おにーちゃんをイジメた人はゆるさない
「疲れるわね……これって」
外から中へと戻りコキコキと肩を鳴らして立ち上がったクルーシュは、軽く一回りして視線を歌姫へと向けた。
出て行った時と余りにも様子が様変わりしていたからの行動だ。
「私が外に出ている間に何が?」
「別に? ただ何人か戻って来ただけよ」
「……」
何かを押さえ込んでいる歌姫は『問題なんて何もなかったわよ?』と言いたげな口調でそう告げてきた。
歌姫と一緒に居る全裸の人物には見覚えが無い。深部で燻っていたせいで人との関りが……あれ? もしかしてファナッテだろうか? どうして毒の息吹が?
軽く後退しつつクルーシュは2人が押さえ込んでいる人物の見当を付けた。
リグだ。一部分がとても目立つ医者だ。
「で、私を恐ろしい視線で睨みつけている人物はどうしてこんなに不機嫌そうなの?」
「アイルはいつも不機嫌よ」
「歌姫?」
揶揄うようなセシリーンの言葉に反応した魔女の声に、当の歌姫は軽く肩を竦めて自分の尻の下に居るリグの脇をくすぐる。
ファナッテと2人でリグを玩具にしている様子だ。
「クルーシュ」
「……何かしら?」
軽く身構えクルーシュは魔女と対峙する。
相手はあの術式の魔女だ。最低最悪と呼ばれる『腐海』と言う魔法を使う冷酷な存在。
彼女の魔法でどれほどの人物が魔眼の深部で腐った液体にされてきたことか。
特に有名なのが毒の息吹と呼ばれたファナッテだ。徹底的に狙われ融かされていた。
ただ自分の知らない間に何かが起きてファナッテは融かされる運命から逃れたらしい。代わりに何故か全裸になって現在リグの足の裏を全力でくすぐっている。リグは激しく抵抗している様子だが、2対1では勝ち目が無いらしい。声にならない悲鳴を上げていた。
「見渡しても貴女の味方は居ないわよ」
「そうみたいね」
歌姫も毒の息吹も関心が無いわけではない。チラチラと視線を向けられている。けれど手も口も出さない様子から関わる気は無いのだろう。つまりは何かが起きたら自分で対処するしかない。
グッと右の拳を握ったクルーシュは、自分の上半身に言いようのない不快感を覚えた。動かそうとして微かな抵抗を感じたのだ。
「何かした?」
「ええ。私は弱い魔法使いだから殴られたら死んでしまうの」
「……」
『どの口が?』と言う言葉を飲み込みクルーシュは違和感の強い両腕を見つめる。
一瞬キラキラと何かが反射したような気がした。
「糸?」
「正解」
やる気のないパチパチとした拍手を寄こす魔女が、背中を預けていた壁から離れる。
「貴女が外に出ている間にその体に蜘蛛の糸を張り巡らせてもらったわ」
「あ~。それはそれで嫌な気分になるんだけど?」
「そう。でも蜘蛛の糸ってすごく便利なのよ」
その手をクルーシュに向けた魔女が掌を上へと向けて指を折る。
ギリッと両腕が軋む音を発してクルーシュは理解した。相手の言葉が事実であると言うことをだ。
「……私は何か魔女に対してしたかな?」
「あら? 言わなければ分からない?」
「分からないわ」
ここまで魔女の逆鱗に触れるようなことをした記憶がない。にもかかわらず魔女は激怒している。冷たい表情の下にどれほどの怒りを燃やしているのか……その怒りが全て自分に向けられていると知りクルーシュは全身を震わせた。
「本当に身に覚えが無いのかしら?」
「……」
何をした?
