第14話 枕もとのメモ

 二十代後半の山下南美やましたみなみさんに聞いた話だ。


 日曜日の朝だった。自室のベッドで目を覚ました山下さんは、枕もとに一枚のメモ書きがあるのを見つけた。寝起きで頭がぼんやりとしていながらも、それを手に取って確認してみると、縦一文字にこう記されていた。


 加代子さん、桜、ありがとう。


 左肩さがりの特徴的な字――間違いなく山下さんのものだが、メモを書いた記憶なんてない。また、加代子さんというのは、山下さんの母親の名前だった。


 こんなの、いつ書いたっけ……


 山下さんは首を傾げつつベッドから出た。


 一階におりてリビングに向かうと、テレビの前にあるソファーに、加代子さんが腰をおろしていた。手にしている単行本は、最近はまっているミステリー小説だろう。


「ねえ、お母さん……」


 加代子さんに呼びかけると、なに? という顔でこちらを見た。


「私さ、昨日帰ってきたとき酔ってた?」


 昨日は会社の同僚と少し飲んだ。ほろ酔い程度のつもりでいたが、実は意外と酔っていたのかもしれない。そして、枕もとにあったメモを無意識で書いた。しかし――

 

「そんなに酔っているようには見えなかったけど。どうして?」

「んー……やっぱりそうだよね……」


 山下さんはメモ書きを加代子さんに渡して続けた。


「さっき目が覚めたときに見つけたから、昨日の夜に書いたメモだと思うんだよね。でも、全然記憶がないからさ、実は結構酔っていたのかなって……」


 加代子さんはしばらくメモを見つめたあと、やけに真剣な顔で尋ねてきた。


「これ、ほんとに南美が書いたの?」

「うん、だってその字、私の字でしょ?」

「そうね。確かに南美の字ね……ちょっときて」


 言われるがまま加代子さんについていくと、行き先は玄関の近くにある和室だった。


 和室の主であるかのような仏壇が、黒光りしながら威厳を放っている。加代子さんはその仏壇を指差して言った。


「ほら、あれ……」


 加代子さんが指差したのは、仏壇そのものではなく、その脇にある花立てだった。花をつけた桜の枝が一本差してある。


「庭に桜の枝が落ちていたんだけどね、綺麗だから仏壇に供えてみたのよ……」


 山下さんの家の隣りには公園があり、桜の樹が花を満開にさせていた。その枝の一本がなにかの弾みで折れたらしく、庭の隅っこに落ちていた。それを拾って仏壇に供えたのだという。


「あんたにこれを書かせたのは……」加代子さんは手にあるメモ見た。「きっと、お義母かあさんよ……」


 仏壇の前に飾ってある写真の人物は、山下さんが生まれる前に亡くなった祖母で、加代子さんからすれば義母にあたる人だ。名前は淑子よしこさんという。


 淑子さんは四人の子宝に恵まれたものの、その全員が男だった。だからだろうか。こう言って加代子さんをとてもかわいがってくれたそうだ。


「娘ができたみたいで嬉しいわ」


 早くに実母を亡くしている加代子さんも、淑子さんを実の母のように慕った。旦那さんに留守番をさせて、ふたりで買い物などにもよく出かけたという。


「お義母さんは桜が凄く好きだったのよ。だから、わざわざお礼をしてくれたのね……」


 淑子さんは桜がほんとに好きだったそうだ。生前は花見を欠かさなかったという。だから、桜を供えた加代子さんに礼を言いたかったのかもしれない。だとしても――


 山下さんは思った。


 お母さんに礼が言いたかったのなら、夢枕に立つとか、ほかにいい方法がありそうなものだけど。私にこっそりとメモを書かせるとか、なんでそんなまわりくどい方法を……


 しかし、うるっとしている加代子さんに、それを言うのはなんとなく憚れる。


 山下さんは「なるほど、お礼……」と、短く呟くだけにとどめた。





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