第11話 いい人

 倉橋咲希くらはしさきさんに聞いた話だ。


 ゴールデンウィークがはじまったばかりのその日、友人との待ち合わせをしていた倉橋さんは、実家の近くにある某有名大型カフェに足を運んだ。


 さっそくアイスティーを注文してカウンターで受け取ると、窓際にあるテーブル席を選んで腰をおろした。ちらっと目をやった腕時計は、午後一時五十分を指していた。


 倉橋さんが待ち合わせしている相手は一ノ瀬千絵いちのせちえさんといった。年齢は倉橋さんと同じく二十六歳。幼稚園のときからつき合いのある友人で、いわゆる幼馴染おさななじみという間柄あいだがらだ。


 以前は一ノ瀬さんと頻繁に会えていたが、二年ほど前からはそうもいかなくなった。一ノ瀬さんが部署異動に伴う転勤で、遠くに引っ越してしまったからだ。前回彼女と会ったのは半年も前のことになる。


『ゴールデンウィークにそっちに戻るからさ、お茶でもしない?』


 一ノ瀬さんからそんな電話がかかってきたのは約二週間前だった。学生時代からときどき利用してきたカフェで、二時に会う約束をして電話を切った。

 

 もうすぐ一ノ瀬さんがやってくる。久しく顔を見ていない親友に会えるのは素直に嬉しかったが、今日はなにより彼女にいろいろと視てもらいたかった。


 倉橋さんには気になる男性がいた。会社の同僚に紹介してもらった人で、名前は田村さんという。まだつき合ってはいないものの、二ヶ月ほど前からデートを重ねており、そろそろ告白されそうな予感があった。予感どおりになることを心待ちにしている倉橋さんは、当然ながら良い返事をしようと考えている。


 そして、少し気が早いかもしれないが、ゆくゆくは結婚も考えていた。まだ二十代とはいえ、四捨五入すれば三十歳。そろそろ将来を意識する年齢だ。

 

 田村さんは結婚相手として申しぶんなかった。今年で三十九歳になる彼は、倉橋さんとひとまわり以上離れている。だが、同年輩の男性には期待できない包容力と経済力があり、なにより大人の優しさを持ち合わせていた。


 今まで付きあってきた男性は、口調や態度がどこか偉そうだった。そういう荒っぽさを男らしさと捉えていたのだろう。しかし田村さんは根本的に違う。優しさこそ男らしさだと考えて、倉橋さんを大切に扱ってくれる。


 その優しさがあてつけがましくないのも好ましかった。人を思いやることに慣れているのかもしれない。ちょっとしたときに、ちょっとした優しさを、上品な香水のようにふわっと匂わせる。


 倉橋さんはそんな田村さんとの仲を、一ノ瀬さんに視てもらおうと考えていた。


 一ノ瀬さんは強烈な霊感体質で、他人ひとには視えないものがいろいろ視えるのだ。さらには、その霊感を駆使した霊視占いのようなこともできる。


 また、一ノ瀬さんの霊視は、写真さえあれば可能で、相手を直接見る必要はなかった。だから、倉橋さんは田村さんの画像をスマホにしっかり保存していた。それを一ノ瀬さんに提示すれば、ふたりの相性や今後について、的確なアドバイスが返ってくるだろう。また、その金言にも似たアドバイスに従えば、甘くて幸せな結婚生活が手に入るはずだ。