そう自答するクルーシュだが、特に思い出すことは無い。
今まで外に出てノイエの夫と共に逃げ回っていただけだ。
「魔女は貴女が彼を荷物のように引きずり回したことを怒っているのよ」
「……」
歌姫の透き通る声にクルーシュは『ああ。それか』と頷きかけて、慌ててセシリーンを見る。
いつも通りの笑みを浮かべている彼女の様子からそれが事実だと言わんばかりだった。
「そんなことで?」
「ん?」
「ががが」
上半身が激しく締め付けられてクルーシュはその目を魔女に向ける。
先ほどとは違い明確にその目には怒りが見て取れた。
どうやら歌姫の言葉が正しいらしいと理解した。
「待ってくれ。待って欲しい。あれはあの怨嗟から逃れるために仕方なく」
「それで仕方なく彼に打撃を加えたと?」
「あれは……」
いつもの自分のドジが原因だ。細かく言うと自分のドジは、頭と体の誤差が原因らしい。
その昔師である人物がそう言っていた。思いに対して体の反射がそれを上回ってしまうからバランスを崩すとか何とかだ。つまりしたくてやったわけではない。
「彼の股間を潰そうとした」
「あれはあくまで事故。事故なんです」
「……そう」
冷たく笑った魔女がパチッと指を鳴らす。
クルーシュは自分の両足が床から離れる感じを味わった。両足を掬われて転ばされた感じだ。
「事故なら仕方がないわね」
「……」
冷たい魔女の言葉にクルーシュは全身を冷たい汗で濡らす。
「だからここでもし悲しい事故が起こったら……あくまで悲しい事故よね?」
「落ち着いて魔女。話せば」
「ええ。話せば分かるわ」
近づいてきた魔女が上から覗き込んで来る。
その様子にクルーシュは更なる震えを感じた。
能面のような魔女の表情が冷たすぎるのだ。
「だから私は何もしない」
「……えっ?」
覚悟を決めていたクルーシュは、魔女の言葉に驚いた。
自分が救われたのだと理解し、
「ただ彼女はどうするかしらね?」
『彼女とは?』
疑問を浮かべるクルーシュの視線を無視して、魔女はスッとその場から移動する。
代わりに姿を現したのはファナッテだ。毒の息吹だ。
屈託のない少女のような笑みを浮かべている。
「おねーちゃん」
「……」
話しかけて来る相手に恐怖を覚えた。
言いようのない……しいて言えば迫り来る嵐をクルーシュは相手の様子から感じた。
「おにーちゃんをイジメた人はゆるさない」
「違う。話しを、もぐっ」
近づいてきたファナッテの顔がクルーシュとの距離を一気に詰めた。唇と唇が接触する距離……むしろそれ以上に接触してからファナッテが動きを止める。
深々と唇を交わし、ファナッテがゆっくりと離れた。
「おやすみなさい」
「なに、をっ!」
そこからはもう声にならない。
クルーシュは焼けるような激痛を発する喉や胸を……封じられた両腕を回せずただただ暴れるように床の上を転がり、そして動きを止めた。
クルーシュは……完全に絶命していた。
神聖国・都の郊外
「あ~。ようやく分かった」
「……」
お互いの会話が噛み合わなかった原因が謎解けたよ。流石僕だ。前世はたぶん名探偵だったに違いない。真実はいつもじっちゃんの名にかけてだ。
「違う。アルグ様はおんみょーだって。おんみょーって何?」
知らん。おんみょーて何ですか?
そんな新手の生物名を僕は知らない。過去に絶滅した系ですかね?
僕とポーラの会話を自称青い猫の上に乗ったノイエが眺めていた。
どうやら彼女は青い猫の上が気に入ったらしい。
「動かなくて良い」
「おひおひ」
それはどうなんでしょうかお嫁さんよ? まあそれは良いとして……ポーラさん? そろそろ立ち直っていただけますか?
「酷いです……」
いじけたポーラが体育座りで拗ねている。
ですが落ち着こうか? 僕が君を孕ませるわけないじゃないですか? 兄妹ですし、まだ未成年ですしね。
「……」
恨みがましいポーラの視線から華麗に逃れ、僕は青い猫の前に立った。
「と言う訳でノイエよ」
「はい」
猫の上に座り直したノイエがめっちゃ可愛い。
青い球の上でペタンと女の子座りをしている感じだ。
「人道的にどうかなって思うけれど、ここは僕の暮らしていた世界じゃないのでセーフと言う判定を得ています」
「はい」
「ですので」
これが僕が出せる最終手段です。
「養女を得ようと思います」
「……」
首を傾げるノイエはピンと来ていない様子です。
「帰国したらミネルバさんにお願いして、お母さまの所から乳飲み子を我が家に迎え入れて貰えるように交渉して貰います」
「……」
ビクンとノイエのアホ毛に反応が。
「赤ちゃん?」
「養女だけどね」
養子じゃないのはドラグナイト家の継承的な問題が面倒臭いからです。
養女なら最後お嫁さんに出してしまえば継承的なモノは消失するので。
何より現在僕ら夫婦の次に継承権の上位者はポーラだ。
ポーラが娘を得るとまた面倒臭いことになるから、やはり代理母親はミネルバさんたちメイドさんにお願いするしかない。
「でもこの方法でならノイエが赤ちゃうを得ることが出来ます」
「……」
ブンブンとノイエのアホ毛が犬の尻尾のように左右に揺れだした。
~あとがき~
ファナッテの体液はそれだけで猛毒です。
つまり普通にキスをすると軽く死ねます。その効果が発揮されない主人公は…まあ説明すると長くなって面倒臭いことになるので、ここではなくて本編で語るかと思います。
道徳的にあれですが、貴族の世界だと養子は普通ですしね。
ただこれの問題を主人公は理解していません。帰国してから地獄を見なきゃ良いけど
© 2023 甲斐八雲
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