ハジメくん』と口にした。


 たまたまハジメくんという名前が出たというのも否定はできない。だが、人の名前は数多あまたある。たまたまというのは確率的にいって考えにくいだろう。


「ただ、それを聞いたのは僕だけだったんですよね。両親は聞き間違いだろうって言ってました。僕もだんだん聞き間違いだったかもと思って……」


 三浦さんは一呼吸置いて話を続けた。


「でも、聞き間違いじゃなかったんだと思います。女の子が『ハジメくん』と口にときに、対処しておけばもしかしたら……」


 ここで三浦さんは彼のおばあさんの話をした。五年前の冬に原因不明の高熱が出て、熱がさがらないまま亡くなってしまったそうだ。


「祖母は結構な高齢だったので、寿命だろうと思ってました。だから、幼くして亡くなった兄と繋げて考えていなかったんです。でも、祖母もハジメくんを見たのかもしれません」


 三浦さんのおばあさんもハジメくんを見たあとに亡くなった。きっと、そう言いたいのだろう。また、親戚の小さな女の子の話をしている最中に、そんな話をしたということは――


 目を伏せた三浦さんを見て、僕はほとんど確信した。「ハジメくん」と口にしたその女の子がどうなったのかを。

  

 念のために尋ねてみると、確信したとおりだった。


「はい、二年前の夏に亡くなりました」


 お兄さんやおばあさんと同様に、高熱が出て亡くなったそうだ。


 三浦さんは暗い顔でそう続けた。

  

「ハジメくんがなんなのかはわかりません。でも、その子に会うと……」


 口ごもるようにして話は終わった。


 最後に三浦さんの実家のことを書き記しておくが、現状は取り壊されて更地状態になっているという。年季が入りすぎた家屋は耐震性などに不安が出てくるものだ。引っ越しを決意した三浦さんのご両親が、手頃なマンションを購入するのと同時に、長年住んだその家を取り壊した。


 ハジメくんが出没する家はなくなってしまったが、ハジメくんがどうなったのかは誰にもわからない。


 家と一緒に消えてしまったのか、あるいは今もどこかにひっそりと存在しているのか、ハジメくんのその後を知る者はいない――





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