硬いモノが当たるんだけど?

 神聖国・都の郊外



 暗闇の中を歩く。

 一寸先は闇である。

 何も見えない。

 けれど向かう先は分かる。

 何故だか分からないが分かる。


 分かる。


 だから歩く。暗闇の中を。

 全身を撫で回すような感触を味わいながら。

 事実全身を怨嗟が撫で回して行く。

 不快ではない。むしろ心地よい。

 故郷にでも戻って来たような感覚だ。


『誰だ?』


 不思議なほど軽い足取り……背中に羽でも生えたかのように軽やかに進んだ奥にそれが居た。


 人の形をした怨嗟だ。呪いだ。悪意だ。魑魅魍魎だ。

 地獄と母親が呼んでいた場所に居た存在にも似ている。天国だったかもしれない。どうでも良い。


「貴方は誰?」


 だから少女は声をかけた。

 恐ろしい視線が向けられても気にせずにだ。

 ただ暗闇の中であるから相手の姿は……恐ろしいほどくっきりと見える。見えるのだ。


『俺は……雷帝』


「雷帝?」


『雷帝だ』


 相手の声は声ではない。

 脳内に直接響いて来る類の声だ。音だ。


『お前は誰だ?』


 相手の正体を問うた以上当たり前の返事が来た。


「私は……」




「重い」

「……」


 相手の不満が聞こえて来るけど今は何も語れない。

 余りの激痛に下顎がガタガタと震えて喋ることが出来ない。

 終わったかもしれない。今回ばかりは色んな意味で終わったかもしれない。


「あ~鬱陶しい」


 淡く光ったノイエ……クルーシュさんが群がって来た“何か”を殴り飛ばして消滅させる。


 その拳が余りにも速くて、一瞬空気が『パシッ』とか『ピシッ』とか鳴く。

 何となく彼女の二つ名である“雷鳴”の由来が分かった気がする。


「くるーふしゃん」

「はい?」


 拳を振り終わった彼女が僕を掴んでズルズルと引きずって行く。


 両足首を掴まれ万歳状態で運ばれる僕の姿は誰にも見せたくない。

 恥ずかしいと言うかこれって死体の類を運ぶ感じじゃありませんか? 僕はまだ生きてるよ? 男としての何かが終わった気がするけど?


「可愛いノイエの旦那さんを抱えて逃げると……ちょっと無理かな? 倫理的に」


 懸命に言葉を紡いで相手に不満を打ち明けたら、意外とまともな答えが返って来た。


「これでも私は未婚なわけだしね。未婚の女性が妹のような存在だったノイエの夫を抱えるとか……うん。やっぱり無理かな。うん」


 頭の中で何かを考えたらしいけど、そう結論が出たらしい。


「何よりも他の面々はもう少し節度を持つべきだと私は思うんだけどね」


 まさかの常識枠だと?


 ノイエの中に常識枠が居たとは思いもしなかった。


「不倫をするような野郎はロクな人間じゃないから殴り殺しても良いと思うし」


 前言撤回。やはりバリバリの武闘派でした。何よりこの人は有言実行している。僕の息子のあれがそれしてこれして実に痛い。


「貴方がノイエの夫だから大目に見ているんだからね? 何処かノイエもそれを望んでいるようにも見えるから」


 一度言葉を止めて彼女は僕の足を地面に落とすと淡く光って周りを殴る蹴るの大暴れだ。

 途中から僕が黙っていたのは、僕に向かって覆いかぶさって来る“何か”に口を塞がれてしまうからである。

 このお姉さん……僕を餌にして“何か”を集めて退治している節がある。


 まあノイエから貰った力のお陰で僕はまだ何ら被害を負ってはいないけれど……ゾンビチックな存在に抱き付かれるこっちの身になって欲しい。嘘嘘。今の嘘。僕に抱き着いているのは“何か”ですから。一度でも“何か”をゾンビとか思ったら精神的に死んでしまう。せめてスケルトンの方が良い。ドロッと中途半端に肉の残っているのに抱き付かれるこっちの身になって欲しい。


 ただクルーシュさんが殴ると綺麗に消えるので、あのグチョッとした何もかもが幻なのかもしれないが。


「ノイエは本当に良い子だったんだけどね……ただ家族に憧れがあったのかな。何度か私の所に来ては『みんな家族』ってよく言ってたわ」


 懐かしむように彼女はノイエとの昔話を聞かせてくれる。


 ただその話を聞く限りやはりノイエはノイエだ。昔から何も変わらない。

 家族と師匠である人物を殴り殺したクルーシュさんは、あの施設で特に何をする訳なく空を見てばかりの生活だったらしい。何でも動き回るとドジっ子属性が発揮され、擦り傷切り傷を負うので余り動きたくなかったとか。


