お姉ちゃんの手で噴水になった

 神聖国・都の郊外上空



「そろそろ戻らないと……」


 横向きの箒に座り、掌に顎を置いてそれを漠然と眺めていた小柄のメイドは長い息を吐いた。


 大人げなく八つ当たりをした。

 色々とあって感情的になっていたとは言え、大人げない八つ当たりだ。

 自分たちが望み実行してやって来た異世界だ。それが結果として巻き込まれであったとしても何の問題がある? むしろ感謝するべきだ。それなのに八つ当たりをした。


 もう一度息を吐いて頭を振る。


 あの兄になら多少文句を言っても大丈夫だろう。

 基本鈍感だ。時折鋭い時もあるが姉と一緒で姉に何ら害が無いなら鈍感のままだ。

 たぶん自分の言葉も冗談や揶揄いの言葉などと思って飲み込んでくれる。それか右から左へだ。


 帰国した後で間違った振りをしてあの赤毛の魔女以外の特別な映像をこっそり挟んで見せれば問題無いだろう。むしろ感謝するはずだ。


 良し。兄への謝罪はこれで良い。思考も安定したから1人反省会のスタートだ。


 そもそも魂は専門外だった。確かに兄の回復力は異常ではあったが、それはあくまで姉の魔法の効果だと……落ち着いて考えればそれでは辻褄が合わない場面が何度もあった。

 つまり兄は、あれは、自力で多少の怪我など回復できるということになる。


《神の領域ね》


 でもそれはあくまで地球上での効果だ。異世界では違うはずだ。

 そう考えるとある一つの仮説が生まれる。たぶんこの世界はゴミ箱なのだ。

 地球の神たちが“邪魔”と判断したモノを送り込む大きな大きなゴミ箱なのだ。


 そう考えればしっくりと来る。


 何故なら召喚の魔女の魔法を使っても日本から、地球から、偉人の召喚はできなかった。

 過去の英雄は連れて来れなかったのだ。


 ランダムアタックで呼べた存在は、尖り過ぎていた存在だった。


 さぞかし召喚の魔女が召喚魔法を多用した時は、あっちの世界の神たちは喜んだことだろう。

 自分たちからして邪魔になりえる存在をこの世界に大量放棄できたのだから。


《酷い話ね》


 本当に酷い話だ。

 自分たちが過去に作った廃棄場所……あの小さいのに超乳の故郷のような場所がこの世界なのだ。


《私たちはゴミ箱の中で争っていたということね》


 納得だ。だからこの世界の神はおかしかった。違う。狂っていたのだ。しいて言えば真面目過ぎたのだ。

 決められた仕事を忠実に……自分の意思など無く忠実に使命を全うしようとしていた。


《あの神はこの世界の管理を、ゴミ箱の中のゴミの管理をしていただけの存在って訳ね》


 分かれば分かるほど笑いが込み上がって来る。


 もっと早くにそれを知っていれば……違う。知っていても何も変えられなかった。


《愚かよね。本当に》


 愚かすぎて滑稽を通り越して無様でしかない。


《ああ。だから……そう言うことか》


 謎のいくつかが解明できた気がした。

 誰が描いたシナリオかは知らないが本当に酷い話だ。


《だったら全力で壊してあげるわよ》


 何度もそれをした自分たちだ。その1人だ。


 もう一度それをすることに何の躊躇いがあろうか?


