第15話 ふたりでひとり
旦那さんが病気や事故で亡くなったあと、残された奥さんが意気消沈するどころ、これまでになく生き生きとしはじめる――という話をちょくちょく耳にする。
「夫が亡くなってから楽しくやってるんです。近場の格安ツアーですけど、来月も旅行の予定が入っています」
しかし、仔細を聞かせてもらうと、少し毛色の違う話だった。
福田さんの旦那さんは
一方の福田さんは七十歳を迎えたあたりから、急に耳が遠くなった。病院で検査を受けた結果、加齢性難聴だと診断された。加齢以外に原因がない難聴で、根本的な治療法は見つかっていない。
「夫は声を失っていましたが耳には問題がありませんでした。私は反対に耳が悪かったのですが言葉には問題がありませんでした。だから、私は夫の言葉を、夫は私の耳を、お互いの不便を補い合いながら生活していました。ふたりでひとりといった感じです」
しかし、二年ほど前に福田さんはひとりになった。風邪をこじらせた秀雄さんが、合併症の肺炎で亡くなったのだ。
「もちろん悲しかったですよ。でも、たいして苦しむことなく逝きましたから、よかったと思うようにしています」
福田さんは複雑な表情でそう言ったが、すぐにふっと目もとに笑みを見せた。そして、「あれは確か……」と考える顔をして、こんな話をしてくれた。
「夫が亡くなって一ヶ月ほどが経った頃でした。ほんとに突然だったんですが、ある朝目を覚ましたときに、耳が聞こえるようになっていたんです」
人の話す声やテレビの音声など、それまで明瞭でなかったなにもかもが、補聴器を使わずとも聞こえるようになったのだという。
これには医師も驚きを隠せなかったそうだ。福田さんの聴力検査をしたあと、「おかしいですね……」と口にしたらしい。加齢性難聴を患った場合の聴力回復は、期待できないのが医学界では常識だった。
しかし、医学うんぬんではないところで、福田さんは確信しているようだった。
「馬鹿な考えだとはわかっています。でも、夫が残してくれたような気がしてならないんです」
秀雄さんは声を失っていても耳には問題がなかった。その聴覚をこの世に残していってくれたのかもしれない。福田さんがひとりになっても不便なく生きていけるように。
「だから、あと何年生きられるかわかりませんが、これからを目一杯楽しむつもりです。夫から貰った最後の贈りものですから、ちゃんと使わないと罰があたりますので」
そう言って自分の耳を愛しそうに撫でた福田さんは、今もふたりで生きているように感じているのかもしれない。
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