第5話 優しいおばちゃん

 二十代半ばの板野誠いたのまことさんに聞いた話だ。


「小学三年生のときの話なんですけどね、学校帰りに友達と遊ぶとなったら、八割方そこにいくっていう公園があったんです。女子もときどき混じったりしてましたが、だいたいは男子ばかりの五、六人でギャーギャーやってましたね」


 公園は小学校の運動場ほどの広さがあったものの、人を見かけるのは稀で、いつもうら寂しい雰囲気をただよわせていたそうだ。しかし、寂しいのはなにも公園に限ったことではなかった。子供の頃の板野さんは郊外の小さな町に住んでおり、その町はどこもかしこもが閑散としていたという。


「でね、僕たちがブランコとか滑り台で遊んでいると、ちょくちょく話しかけてくる、五十歳くらいのおばちゃんがいたんですよ」


 女性が公園にやってくる頻度は週に二、三度だった。そして、必ずといっていいほど板野さんたちに話しかけてきた。


「小柄でぽっちゃり体型だったからでしょうね。ぱっと見はどこか可愛らしい人でした。あと、いつも真っ赤な買い物袋を持っていたんですけど、それが結構印象に残ってますね」


 女性と交わした会話はたわいのないものばかりで、その内容はほとんど思いだせないそうだ。しかし、買い物袋の鮮烈な赤色だけは、今でもはっきりと覚えているという。


「いつもニコニコしている優しそうなおばちゃんで、何度かお菓子をくれたりなんかもしましたね。そんな人だから子供たちには人気がありましたよ。僕もそのおばちゃんのことは好きでしたし……」


 子供の頃の板野さんは人見知りが激しく、特に大人と接するのが苦手だった。だが、不思議とその女性にだけは懐いていたという。


「あ、でも、もちろん今は違いますよ。当時の話です」


 板野さんはそうつけ加えてから話を続けた。


「ああ、それと、なんだか影の薄いおばちゃんでしたね。いつも四時半前になると公園にやってくるんですが、気づくとベンチに座ってるって感じでした」


 公園に女性がいると気がつくのは、視界の端に鮮烈な赤がちらつくからだった。買い袋が目立たない色であれば、気づかない日もあったかもしれない。


 板野さんたちが気づくと、女性は親しげに話しかけてきた。すると、女性のまわりに子供たちが集まり、みなで和気あいあいと話をする。それがいつもの流れだった。


「わいわいしているうちに五時になりますから、僕たちは家に帰るんです。でも、おばちゃんはひとりで公園に残って、僕たち一人ひとりを見送ってくれるんです。『気をつけてね』とか『さよなら』とかって声をかけて……」


 つまり、女性が公園にやってくるところも、その逆に公園から出て行くところも、板野さんたちは目にしていないのだった。


 そういうどこか謎めいた人物に子供たちが好奇心を抱くのは、もはや必然といってもいいのかもしれない。板野さんの友達のひとりが、女性の家を突きとめようと言いだした。


「小学生が思いつくようなことですから、方法はめちゃくちゃ単純です。五時になったら帰ったふりをして、おばちゃんを見張っておくんです。公園の入口のところに隠れる場所があったので、そこに身をひそめて、こっそりと見張っておくつもりでした。で、帰っていくおばちゃんのあとをつけて、家を突きとめるって寸法です」


 確かに単純な方法だが、うまくいきそうでもある。ところが、板野さんたちは失敗した。


「おばちゃんがね、なかなか帰らなかったんですよ。正確には雑木林に入ったまま出てこなくて……」


 公園の向こうに雑木林が広がっている。板野さんたちが帰ったふりをして隠れていると、女性はその雑木林にひとりで入っていった。


「おばちゃんが出てくるまで待つつもりでした。でも、五時半を過ぎても出てこなかったんですよね。だから、諦めて帰りました。あまり遅くなると親に叱られますから」


 別の日にも板野さんたちは同じ作戦を試みたが、やはり女性は雑木林に入っていったきりで、五時半になっても出てこなかったそうだ。


「そういうことが、四、五回続いたんです。そしたら、だんだんおばちゃんの家を見つけるよりも、雑木林でなにをしてるかのほうが気になりだして……」


 板野さんたちは作戦を変更した。学校帰りに公園に立ち寄ると、すぐさま雑木林に足を踏み入れた。女性がやってくる時刻は四時半頃だ。つまり二時間近くあとのことだ。それまでにここで女性がなにをしているのかを、さぐりあててやろうと意気こんでいた。


「雑木林の中は薄暗かったんですが、みんなと一緒でしたから、特に怖いとは思いませんでしたね。むしろ、わくわくしてました。でも、奥にいくにつれて変な臭いがしてきて……」


 そして、板野さんたちはそれを見つけて戦慄した。


「猫の死体が二十近くあったんです……しかも、首から下を切り落とした、頭だけの死体が……」


 変な臭いの正体は腐臭だった。ミイラのように干からびた頭もあれば、比較的新しいと思えるものもある。新しいもののいくつかにはうじが湧いており、モゾモゾとうごめいていた。


 思いもよらぬ事態に立ち尽くしながらも、板野さんはあたりをぐるりと確認した。猫の頭に混じって小さな骨も散らばっている。状況からして猫の胴体部分の骨だろう。なにかを焼いた跡もいくつか見て取れた。


「ちょっとトラウマものでしたよ。その場で吐いたやつもいましたし……僕もしばらくはノラ猫を見るだけで気分が悪くなりました」


 猫の頭を切り落としたのが、その女性だという証拠はない。しかし、普通に考えば女性の仕業に違いなかった。


「優しそうなおばちゃんだったですけどね……たぶん、あの赤い買い物袋の中に猫が入っていたんだと思います」


 板野さんはそう言って顔を歪めた。雑木林の中で見た光景を思いだしたのかもしれない。


「今なら警察に通報していたでしょうけど、当時はガキんちょでしたから、そんなふうには頭が働きませんでした。ただ、さすがにおばちゃんのことが怖くなったので、もう公園にはいかなくなりましたけど」


 板野さんたちが住んでいた町には、幸いなことにいくつも空地があった。そのひとつが新しい遊び場となった。


「その後はおばちゃんを一度も見かけていませんが、よくみんなでおばちゃんの話をしました」

  

 仔猫がたくさん生まれたから困って殺した。単純に猫が嫌いだから首を切り落とした。誰かを呪うための儀式に違いない。子供たちはそんなことを競うように言い合った。


「でも、今になって思うと、どれも違う気がするんですよ。残っていたのは頭ばかりで、胴体は骨だけでしょう。それに、なにかを焼いた跡もありましたから……」


 板野さんは一旦言葉切ってから続けた。


「焼いて食べたんじゃないかと……」





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