第19話 お地蔵さま(前編)

 三十代前半の後藤祐樹ごとうゆうきさんに聞いた話だ。


「仕事がある日は午後八時ぐらいに家に着くんですけどね、最寄り駅か家までの道のりの途中でその人を見かけるんですよ」


 後藤さんは霊感体質で頻繁に奇妙なものと出くわすそうだ。帰り道に見かけるその人というのも、後藤さんにしか視えないそっち系のものだった。


「毎日見かけるんですか?」


 僕がそう尋ねると、後藤さんは首を横に振った。


「いえ、毎日ではなくてときどきです。えっと、一ヶ月に一回とか二回とかですかね。濃いグレーのスーツを着ていて、年齢はパッと見だと四十代前半っぽいです」


 後藤さんが陽の落ちた住宅街を家に向かって歩いていると、そのスーツ姿の男性はいつも同じ脇道からぬっと出てくるそうだ。そして、ふらふらとした足取りで別の脇道に入っていく。そこもいつも同じ脇道らしいのだが、男性の視え方は日によって違うという。生きている人間のように濃く視えるときもあれば、幻のように薄っすらとしか視えないときもある。


「普段はその人についていったりなんかしないんですよ。でも、なぜか一回だけついていこうと思ったことがあったんですよね……」


 いつもであれば男性が脇道から出てきても気にも止めない。しかし、なぜかその日だけはついていこうと思ったそうだ。


「ふらふら歩いているようで、ついていくと意外と早いんです。途中で小走りしないといけないくらいでした。それでもなんとかついていってたんですけどね、マンションの裏の道に入ったときにポストがあって、その人の姿がそこで急に見えなくなったんです」


 使われているのか使われていないのか、ポストはあちこちが錆びてボロボロだった。ポストの向こうには細い道があり、どうやら男性はその道に入っていったらしい。しかし、あと追って曲がった後藤さんは、そこで足を止めざるを得なかった。


「行き止まりだったんですよね」


 道だと思いこんで曲がったその場所は、車一台がぎりぎり入るくらいの、空き地とおぼしき狭いスペースだった。周囲には人の背丈ほどに石垣が積まれており、足もとの土には雑草がちらほら生えていた。


「行き止まりと思ってなかったんでびっくりしました」

「いやいや」僕は思わず突っ込んだ。「行き止まりよりも男の人でしょう。どうなったんですか?」

「ああ、いなくなってました。その空き地で消えたんでしょうね。いつもふらふらと歩いていましたけど、空き地を目指してそうしてたみたいですね」


 後藤さんいわく、同じ行動を繰り返している霊は珍しくないらしい。その場合は生前の記憶が大きく関係しているそうだ。


「たぶんスーツ姿の男の人と空き地には、なにかのえんがあったんでしょう」


 それから後藤さんはこんな話もした。


「男の人はそこで消えてしまったんですけどね、空き地の奥にちょっと気になるものがあって……」


 後藤さんは興味をそそられるまま空き地の奥に足を進めた。そこにあったのは小さなほこらにおさまった古ぼけた地蔵だった。首に巻いている赤いよだれかけが、真っ暗な空き地の中に、ぼんやりと浮かびあがっていた。


「もしかしたら男の人とえんがあったのは空き地じゃなくて、そのお地蔵さんのほうだったかもしれません。というか、たぶんそっちでしょうね。普通は空き地になんて縁はありませんから」


 後藤さんは地蔵に興味を持ったものの、そこに長居するほど心は奪われなかった。地蔵に向かって軽く手を合わせると、空き地を出て家に帰ったそうだ。


 しかし、三日後に再びその空き地に足を運んだ。


「また、例の男の人――スーツ姿の男の人についていったんですか? お仕事帰りとかに」

「ああ、いえ、違います。ひとりでふらっとです。時間も夜じゃなくて真っ昼間でした。そもそもその日は日曜日でしたから、仕事は休みでしたしね」


 午後二時頃だったという。小腹が空いた後藤さんはコンビニにでもいこうと家を出た。そのさいにふと思い立って空き地に足を運んだ。


「でも、なぜ空き地にいったのかって訊かれると困るんですよね。なんとなく気になったとしか答えようがなくて……」


 霊がらみのことはなんとなくが多いそうだ。そして、なんとなくで足を運んだ後藤さんは、狐につままれたような気分になったという。


「いや、それがね、お地蔵さんがなかったんですよ。狭いところですから見まわす必要もありません。祠があればすぐに目につきます。でも、ほこらごとお地蔵さんがなくなっていたんです」


 地蔵をおさめた祠があるはずだった場所には、人の背丈ほどの石垣が殺風景に積まれているだけだった。また、祠と共に地蔵を移動させたというのも絶対にないとは言い切れないが、その場合はなにかしらの跡が残っていてしかりだ。しかし、そういった痕跡もまったく見あたらなかったそうだ。


「場所を間違えているのかとも思ったんですが、ポストがすぐ近くにありましたからね……」


 さっき話していたボロボロのポストのことだろう。それを確認しているのであれば場所を間違えている可能性も低い。


「それと空き地を囲っている石垣もなにか雰囲気が違ったんですよね。大きな違いはないんですけど、三日前に見たときよりも、新しい感じがするというか……」


 後藤さんは一呼吸置いてから話を続けた。


「ああ、そうそう、石垣の向こうに大きなお寺があったんですけど、三日前はそれにも全然気づいていなかったんです。なぜなんでしょう。暗かったからですかね……」


 いくら暗くても本当に光源がゼロということはない。普通はそこになにがあるかくらいはわかるものだ。ましてや寺のような大きな建造物であれば、なおさら見落とすなんて考えられない。後藤さんの言葉に歯切れの悪さがあるのは、自分でもそれがわかっているからだろう。


 後藤さんはしばらく納得のいかない顔を見せていたが、ややしてある女性に声をかけられたという話をはじめた。


「お地蔵さんがあったところを見おろしていたんです。そしたら『なにか御用ですか?』って声をかけられました」


 声がした背後を振り返ると、空き地の入り口のところに小柄な女性が立っていた。年齢はおそらく四十代前半。顔立ちがどこか古風なうえに薄紫色の着物姿だ。その時代錯誤の風体のせいだろうか、現代人にはないような、独特の気配を漂わせている人だった。


 後藤さんは少し焦った。不審者と思われているかもしれない。しかし、その心配は杞憂だったらしく、女性に警戒心は見受けらなかった。


「逆にこっちが心配になるほど、警戒心がない感じなんですよね。今の時代にそれって危険じゃないですか。まあ、そのおかげで、いろいろと話が聞けてよかったんですけどね」


 後藤さんが訊いてもいないのに、女性は自分の素性を話した。また、そのときの女性の話し方は、やけに気怠けだるげだったという。


「さっき石垣の向こうに寺があったって言ったでしょう。そこの住職さんの奥さんなんだと言ってました」


 奥さんは空き地のことにも言及した。後藤さんがてっきり空き地と思っていたそのスペースは、寺が所有している土地らしく、檀家専用の駐車場として活用しているとのことだ。


 一方の後藤さんは三日前のことをいっさい口にしなかった。スーツ姿の男性の霊についてきたらここに到着した。初対面でそんなことを伝えても、どうせ胡散臭く思われるだけだ。ならば、口を閉じておいたほうがいい。


 しかし、例の地蔵については訊いておきたかった。以前、ここでお地蔵さんを見た気がする。後藤さんはそんな切りだし方で奥さんに尋ねてみた。


 すると、こんな答えが返ってきた。


【後編に続く】





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