人の噂も七十五日

『人が非常事態で呼び掛けた時には無視しておいて勝手ですね。師匠?』


「バカンス中だから昼寝してたのよ」


『本当ですか?』


「本当本当。だから貴女からの連絡に今気づいたわけだし」


『昼寝にしたら長すぎませんか? 何日前だと思ってます?』


「チッチッチッ。昼寝が年単位であってはいけない根拠を示せ!」


『……はいはい。それでようやく連絡を寄こした理由は?』


「もう少し師匠と遊ぼうよ、弟子? 実はこっちはこっちで大変厄介な事態が発生してね、もしかしたらしばらく復活できないかも?」


『バカンス中でしたよね?』


「やることはやってるでしょう? ただそのやることすらも出来ない可能性があるってだけ」


『何をする気ですか? また内乱ですか?』


「あはは。それはいつものことよ。私ってば反骨精神の塊だから本当に厄介よ?」


『行って狩りましょうか?』


「私としてはそっちの方が楽なんだけどね。ただ仲の良い“私”が反対するのよ。貴女は基本容赦なく狩り尽くしてしまうから」


『だったら師匠の仲間に目印を付けてください。そうすれば狩らないようにします』


「その手は……うん。私のことだから偽物の目印を付けて私の仲間の振りをするわね」


『本当に面倒ですね師匠。一度全員集めてお掃除しませんか?』


「あはは。それってつまり強制リセット的な?」


『破壊無くして再生無しの精神がどうとかって師匠の言葉ですよね?』


「私じゃないけど良く使ってたわ~。まあ親分の延命治療が終わってからかな。大掃除は」


『畏まりました。その時は喜んで出向きます』


「喜ばないで欲しいんだけど?」


『悲しみにむせび泣きながら狩り尽くします』


「絶対嬉々として狩るでしょう?」


『感情を押し殺す努力はします。笑いながら』


「ちょっとお弟子さん?」


『……師匠が悪いんです。本当に困っていたんですから』


「はいはい。悪かったわよ。ただ夏の海が私を狂わせたのよ」


『師匠?』


「でも大丈夫。今は一面雪景色でとっても冷静だから。あ~。御前? 栗きんとんの独占は国際ルールで死罪だから! 好物だから!」


『……師匠?』


「ごめんごめん。こっちも熾烈な戦いが続いていてね。だからローストビーフの独占も禁止! つかいつからおせちにローストビーフが入るようになったのかを知りたい! どんな意味があってそれを食べるのかを知りたい!」


『遊んでますか?』


「遊んでないわよ? ちょっと厄介な案件を前に英気を養っているだけ」


『姉さまの魔力を無駄に消費しないでくださいね?』


「減るモノじゃないし」


『減ります。具体的に王都から精肉が凄い勢いで』


「上手い! 弟子ってば腕を上げたわね?」


『ありがとうございます。それで師匠……厄介な案件とは?』


「あ~。それで少しお兄さまに確認して欲しいんだわ」


『兄さまにですか?』


「ええ。赤毛の魔女と猫を退治したら困るかしら?」


『困ります』


「確認せんかいっ!」


『する必要はないかと』


「良いからするの!」


『はいはい』




 ユニバンス王国・王都王城内



 お花畑トイレの個室を出たポーラは、真っ直ぐ兄の執務室を目指す。


 急な呼び出しで部屋を離れていたが、問題は起きていないはずだ。

 きっと今頃兄はメイド見習いを玩具にして遊んでいる。それはそれで不安はあるが。


 あの見習いは基本的に師匠と性格が似ている。おかげで兄との距離が大変近い。師匠なら我慢できる。何故なら師匠はこちらの気持ちを知っていて、いっぱい兄との触れ合う時間を作ってくれる。じゃれ合っている時に入れ替わってくれる優しさを持ち合わせている人だ。決して後始末を丸投げなどしていない。むしろその程度のことで兄とじゃれ合えるのなら構わない。いつでも丸投げして欲しい。


 それは良い。今度もまた師匠に頼んで触れ合う機会を作って貰おう。


 今回のことは余り疎かに出来ない案件だ。ハルムント家の実質当主たる先生が口を挟んでくる可能性があるからだ。そうなると自分が動けばかなり面倒なことになりかねない。ここは動かず我慢だ。


 動いた方が遥かに楽だが、下手に動けばあのまだ若いメイドたちは処分されてしまう。

 先生は一度の過ちぐらいなら赦すだろうが、他の諸先輩方にそんな慈悲は無い。ハルムント家のメイドは常に完璧でなければいけないのだ。


 そろそろ体罰……躾も終わっている頃だろうから、兄に事の顛末を説明して許しを得るしかない。そこからハルムント家との交渉を開始するしかない。やはり自分が動くしかないのかもしれない。


 ああ面倒だ。その隙にあの見習いと兄がじゃれあったらどうする?


