それにこの世界は終わりません

「シクシク……やっぱりノイエも実の姉にはこんなにも甘えるのね」

「当り前だと思うけど?」


 悲しそうになく歌姫を見つめクルーシュは息を吐いた。


 まあ確かに胸の奥に来るものはある。あんなにも素直に甘えるノイエの姿を見るのは自称『ノイエの姉』を自負している者が見れば衝撃的だろう。

 歌姫はその目が見えないが、ノイエの甘える声でも十分な威力がある。


 かく言うクルーシュは姉を自称はしていない。そんな命知らずでは無かった。

 下手に自称でもすればカミューが来てそれはそれは恐ろしい形相で……思い出しただけで全身がキュッと締まる。最後は感情を発せない笑顔で殴って来るのだから本当に怖かった。


 あの恐怖を知った者は普通ノイエの姉など自称しない。けれど抜け道として『弟子』と称して可愛がるものも多く居た。歌姫もその1人だった。


「まあノイエが嬉しそうにしているのなら……あれ?」


 姉に甘えて居たはずが気づけば何故か取っ組み合いの喧嘩に発展している。意味が分からない。


「ごめん。話を聞いてなかったんだけどどうしてこうなったの?」

「ん~。ノイエが再度光るのを拒否したから?」

「納得」


 余りにも簡単な理由だ。


 基本ノイエは愛らしく素直な良い子であったが、実は一本筋の通った頑固者だ。

 故に一度そうだと決めると簡単に自分の思いをひっくり返さない。


「何かの時に『寝ない』とか言って周りを心配させたことがあったわね」

「ええ。確かカミューが風邪を引いて、それが治るまで寝ないで看病するとか言ったときでしょう?」


 相手の言葉にセシリーンも覚えがあった。


 風邪を引いて寝ていたカミューの傍に張り付いたノイエは本当に寝ようとしなかった。

 寝そうになると自分の頬を叩き、それでもダメなら木の枝を足に突き刺しと……周りが心配になるほどの頑固っぷりを見せたのだ。


 最期は『良いから寝ろ』とカミーラがノイエの脳天に踵を落として気絶させたのだが、その後にその行動が問題となって大喧嘩に発展したりもした……今に思えば懐かしい話だ。


「全力で良い話にしているけどクルーシュも暴れていたような?」

「巻き込まれたのよ。スハの馬鹿に騙されて」


 あの件の謝罪を受けていないから今度スハにあったらその腹に拳でも放って風穴を開けてやろうと決めた。


「で、どうやらノイエが危ないみたいなんだけど?」

「でしょうね」


 ノイエのことだ。仕方がない。


 気づけば“彼”を追いかけてノイエが怨嗟の中に飛び込んでいる。

 抱きしめ抱え上げて彼を守ろうとするのはやはりノイエだ。昔から何も変わらない。


「本当にノイエって優しいわよね」

「そうね」

「嫌になるほどにね」


 苦笑しクルーシュは息を吐いた。


「ねえ歌姫?」

「何かしら?」

「貴女は覚えている?」

「何をかしら?」

「あの日のことよ」

「……」


 相手の問いにセシリーンはただ苦い笑みを返す。


 忘れることなどは出来ない。あの日自分は大切にしていた存在を、それらを殺したのだから。

 それも周りの皆が自分と一緒に愛してくれて声を使って……。


「私も覚えている。当たり前だけど」


 クルーシュは握った拳を見つめた。


「いつもドジな私がその日に限ってコケることなく一撃でみんなを殴り殺したわ。凄いでしょう?」

「……笑って良いの?」

「ごめん。笑えないよね」


 優しい歌姫の言葉にクルーシュは素直に謝った。


「家族を殺して……そこで私に新年の挨拶に来た師匠と殴り合いになった」


 時と場所が悪かった。


 新年のお祝い……大半の者が家族とその日を迎えていた。故にあの施設に集められた者の大半が家族殺しをしている。悲しいがそれが事実だ。


「師匠は強かったわ。何せ聖女の技の一端を使って私に向かって来たのだから」

「それでどうなったの?」

「……時間切れかしらね」


 拳に向けていた視線が、視界が黒くなる。