 笑いながら箒の上に立った存在は、茜色の空に向かい口を開いた。


「やってやるわよ! もう一度この世界を狂わせてやる~!」


 外部からの強制リセットなど認めない。それはルール違反だ。

 だったら盤上の上に立つ自分たちが自らリセットボタンを押すべきだ。


 少なくともそっちの方が自然なはずだ。はずなのだ。


「やってやるわよ……ば~かっ!」




 神聖国・都の郊外



「で、姉さま?」


 どうにか入手した食料を抱え戻って来た小柄のメイドはそれを見た。

 全裸で瓦礫の山の上に腰かけている姉の姿を。


 もう全身がツルツルとしている。ツルンツルンだ。

 女性フェロモンが大量に分泌している。故に妖艶だ。


「ご飯?」

「どーぞ」

「はい」


 スッと瓦礫の山を下り、姉が無音で横に着地する。

 持って来た果実の山に手を伸ばし、次から次へと口へと運ぶ。


「で、姉さま」

「もぐ?」

「兄さまに何したの?」

「……」


 モグモグごくんをして『姉』と呼んでいるノイエがこちらを見た。


「いっぱいした」

「あっそう」

「凄かった」

「良かったわね」

「いっぱい出た」

「それはそれは」

「アルグ様が、」


 果実を掴んでモグモグしてから姉が言葉を繋げた。


「お姉ちゃんの手で噴水になった」

「それって大丈夫?」

「喜んでた」

「本当に?」


 姉の言葉は色々と怪しい。


 と言っても間違いなく惨劇であろう壊れた馬車の中は覗きたくない。

 もう何と言うか臭いで分かる。とにかく濃厚なあれと汗の臭いが咽るほどに濃い。



「大丈夫」

「何が?」

「アルグ様は強いから」

「……そうね」


 相手の言葉に苦笑し、メイドはその場から離れることを選んだ。


 と、腕を掴まれた。姉にだ。


「もう平気?」

「何がかしら?」

「泣いてたから」

「あれは……もう平気よ」


 泣いたところで何も変わらない。

 あの子たちは過去に死に、そして昨日消した存在はただの亡霊だ。


「本当に?」

「しつこいわよ姉さま」


 相手の手を振り解き、メイドは自分の顔を指さした。


「何処に涙が?」

「モグ……ここ」


 言って姉が手を伸ばしてくる。自分の小さな胸の上にだ。


「ずっと泣いてた」

「そんなに泣いてなんて」

「ずっと泣いてたから」

「……」

「あれ。最初? 初めて? その時からずっと」

「……そうね」


 ようやく気付いた。確かにそうだ。

 自分はずっと泣いていた。ずっと、ずっと泣いていた。


 いつからか? そんなことはもう覚えていない。分からない。何故ならずっとずっと前からだ。

 どうして? そんなことは決まっている。自分が愚かでたくさんの失敗を重ねてきたからだ。


「私はきっとこれからも泣き続けるのよね」


 何故ならそれが宿命だからだ。自分の運命だからだ。

 数多くの失敗をして、それを隠し誤魔化し生きてきた罰だ。


「だから終わりが来る日まで私は泣き続けるのよ」

「はい」


 柔らかくて暖かな物が後頭部に押し付けられた。

 姉の胸だ。後ろから姉が抱きしめてくれたのだ。


「大丈夫よ。今は泣いてないから」

「泣いてる」

「そうね……そうかもしれない」


 姉の言う通りだ。結局自分が泣き止むことは無いのだろう。

 終わりを迎える日まで泣き続けるのだ。


「でも大丈夫よ。私は泣きながらも顔を上げて前に進むから」

「はい」

「……姉さま」

「なに?」


 少しだけ背後の姉に体重を預ける。柔らかな相手が優しく包み支えてくれる。


「私の手伝いをしてくれる?」

「……アルグ様が決めること」

「手伝ってくれないの?」

「アルグ様がそう決めたら」

「約束はしてくれないのね?」

「はい」


 拒絶ではない。その声から拒絶は伝わってこない。


「なら私は最後までちゃんと前を向いて頑張るから」

「はい」

「いっぱい泣いても頑張るから」

「はい」

「だから姉さま」

「はい」


 ゆっくりと相手の胸から、その谷間から頭を離す。


 カピカピとした何かが頭から離れる。否、たぶん頭にいっぱい付着しているはずだ。


「もうっ! 何で全身そんなにも汚れているのよっ!」

「アルグ様が悪い」

「確かにそうだけどっ!」

「お姉ちゃんが悪い」

「それもそうだけど!」

「噴水凄かった」

「と言うかあの兄は本当に生きているの? ねえ?」

「はい」


 何故か視線をずらした姉のリアクションに頭痛を感じた。


「あ~もうっ! 決めた! 今決めた!」


 絶叫し小柄なメイドは壊れた馬車に顔を向けた。


「帰国したらしばらく休む。絶対に休む。何があろうが、何が起ころうが、全力で魔眼の中でゴロゴロして外に出ない」

「アルグ様が悲しむ」

「知らないわよ!」


 姉の言葉を振り払いメイドは地面を踏みつけ馬車へと向かう。


「決めたの! そうするって決めたの! 何で私がこんな馬鹿な、」


 閉じられている馬車の戸を開き、突入しようとしたメイドは一度動きを止めた。

 ゆっくり瞼を閉じて、開いて……深呼吸すると余りにも濃厚な何かに咽た。


「姉さまっ!」

「アルグ様は大丈夫」

「そっちはね!」


 これだから天然はっ!


 慌ててメイドは突入すると思考する。というか止められるのか? 無理か? あれは何だ?


 たぶん理性が吹き飛んで野獣と化した兄の姿だ。


 というか魔力を感じる。獣化の魔法かっ!


 野獣と化している兄を止める手は……あった。


「姉さま!」

「モグ?」


 食事を再開していた姉を見る。

 これしかない。


「高級娼婦が壊れる前に救出を!」

「喜んでる」

「逝き狂って声も出ないだけよ!」


 これを、この状況を喜んでいるのならこの娼婦はある意味で凄い人物だろう。


 確かにこの娼婦は百戦錬磨の強者だったのかもしれない。

 ただ1つだけ計算間違いがあった。兄の回復力だろう。あれは何度でも蘇る類のあれだ。


《死に直面すると魂が強化される? 何よそのチートはっ!》


 頭を抱えて蹲るのは簡単だ。問題はそんなことをしている間に手駒1つが壊れてしまう。

 何より兄の方も心配になる。


「つかどうして兄さまにあの魔法がっ!」

「頑張った」

「うぉいっ!」


 思いもかけない言葉にメイドは振り返る。

 姉が胸を張って軽く踏ん反り返っていた。


「ファのあれをあれした」

「……マジか~!」


 納得した。あの猫の魔法、獣化を姉が使ったと言うのか?


 この姉がある意味で一番のチートだ。やることがぶっ飛んでいる。


「姉さまっ!」

「はい」


 問題はどうやって姉にこれの相手をさせる? 簡単だ。


「学んだと言うものを見たいな~。見てみたいな~。見せてくれないかな~」

「……モグモグモグモグ」


 一気に果実が消えた。


「ふぅ……見せる」

「お願いしますっ!」


 軽い足取りで姉が馬車の中に入っていく。


 そしてしばらくしてから……獣の咆哮が轟き響いた。

 絶命っぽい感じの声でだ。




~あとがき~


 主人公w

 噴水になったり獣になったりと大忙しだな主人公よ。

 ちなみに刻印さんの推理が正解とは限りませんのであしからず




© 2024 甲斐八雲

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