第20話 お地蔵さま(後編)

「ここは駐車場です。お地蔵さまはいらっしゃいませんよ」

「そうですか……前に見た気がしたのは勘違いだったんですかね」


 後藤さんは思った。やはり、ここにお地蔵さんはないのか。だとしたら、三日前に見たあれはいったい――


 ますますわからなくなっていると、奥さんが「でも……」と話をついだ。


「石垣の向こう側でしたら、お地蔵さまがいらっしゃいます」

「石垣の向こう?」

「はい、石垣の向こうは寺の敷地なのですが……」


 奥さんは顔に落ちた一筋の髪を指で払って続けた。


「そこにも石垣で囲まれスペースがありましてね、ほこらにおさまった一体のお地蔵さまがいらっしゃいます」


 石垣に囲われたスペース。ほこらにおさまったお地蔵さん。聞いた限りではあるが三日前に目にした状況と似ている。もしかしたら、そのお地蔵さんが……


 後藤さんは石垣の向こうにあるという地蔵を、どうしてめ確かめてみたくなった。


「あの、僕、実はお地蔵さんマニアなんです」適当についた嘘だった。「ご迷惑でなければなんですが、そのお地蔵さんを見せてはいただけませんか?」

「お地蔵さまマニア……」


 奥さんは色の薄い唇で呟いたあと、一瞬だけ考える顔を見せて、「では、こちらに」と後藤さんを案内してくれた。


 しかし、寺の入口は思いのほか遠かった。空き地と思っていた駐車場を出てからボロボロのポストの前を通り過ぎ、マンションをぐるっとまわりこんで少し歩いたところにようやく現れた。


「駐車場から結構遠いんですね」


 細くて白いうなじに向かって言うと、奥さんはこちらを振り返って微笑んだ。


「寺の敷地に駐車場を設けるスペースがありませんからね、仕方なくあそこを駐車場として利用しているのです」


 微笑んだせいかもしれない。奥さんの持つ独特の気配が濃くなったような気がした。


 寺の入口には切妻屋根をかけた棟門むねもんが設けられていた。古色を帯びてはいるが威風堂々した門だった。奥さんに続いて境内に足を踏み入れると、石灯籠いしどうろう植栽しょくさいがところ狭しと据えられていた。だが、すべてに手入れがいき届いており、雑多とした印象は受けなかった。


 後藤さんを先導している奥さんが、相変わらずの気怠けだるげな話し方で言った。


「お地蔵さまはお堂の裏にいらっしゃいます」


 本堂らしき建物の脇に石畳が敷かれた細道がある。奥さんは迷いを見せずにそちらに足を向けた。


 奥さんに先導されつつ歩を進めていると、ややして石垣に囲われたスペースが見えてきた。さっきまでいた駐車場とよく似ており、広さもおおむね同じに思われるスペースだった。


 そして、石垣を背にした小さなほこらも見て取れた。


 きっと、あそこにお地蔵さんがあるんだな……


 後藤さんは少し緊張しつつ祠の前に着いた。視界の端に映る奥さんがこちらに顔を向けたが、そのじっとりとした視線を無視して地蔵を見おろす。そして、すぐに確信した。三日前に見た地蔵は間違いなくこれだ。


 祠の雰囲気や地蔵自体の古ぼけた感じ、さらには赤いよだれかけまでもが、記憶の中にあるそれと完全に一致した。また、駐車場では石垣にも違和感を覚えたが、ここの石垣には新しすぎるという感覚もない。


 はじめて訪れた寺だというのに、なにもかもを三日前に一度見ている。


 脇道から現れるスーツ姿の男性の霊についていった後藤さんは、空き地のような寺の駐車場に着いた。だが、どういうわけだか石垣を通り越して寺の敷地に入りこみ、駐車場の裏にあるはずの地蔵を目にしていたのだ。


 にわかには信じられないが、そうとしか考えられなかった。後藤さんは三日前もこの場所に立っていた。この場所からこの地蔵を見ろしていたのだ。


 ここまでの話を聞いた僕は、「んー……」と小さく唸った。


「それは不思議ですね」

「はい、本当に不思議です。でも、そのあとに、もっと不思議なことというか、住職の奥さんが……」

「奥さん……?」

「はい、奥さんが……」


 はじめて足を踏み入れた寺の中で、後藤さんはわけがわからないまま、古ぼけた地蔵を見おろしていた。すると、住職の奥さんがささやくように告げたそうだ。


「私は少し視えるのですが……」


 視えるというのは、霊のことに違いない。奥さんはこう続けた。


「スーツを着た四十代の男性に心あたりがありませんか?」


 心あたりはある。後藤さんは三日前のいきさつを手短に伝えた。ときおり見かけるスーツ姿の男性の霊についていくと、空き地のようなあの駐車場に着いた。そこで男性は消えたが地蔵を見かけ、その地蔵は目の前にあるものだった。


「そうですか、男性についていったのですね……」


 奥さんは呟くように言って、後藤さんの背後に目をやった。


「お地蔵さまのことについてはよくわかりません。でも、今のお話に出てきたお人でしょう。あなたの後ろにスーツ姿の男性がいらっしゃいます」

「え……」


 後藤さんはガバっと後ろを振り返った。だが、男性の姿は確認できなかった。後藤さんはこのときはじめて知った。


 霊は日によって視え方が変わる。生きている人間のように濃く視えるときもあれば、幻のように薄っすらとしか視えないときもある。


 そして、まったく視えないときもある。


「ずっと……」奥さんは頭痛でもしているかのように、こめかみのあたりを指で押さえた。「あなたの後ろでその男性が怒鳴り続けています」


 聞けば、後藤さんが駐車場にいたときから男性は怒鳴っていたそうだ。その声は寺の中にまで響いていたらしく、只事ただごとではないと思った奥さんは、怒号がする駐車場まで足を運んだのだった。つまり、あのとき奥さんが駐車場に現れたのは、単なる偶然ではなかったということだ。


 しかし、なぜ男性は怒鳴り続けているのだろうか。しかも、後藤さんの背後で――


 後藤さんは恐るおそる訊いた。


「……なんて怒鳴っているんですか?」


 すると、奥さんは頭痛が酷くなったかのように眉根を寄せた。それからボソボソっと答えた。


「『ついてくるな』と怒鳴っています」


 後藤さんは背筋がぞわりと冷たくなった。あの駐車場に着いたのは偶然ではなく、スーツ姿の男性についていったからだ。ついてくるなというのは、それに言及しているに違いない。


 奥さんは眉根を寄せたまま続けた。


「あなたを睨みけて何度も何度も怒鳴っています。『ついてくるな』と……」


 後藤さんは総毛立つのを覚えながらも、冷静にこんなことを考えていた。奥さんの話し方がどこか気怠けだるげだったのは、男性の怒鳴り声が耳に障り、その不愉快さを隠しきれなかったかららしい。また、奥さんが漂わせている独特の気配は、霊感が強い人の特徴なのかもしれない。


 ところで、後藤さんは今でもそのスーツ姿の男性をときどき見かけるそうだ。いつも同じ脇道からぬっと出てきて、いつも同じ脇道にフラフラと入っていくという。


 どういう目的があってそんなことをしているのか、地蔵となにか関係があるのか、本人に直接訊くわけにもいかず、肝心なところは未だ不明のままだ。しかし、たとえ男性を見かけたとしても、見て見ないふりをするそうだ。





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