 思わずにやつきそうになったとき、カフェの扉がカランコロンと開いた。すぐさま女性スタッフの品のある声が応対した。


「いらっしゃいませ」


 カフェの入口に目をやると、待ち人の一ノ瀬さんが立っていた。


 一ノ瀬さんは店内をキョロキョロ見まわしている。倉橋さんが手を振ってみせると、笑顔を広げて手を振り返してきた。


 だが、こちらに歩み寄ってくるにつれ、一ノ瀬さんは笑顔を曇らせていった。すぐそばまでやってきたときには、眉間に深い縦皺まで寄せていた。


 どうしたんだろう……


 倉橋さんは怪訝に思いながらも挨拶した。


「お久しぶり」

「うん……お久しぶり……」


 一ノ瀬さんも挨拶を返してきたが、あからさまに生返事だった。


「会って早々にこんなこと言うのもなんだけどさ……」一ノ瀬さんは眉間の深い縦皺をさらに深くした。「あんた、いったいなにをしたの? とんでもないものを連れてるわよ」


 一ノ瀬さんは倉橋さんを見ていなかった。倉橋さんの背後に視線を向けている。彼女にしか視えないなにかがそこにいるのだ。


 倉橋さんはおそるおそる訊いた。


「……とんでもないもの?」

「生霊っぽいね。あんたの首に女の人と子供がしがみついてる。鬼みたいな形相で……」


 倉橋さんはぞっとして後ろを振り返った。しかし、一ノ瀬さんが言うようなものは視えなかった。


「ほんとになにをしでかしたのよ。ふたりにめちゃくちゃ恨まれてるっぽいし……とにかく、それは放っておくとまずいね。そのままだとひどい目に合うわよ」


 一ノ瀬さんは深刻な顔をしたまま倉橋さんの前の席に座った。


「どうしたらいいの?」

「祓うしかないでしょうね。でも、前にも言ったと思うけど、私は視えるだけなのよね。祓うことはできない。祓える人を紹介するから、なるべく早く対処してきて。なんだったら、今からその人に連絡してみようか?」


 生霊に憑かれているという実感が、倉橋さんにはまったくなかった。女性と子供に恨まれているらしいが、ふたりが誰かも恨まれる理由もさっぱりだった。しかし、一ノ瀬さんの表情から察するに、相当やばい生霊であることはわかる。それを憑けたままにしておくのはさすがに気持ちが悪い。倉橋さんは一ノ瀬さんの提案に甘えさせてもらうことにした。


「あの……今からお願いできる?」

「わかった、電話してみる。でも、忙しい人なんだよね。繋がるといいんだけど……」


 幸いすぐに電話は繋がり、一ノ瀬さんが除霊の約束を取りつけてくれた。おかげで、少し遅い時間にはなったものの、その日のうちに生霊を祓ってもらうことができた。


 それから約一週間後、百年の恋も一時に冷める事実が発覚した。未婚だったはずの田村さんに妻と息子がいたのだ。妻子の存在を巧みに隠して倉橋さんと会っていた。


 あとになって詳しく知ったのだが、田村さんはそういう不貞の常習犯だった。浮気相手の女性と泥沼化し、裁判ざたになったことも一度や二度の話ではないそうだ。


 また、長年に渡り浮気を繰り返されてきた奥さんは、とうとう心に異常をきたして、精神科での治療を余儀なくされていると聞いた。小学五年生の息子さんも病んだ母親の影響なのか、いきなり喚きだすなどの奇行が目立つという。

 

 倉橋さんの首にしがみついていた生霊は、そのふたり――田村さんの奥さんと息子さんだったのだろうか。


 話が前後してしまうが、除霊が済んだ帰り道、倉橋さんはスマホの保存してある田村さんの写真を一ノ瀬さんに見せた。一ノ瀬さんはしばしスマホに目を凝らしたあと、倉橋さんに向き直ってこんな話をした。


「悪いことは言わない。この人はやめておいたほうがいいわ。とんでもなく意地悪な人とか、嘘ばっかりついてる人とか、性格がひん曲がった人っているじゃない? そういう人の目ってね、なぜか真っ黒に視えるんだよね。白目がないと言えばいいのかな。実物であれ写真であれ、目全体が真っ黒なのよ」

 

 それから、またスマホに目を向けてこう続けた。


「この人の目もそんな感じに見えるのよね。顔にふたつの穴があいたみたいに真っ黒。あんたにはわからないと思うけど、ほんとに不気味な目……」


 また、田村さんに妻子がいたと電話で報告したときにはこんなことも言っていた。


『でしょう? あんなに真っ黒な目をしているのに、いい人なわけがないのよ。もし、いい人そうに見えていたとすれば、それはきっと本物の悪人だからよ。本物の悪人ほどいい人そうに見えるからね』





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