姉さまはお風呂好きですよ
「ああ……あふっ……あふふっ」
“戻る”と同時にその人物は膝から崩れ落ちた。
美しい女性だ。美人という言葉を持って生まれたような美女だ。そんな女性が前屈みに崩れ落ち……無言で自分の腰をポンポンと叩く様子はある意味で異様だ。
理由はある。こうなったのには訳がある。最初は圧勝していたのだ。まるで子供でもイジメるような感じで一方的だった。調子に乗って可愛い妹に自分が得ている手管の色々を披露し、あの馬鹿な男は悲鳴を上げて噴水と化していた。
機嫌が良かった。妹が『凄い凄い』と言ってくれた。だから調子に乗った。乗りまくった。満足だった。心から満足した。
ただ……途中から違和感を得た。何度搾ってもあれは復活して来るのだ。
過去にも“絶倫”と呼ばれる客は居た。自称だったり呼称だったりもしたが確かに居た。でもその全てを自分は、自分の技術で打ち倒してきた。その中に何人かターゲットも居たからついでに命も刈り取った。美味しいお仕事だった。色んな意味で満足できた。
自分は負けなしだった。そのはずだった。
あれはたぶん絶倫ではない。底なしの体力と言う訳ではない。ただ回復力が尋常では無いのだ。あれを絶倫というのであれば、あれはそうなのかもしれない。でもあれは純粋に回復力が底なしなのだ。
《腰が……》
ダメージが半端ない。
特に腰へのダメージが尋常ではない。
一生分の何かを一晩で味わい尽くしたような……そんな感じだ。
《負けられない》
言い訳はしない。負けは負けだ。今回は素直に負けを認めよう。
だが戦いはまだ終わっていない。次に会った時は必ずあの男を、
「な~」
「……」
可愛らしい声に顔を上げると、そこにはフードのような物で顔を隠した小柄な人物が居た。
フードには猫のような耳が見える。というかその小柄な人物の背後ではフワフワと猫の尻尾が揺れていた。つまり猫だ。猫が居た。
「にゃ~」
猫の鳴き声を発する小柄な人物が顔を上げた。
笑っていた。
猫……ファシーが笑っていたのだ。
「何よ? 私に負けた猫が何の用かしら?」
こちらの状態としては最悪だ。何より敵は万全の状態なのだろう。やる気に満ち溢れた笑みを浮かべている。圧倒的に不利な状況だ。
「心配するなよマニカ」
「……」
背後からの声にマニカと呼ばれた女性は静かに視線を巡らせた。
壁に寄り掛かり立つ人物は……高身長で長い紫の髪を持つ人物だ。何故か艶やかなドレスを纏っているが、その装いが兎に角似合っている。もう少しで飛び出してしまいそうなあの豊かな胸は凶器と呼んでも良い。なんて羨ましい。
「猫はお前の死体を弄べれば良いらしいぞ?」
「……ジャルス」
想定外だ。今の状況では猫の相手をするだけでも精いっぱいなのに、破壊魔までもが待ち構えていたのだ。
「……」
無理だ。どう考えても勝ち目はない。
それでもマニカは立ち上がり2人を迎え撃とうと、
「シャーっ!」
「あっ」
唸った猫が喉に食らいついて来た。全力でガブッとだ。
「あ~」
声が、というか音しか出ない。
ただ一音を放つマニカは、自分の視界が暗くなっていくのを感じた。
「おい猫。約束が違うじゃないか?」
「ふんっ」
ゴキっと鈍い音が響いて猫が獲物の首を折った。
「まだ、生きてる」
「……そうかよ」
生きているの定義に疑問を抱きつつも、ジャルスは猫が床に落とした首の折れたマニカの頭を掴んだ。
「まあ良いか。付いて来い。猫」
「にゃ~」
ズルズルと死体を引きずって行くジャルスの後を猫が追う。
その様子に魔眼の中枢に居た者たちは全員が震え上がった。それからしばらくすると低く鈍い打撃音と、ケタケタと笑う猫の声が響いて来て……またも魔眼の中枢に居た者全員が震え上がるのであった。
その日からマニカの姿が消えた。時折猫が何かを思い出したかのように散歩に行っては、全身を真っ赤に染めて帰って来るようになったが……彼女が何処に隠れたのかを誰も知らないと言う。
というか恐ろしくて聞けないとも言う。
神聖国・都の郊外
太陽が赤い……何故だ?