《事故に見せかけて……流石にそれは兄さまが許してくれませんね》


 何より姉の目は誤魔化せない。彼女の目は異質だ。普通とは違う。

 多分見ている世界が違うのだというのが師である魔女の言葉だ。その“世界”は分からないが、簡単に言うと自分が見ているモノと色も形も違うという。


『きっと姉さまはモノの本質を見る目を持っているのよ。だから彼女の前で嘘は通じない。隠し事も通じない。何故なら常に“偽りのない姿”しかその目には映らないから』


 姉を研究対象として調査している師匠の言葉だ。

 相手の心を、内面の全てを見通す目を持つ姉には嘘は通じない。


《そう考えると兄さまは本当に凄い》


 自分とて真摯に誠実に姉と向かい合っている。けれどそれでも多かれ少なかれ嘘は吐く。


 自分に対しても他人に対しても。


 けれどそれらを見渡す目を持つ姉に対し、兄は常に正面から向かい合う。

 きっと常に嘘偽りも無く正面から姉と向き合っているのだ。

 普通の人なら出来ないことを兄はしている。やはり尊敬の出来る人だ。


 軽い足取りで廊下を進むポーラは、その歩みの速さを落とした。

 反対側から先輩である現役メイド長のフレアが歩いて来たのだ。


《先に動いたのですか?》


 声に出して問いたいところだがそうもいかない。

 相手は2代目メイド長。自分よりも遥かに上の人物である。

 故に足を止め廊下の端に立つ。十分な広さがあっても道を譲るのは相手に対する敬意だ。


 トントンと……独特な音が響いたのはハルムント家特有の連絡方法の1つだ。

 ハンドサインや音など様々な方法で連絡を取り合えるように鍛えられているが、今のは最も上位の者にしか伝わらない指の音でのサインだ。


《分かりました》


 内容は簡単。『完了』の合図だ。それはつまり彼女が動き兄が承諾したのだろう。


 落ち着いて考えれば彼女が動いてくれた方が色々と都合は良い。けれど現メイド長は近衛団長の直属メイドであるために立場的に色々と厄介でもある。


 ハルムント家。特に諸先輩方が自分の3代目就任を強く願っているのはその部分も大きい。


 ただ素直に応じられないのにも理由はある。就任後にハルムント家への転属を強く要望されているからだ。それは応じられない。

 自分は兄の専属メイドである。永遠の専属だ。何なら永久に就職しても良い。

 願わくば違う立場でも構わないが兄にその気がないならメイドだった構わない。その為なら他貴族から山のように送られてきている見合い話をすべて断る覚悟だ。


 必要ならば暴力も辞さない。脅迫だって何だって使う。


 下着姿で王都を一周したミネルバ先輩が『しばらく姿を隠したい』と言ったから現在積極的にアプローチをかけて来る地方貴族の脅迫せっとくに出向いている。

 全ての屋敷を回り終えた頃には下着姿での徘徊の件も忘れ去られていることだろう。


『人の噂も七十五日』とか言っていたのは師匠だ。

 あの人は普段いい加減だが正しいことを言うこともあるから間違いないはずだ。


 なら現在抱えている問題は粗方片付いたはずだ。後は大浴場で新しい餌を手に入れた城付きのメイドたちに拉致されたユリアを帰宅前に回収しに行けば良い。


 散髪からのピカピカになるまで全身を磨かれ、それから似合う衣装を見い出すために着せ替え人形にされているはずだ。あれは結局個人の趣味が大多数を占めるので結論などで無い。

 いつも最後はくじ引きで決まるのだ。


 大丈夫。くじには細工をしておいたから普通のメイド服で決まるはずだ。


《大丈夫。問題は何もない》


 平和だ。やはり平和が一番だ。

 またも足取りを軽くさせてポーラは兄の居る執務室へと入った。


「兄さ……」


 それを見てポーラは膝から崩れ落ちた。




~あとがき~


 あの話とかこの話とかも解決しておきたいんだけど…長くなる予感が?


 そしてポーラは何を見て膝から崩れたのか?




© 2024 甲斐八雲

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