第8話 【書籍化】聞いてしまうと

 その日は十一月に入ってから二回目の半日営業日だった。午後四時過ぎに店のシャッターをおろした僕は、帰宅するために地下鉄の駅へと歩を進めた。


 自動改札口を抜けてホームの中ほどで足を止める。すぐに入ってきた電車に乗りこむと、ひとつの空席が見て取れた。満員電車ほどではないにしろ、それなりに混雑している車内だ。誰かが座ってもよさそうなものだが、なぜかその席だけは空いたままになっている。


 僕は適当なところに立ち、近くのつり革に手を伸ばした。電車に揺られながら空席をぼんやり見ていると、数週間前に聞いた話が耳の奥によみがえってきた。


「ときどき不自然に空いてる座席ってありますよね。たとえば、混んでいる電車なのに、ぽつんとひとつだけ空いてるとか」


 店のお客さんである本田望未ほんだのぞみさんに聞いた話だ。一児の母でもある本田さんは霊のたぐいが視える人だった。


「そういう席には霊が座っていたりするんですよ。視えない人でも勘みたいなものが働くんでしょうね、みんながそこを避けるので不自然に席が空くんです」

「へえ……」


 僕はそう相槌を打ちながら、どうでもいいことを思った。


 霊も電車で移動するのか……


 それから、ふと気になった。


「霊がいることに気づかない人も当然いますよね。もし、気づかないまま誰かがそこに座ってしまったらどうなるんです? やっぱり、その人には霊障的なことが起きたりするんですか?」

「どうでしょうね。座った人についていけばわかるんでしょうけど、さすがにそこまではしませんからね。でも……」


 本田さんは斜め上を見て考える顔をした。


「やっぱり、ある程度は影響があるでしょうね……」

  

 それから僕に視線を戻して言った。


「身体の一部がない霊もいるって話をしましたっけ?」

「聞きましたよ。腕とか足とかがなかったりするんですよね」


 本田さんいわく、なにかしらの事故などが死因の霊は、腕や足がない場合もあるそうだ。言わずもがなだが、その事故で身体の一部を失ったのだろう。


「そういう霊がいる席に座った人は、しきりに欠けている部分をさわるんです。たとえば、腕がない霊がいるところに座った人は、自分の腕を何度もなでたりとか。やっぱりある程度は影響があるんでしょうね」 

「いや、それってある程度じゃないでしょう。完全に霊に影響されてますよね。ちょっと怖いんですけど……」


 そんな会話を数週間前に本田さんと交わした。僕はつり革を掴んだまま、改めて不自然な空席を見た。


 あそこにも霊が座っていたりするのだろうか。たまたま空いているだけの席かもしれないが、本田さんの話を聞いてしまったあとだと、仕事終わりで疲れていても座る気になれない。


 いやなことを聞いてしまったのものだ。知らなければ座れたものを――





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