 だから動く必要が無ければ空を見上げて……するとノイエがやって来る。

 やって来たノイエは『みんな家族だよ』と言っては横に座り一緒になって空を見てボーっとしていたらしい。


 ノイエらしいと言えばノイエらしい。


 そのうちノイエがあのカミューに憧れて拳を振るう真似事を始め、ついついその動きに対して口を挟み指導していたら懐かれたとのことだ。

 きっとノイエが懐いたのではない。クルーシュさんがノイエを受け入れたのだろう。


 彼女の過去を聞く度にみんながノイエを嫌い、それでも懲りないノイエを最終的に受け入れる感じだ。

 だからクルーシュさんもノイエを受け入れたに違いない。


「煩いわね。ノイエが懐いて来たのよ」


 隙を見て相手に指摘したら、彼女は何処か恥ずかしそうにそう返事を寄こした。やはり図星か。


 まあ過去のノイエの間の詰め方は半端なかったらしいから……あれ?


 ズルズルと万歳体勢で地面を引きずられている僕の視界に何とも言えない光景が。


 僕の元へ這い寄って来ていた“何か”が何かに引っ張られるように遠ざかって行く。しいて言えば掃除機で背後から吸われて行くゴミの様だ。


「くるーふしゃん」

「はいはい」

「うひろ」

「はい?」


 まだ上手く喋れない僕の言葉に彼女が反応し足を止めた。

 肩越しに背後を見ていた彼女の視線が今来た道を見つめる。最初は面倒臭そうだった視線が真剣な物に変化し、その表情が険しい物へと変化した。


「何あれ……あんなの知らない」

「あに?」

「怨嗟のはずよ。そのはずなのに……もっと深い闇かしら?」


 どうやら本当にクルーシュさんにも分からないらしい。彼女は前言撤回とばかりに僕の両足をガバッと広げて胴体を押し込んで来ると太ももを抱えて一気に引っ張る。

 背中をズリズリされていた状態から、肩と首元をズリズリされる感じに変化した。痛さ倍増だ。


「あれは良くない。早く逃げないと」


 光ることを忘れて全力で逃走を図る彼女は必死だ。

 あの~。最悪僕を見捨てて逃げてください。


「なに馬鹿なことを」


 少なくともノイエが助かるならそれで良いっす。


「……」


 彼女は足を止め厳しい視線を向けて来た。


「それで助けられた者がどれほどの苦しみを背負って生きていくのかを少しは考えなさいよっ!」


 怒鳴られた。絶叫だ。


 でもポロポロと涙を落として僕を引きずって逃げる彼女の言葉は止まらなかった。


「私が悪かったのに命がけで救われて……救われた私はどうすれば良いのよ! 誰にどうやって謝れば良いのよ!」


 叫ぶ彼女の声が胸に響く。痛いほど響く。


「苦しいのよ! 辛いのよ! それだったらまだ助けられないで殺されていた方がマシだった……本当にそっちの方がマシだったのよ」


 嘆く彼女の言葉は本心だろう。だからこそ凄く胸に響いてとても痛い。


「けどそれって君を殺した人も同じでしょう?」

「……」


 君を助けようと、君に人殺しをさせないために決死の覚悟で立ち向かった師匠と言う人も同じ気持ちだったはずだ。


「何であれ生きていて欲しいんだよ」

「こんなに苦しいのに?」

「それでも……好きな人には生きていて欲しいんだよ」


 言ってて僕ですら苦笑したくなる。本当に人間ってエゴの塊だなって。


 でもそれがたぶん全てだ。誰も皆、自分の命を懸けてまで相手のことを助けようとする人なんて『生きていて欲しい』と言う気持ちで動いてしまうのだ。

 相手の気持ちですら置いてけ堀で、その気持ちに突き動かされて行動してしまう。


「クルーシュさん」

「何よっ」


 怒っている感じで彼女がぶっきらぼうな口調で返事を寄こす。

 その様子につい笑いつつも僕は改めてお願いをする。


「ノイエとまだ生きたいから助けて」

「……最初からそう言いなさいよね!」


 掴まれている太ももを両方ともギュッと握られた。


 それよりもズリズリされている肩と首がマジで痛いです。

 これはあれだな……後でリグにペロペロして貰おう。背後から抱き着いて貰って背中に自己主張の激しいクッションを押し付けて貰いながら。


「……ねえ君」

「はい」


 何でしょうか?


 クルーシュさんがとても冷たい視線を僕に向けていた。


「硬いモノが当たるんだけど?」

「……」


 ごめんなさい! ちょっと後のことを考えていたら僕の息子が大変な粗相を!


 らめ~! その握りしめた拳を何処に?


 いやぁ~!




~あとがき~


 雷帝とあれが合流してしまいました。

 カウントダウンスタートです。


 で、真面目な話を台無しにする天才な主人公は……それで良いのか主人公?




© 2023 甲斐八雲

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