「兄さま。そんなに目を充血させていれば太陽もまた赤く見えるかもしれません」
そして妹との距離が微妙に遠い。何故だっ!
「兄さま。とりあえずお風呂に入ってください」
「はい」
汚物を見るようなポーラの目に僕は何とも言えない気分になる。
だって仕方がないじゃないか。僕もビックリだ。どうしてこんなにもカピカピに?
それより何より納得いかないのはノイエだ。僕と同じぐらいドロドロに汚れていたのに、外に出てただ立っているだけで綺麗になった。
汚れがノイエの体を滑って落ちていく感じで綺麗に流れ落ちたのだ。あれは卑怯だ。
ノイエにあんなお風呂要らずの技があったとか知らないんですけど?
「でも姉さまはお風呂好きですよ」
「そうか?」
「はい。みんなに洗って貰えるのが好きみたいです」
受け応えするポーラは何故か疲れた表情をしている。
まあ昨日なんて途中からずっと悪魔が色々と体を使いまくっていたから疲労困憊なのだろう。
「ポーラも疲れているなら無理しないで」
「大丈夫です」
だが我が家の妹メイドは背筋を伸ばしてそう返事をしてくるのです。
「そんな疲れた顔で……無理矢理笑うな」
「ご主人様に心配されるのはメイドとして失格なので」
「そもそも君は妹ですから」
「妹としても兄さまに心配されるなんて失格です」
君の合格水準が全体的に高いのは、きっと叔母様が悪いのだと思います。
「疲れているなら本当に無理しないでね」
「いいえ。兄さまほどではありません」
疲れた顔でそんな哀れんだ目を向けないで。
知ってる。今の僕には説得力が無いことぐらい。
何故なら今の僕は半裸で仰向けになり寝そべっている。
理由は簡単だ。貧血で倒れた。全ては昨夜の濃厚すぎる時間が悪い。
マニカ……あれは本当に恐ろしい相手だ。先生にお願いして二度と外に出て来ないようにして貰おう。まさか自分が噴水と言うか、蛇口にされてしまうとは思わなかった。あれが本当に溢れんばかりと言うのだろうな。途中で死を覚悟したよ。
ただそのお陰でなのかノイエが上機嫌だ。今ものんびり空を見ている。
問題は全裸なんだけど、周りに人は居ないとポーラが言っていたから大丈夫だろう。
伝説の高級娼婦は伝説のまま消えて貰おう。あれは本当に危険だ。
それにノイエも悪い。終始『違う。違う』とか言って僕のことを軽く叩きながらマニカを煽っていた。だからあれが調子に乗って次から次へと見たことの無い技を披露して……最後は記憶が飛んだ。ノイエが『これだ』とか言ってた辺りで完全に記憶が途切れた。
あと薄っすらと覚えているのはとにかく腰が蕩けてしまいそうなほどに気持ち良かったことだ。それと何だか野性に目覚めた感じがした。やはり人は気持ち良くなりすぎるとダメっぽい。最終的に猿になるのだな。この辺は今後の為にも教訓にしよう。
「兄さま。少しですが水が出来ました。飲みますか?」
「あ~うん。でもその前にポーラが飲んで……何故口に貯めてこっちを見る。嚥下なさい」
ウチの妹様が口いっぱいに水を含んで笑いながら近づいて来るのです。
「ノイエ~」
「はい」
スッと移動して来たノイエが、ポーラを捕まえて正面からディープなキスを実行する。
ジタバタと暴れた妹様の唇と一緒に中の水分を奪い取ったノイエが濡れた口元を拭い……ウチのお嫁さんは全裸で何をしているんでしょうね?
「で、ポーラさん」
「……はい?」
何故か地面の上で座るポーラさんが頬を赤くしてぼーっとした表情を浮かべている。
ノイエさんはキス好きだからな~。
「アルグ様」
「はい?」
「この子強くなってる」
「はい?」
ポーラが強くなっていると?
「何したの?」
「……」
呆然としていたポーラが僕の声に反応し、パンパンと自分の頬を叩いた。
「魔眼で修業を」
「はい?」
「ですから修行を」
「……」
ノイエの魔眼はかの有名な精神とあれの部屋か何かなのでしょうか?
~あとがき~
最低の戦いが終わりマニカは執念深い猫の手により…南無南無w
これにてしばらくマニカの出番はないでしょう。少なくとも猫の身に何かが起きてマニカをミンチにすることを止めない限りは
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