第6話 ホトケさま

 二十代半ばの藤井拓真ふじいたくまさんに聞いた話だ。


 藤井さんには道子みちこさんという祖母がいた。生きていれば今年で七十五歳になる彼女は、藤井さんが九歳のときに心疾患で他界した。


「じいちゃんも早くに死んだんですけど、ばあちゃんも六十代前半だったんですよね。そりゃもう、悲しかったですよ。俺、ばあちゃん子だったんで」


 藤井さんが語ってくれたのは、その道子さんにかんする話だ。


「生きてたときのばあちゃんは、俺の実家で一緒に住んでたんです。心臓が悪いというわりには元気な人で、近所をぶらぶら散歩するのが日課でした。俺もときどきそれについていったんですが、ばあちゃんとたまにいく場所があって――」


 そこは藤井さんの実家から、徒歩でおよそ五分のところにあった。土地の大きさで言うと十メートル四方ほど。古格をにじませた神社の境内のようにも見える場所で、住宅街の中にありながら、うっそうとした樹木にまわりを囲まれていた。


「中が見えないほど樹が生えてるんで、そこに入ると昼間でも薄暗いんです。しかも、三メートルくらいのでっかい石像があって、それがなかなかの薄気味悪さだったんですよね。でも、なぜか俺はその場所がそんなに嫌いじゃなかったんです。不気味な像があるというのにね」


 藤井さんたちをいつも見おろしていた石像は、髪の長い女性をかたどった巨大な代物だった。着物部分は原色系の鮮やかな色で着色されおり、そのきらびやかな容姿は弁天さまを連想させた。一段高くなった石像の足もとには、賽銭箱と供物台くもつだいが設けてあったという。


「俺は未だによくわかっていないんですけどね、すっごくありがたい石像だったらしいんです。だからなんでしょうね。お酒とかお菓子とかが、いつも供えてありました」


 道子さんも必ずお供えものをしたそうだ。供え物は決まって栗羊羹くりようかんだったという。


「栗羊羹以外のお供え物は一度もなかったですね。ほんとに栗羊羹ばっかりです」


 さらに藤井さんはこんな話もした。


「その石像なんですけどね、ばあちゃんいわく、姿を変えるらしいんですよ」


 正確には姿を変えるのではなく、人によって石像の見え方が変わるそうだ。藤井さんはその理由を何度か道子さんに尋ねてみたが、毎回はぐらかされて教えてもらえずじまいだった。単に理由を知らなかっただけなのか、なにか教えられない理由があったのか、いずれにせよ生前の道子さんが理由を語ることはなかった。


「そのときの俺は小学生でしたから、ばあちゃんの話を信じて、そこにいくたびに石像をじっくり観察したんです。急に姿が変わるんじゃないかって。でも、特に変化はなかったですね。ずっと弁天さんのままでした。ただ、なぜかばあちゃんは、その石像を『ほとけさま』って呼んでいました」


 仏さまと聞いてイメージするのは、仏像や地蔵といったたぐいのものだ。少なくとも弁天さまのような髪の長い女性を想像したりしない。色鮮やかな着物ともかけ離れた印象がある。にもかからず、道子さんはその石像を『仏さま』と呼んでいたそうだ。


 ところで、現在の藤井さんは実家を出てひとり暮らしをしている。就職をきっかけに新しい生活をはじめたのだ。


「ばあちゃんが死んでからは、そこにいこうとは思いませんでした。いってもなにをしたらいいのかわかりませんしね。でも、大人になってから、一回だけあの石像を見にいったことがあるんです」


 それは一年ほど前のことだった。これといった理由があったわけではなく、実家に戻ったさいに、なんとなく足を運んでみたのだという。


「そしたらね、石像が変わっていたんですよ。姿を変えるというばあちゃんの話は、本当だったのかもしれません……」


 藤井さんは少し神妙な顔をした。


「いや、弁天さんは弁天さんだったんですよ。でも、大きさが全然違っていて……」


 遠い記憶の中にある石像の大きさはおよそ三メートルだ。しかし、その日見た石像は一メートルに満たなかったという。


「子供の頃に凄く大きいと思っていたものが、実は意外に小さかったんだって、大人になってから気づくことがよくあるじゃないですか。でも、あれはそんなレベルの話ではないんですよね。ばあちゃんより余裕で大きかった石像が、一メートルに足りてないんですから。見間違いというのも否定はできませんが、一回見ただけのものならまだしも、何度も見たものを見間違いというのもね。ほんと不思議です……」


 藤井さんはなにか考える顔をしたあと、「それからね」と話を続けた。


「ばあちゃんはその石像を『ほとけさま』って呼んでいたって言ったでしょう。その理由が今になってわかった気がするんですよ。死んだ人のことを『仏さま』って言うじゃないですか。たぶん、そういう意味での仏さまだったんじゃないかなって」


 藤井さんはまた考える顔したが、さっきより神妙な目をしている。


「もう確かめることはできないんですけど、ばあちゃんにはあの石像が、死んだじいちゃんに見えていたんじゃないかと思うんです」


 亡くなったおじいさんに見えていたために、道子さんは石像を『仏さま』と呼んでいた。藤井さんはそう考えているらしい。


「もし、本当にあの石像がじいちゃんに見えていたとしたら、お供え物がいつも栗羊羹くりようかんだったのもすじが通るんですよね。じいちゃんの好物は栗羊羹でしたから」





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