第16話 巫女の占い

 三十半ばの野田京子のだきょうこさんに聞いた話だ。


 年明け早々の一月二日―― 野田さん一家には毎年の恒例行事があった。


 野田さんの自宅の近くには七杜稲荷ななもりいなりという神社がある。住宅街の片隅にひっそりと鎮座している神社で、六十を過ぎた老齢の巫女が奉職しているそうだ。もしかしたら女性の神主かもしれないとのことだが、野田さん一家を含めた近所のみなが、親しみをこめて「巫女さん」と呼んでいるという。


 その巫女に一年のあれこれを占ってもらうのが、野田さん一家の正月の恒例行事になっていた。野田さんは独身で兄弟姉妹はおらず、父の名は政一まさいちさんといい、母は恵美子えみこさんといった。


 巫女の占いがよく当たるのは近所ではよく知られたことで、野田さん以外の家族が神社に足を運ぶのも珍しくないという。また、野田さんいわく、占いは拝殿の中で行われるそうだ。まず巫女は祭壇に向かって祝詞のりとを唱え、それから相談者に神のお告げなるものを伝える。ようするに、神託を授けているのだろう。


 祝詞を終えた巫女が父の政一さんに尋ねた。


「政ちゃん、胃の調子はどう? 食欲はある?」


 その口調はいつもどおりに庶民的だった。七杜稲荷でなにか祭事があるさい、政一さんはすすんで手伝いをする。政一さんと顔見知りという理由もあるのだろうが、その老齢の巫女は誰に対しても人懐っこく話しかける。


 板の間に正座していた政一さんは考えこむ表情を見せた。


「そういや、少し胃もたれするときがあるなあ……」

「そう……」巫女は浮かない顔をした。「神さまがね、政ちゃんの胃のことを心配してるのよ。歳も歳だし一度検査してみたら?」


 政一さんは矍鑠かくしゃくとした人で、これまで大きな病気とは無縁だった。しかし、巫女が言うとおり、歳も歳だ。念のために総合病院で内視鏡検査を受けることにした。俗に言う、胃カメラを飲むというやつだ。

 

 担当した若い医師は、検査後のカウセリングで政一さんにこう告げた。


「これといった異常は見つかりませんでした。気にされている胃もたれは、毎日の晩酌が原因でしょう。アルコールを少し控えてください」


 野田さんも母の恵美子さんもひと安心した。巫女の占いはよく当たるが、さすがに百発百中とはいかない。はずれることだってある。ふたりはそう言い合ったが、しばらくして政一さんがこんなことを言いだした。


「会社の同僚に胃カメラがうまい先生をおしえてもらったんだ。もう一度検査してくる」


 異常なしとお墨つきをもらったというのに、なぜわざわざ再検査を受けるのだろうか。野田さんは不安になった。そんな素ぶりは見せていないが、胃の調子がかなり悪いのだろうか。

 

 胃カメラがうまい先生というのは、五十がらみの女医らしい。小さなクリニックを切り盛りしている彼女のもと、政一さんはそれから約二週間後に再検査を受けた。


 結果は初期の胃がんだった。最初の病院での異常なしという検査結果は誤診だったのだ。

  

 あとから聞いた話しによると、政一さんが再検査を決意したのは、胃の調子が悪いからではなかった。例の巫女に再検査を強くすすめられたからだった。


 一回目の検査をしたあと、政一さんは巫女に電話をした。心配させていたら申しわけないと思い、異常なしの検査結果を報告するためだった。しかし、政一さんの話を聞いた巫女は、検査結果に納得せず、再検査を熱心にすすめてきたそうだ。


「やっぱり神さまが政ちゃんの胃のことを心配してるのよ。もう一度検査したほうがいいわ。もし異常がなければ私が検査費用を払うから」

 

 そこまで言うのであればと、政一さんは再検査に踏み切った。そして、初期の胃がんが見つかったのだ。


 野田さんは最後に神妙な顔で言った。

 

「かなり初期の胃がんでしたから、最初の病院では見落とされたみたいです。でも、ほんとによく再検査をしたなと思います。あのまま放ったらかしていたら、今頃どうなっていたことか……」


 無事に手術を終えた政一さんは、以後再発や転移もなく元気だという。しかし、毎日の晩酌は控えているそうだ。





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