 瞼を閉じたクルーシュは顔を上げ……ゆっくりと呼吸を整えた。


「聖女は血筋も大切だけれども、才能があればその一端を真似ることは出来るの」


 だからこそあの日師匠は命がけで自分を止めてくれた。

 家族を殴り殺した自分がこれ以上罪を重ねないようにと、自分が最後の被害者で済むようにと、身を盾にしてその攻撃の全てを食らい防いでくれたのだ。


「師匠を含めて4人の殺害で済んだと言うべきかしらね?」

「ええ。それはきっと感謝するべきことよ」

「感謝か……一度もしようと思ったことが無かったわ」


 また息を吐いてクルーシュは瞼を開いた。

 大丈夫。涙は出ていない。


「ねえ歌姫? 教えてくれる」

「何かしら?」


 軽く笑ってクルーシュはセシリーンを見た。


「どうやったらノイエの体を借りて外に出れるのか、を」




「拙いヤバいピンチピンチ」

「師匠?」


 どんよりとした目で床の上を転げ回るローブ姿の存在を、小柄なメイドが見下ろしていた。


「掃除の邪魔です」

「師匠がピンチなのにしんらつぅ~!」

「事実です」


 手にした箒で邪魔臭い師匠ごと床を掃き清める。

 メイド……ポーラの仕事は完璧だ。


「ちょっと埃が口の中にっ! ペッペッ……もう少し師匠を敬いなさいよね!」

「はいはい」

「片手間ぁ~!」


 憤慨すれども弟子は相手にせず。


 諦めて部屋の隅で体育座りの姿勢となったローブ姿の……刻印の魔女は、改めて現状を確認する。


 ピンチである。以上完結。刻印の魔女先生の次回作にご期待くださいな状況だ。


「弟子ぃ~!」

「少し待ってください。この隅の埃が」

「埃じゃなくて知恵を貸しなさい」

「……」


 床の傷から埃を穿りだしたポーラは、どんよりとした視線を師匠へと向ける。

 その半ばキレかけている弟子の様子に師である刻印の魔女は軽く狼狽えた。


「な、何よ? 仕方ないでしょ? 私だって緊急処置的なあれで」

「ですが兄さまを危険な場所に?」

「平気よ。姉さまが駆けつけるから」


 事実姉さま……ノイエが駆けつけ彼の護衛をしている。

 あれは世界で一番優れた護衛だ。殺そうとしても簡単に死なない。


「兄さまに怪我を負わせて」

「あれは……」


 それを言われるとちょっと痛い。

 焦っていたとは言え、確かに軽くろっ骨を何本か砕いた感触もした。


「平気よ。兄さまの怪我は姉さまがその大半を肩代わりするんだから」

「それでもです」


 怒れる弟子がジッと師である魔女を睨みつけて来る。

 腰に手を置き若干前屈みで……怒っていますアピールの強さに魔女の視線が泳いだ。


「師匠は一度兄さまを殺そうとしたんですよ? 自覚はありますか?」

「いや~。キングなあれの攻撃が思いの外強かっただけで」

「師匠?」

「申し訳ありませんでしたっ!」


 怒れる弟子の圧に負け、魔女は素直に土下座した。


 確かにあの時のことは計算外が重なった。ただその結果、兄さまは新しく祝福を得たのだから損はしていない。ちょ~っとだけ心臓が止まってしまったぐらいだ。問題無い。


「そうやって色々と計算違いを重ねた結果が今の師匠の状況じゃないですか?」

「……弟子の言葉が胸を抉る。私の巨乳の奥底を抉るっ!」


 自身の胸を押さえて魔女は苦しい呼吸を正した。


「私だって最善をですね?」

「その結果、外の状況は?」

「……姉さまが悪いんだもん」


 また膝を抱いて魔女は拗ねだした。


「私だって色々と頑張ってるんだもん。それなのに周りは評価してくれないし。何より姉さまがもう少し頑張ってくれればこんな事態には」

「でも発端は師匠ですよね?」

「……」


 弟子の言葉が容赦なく心を抉るのですが、何処に相談しに行けば宜しいのでしょうか?


 虚空の何かに訴えつつ魔女は小さく息を吐いた。


「分かってるわよ。私には子育ての才能が無いことぐらい」

「……」


 本当に分かっている。


 魔女は立ち上がり大きく息を吐いた。


「ユーアの子供たちだって私なりに一生懸命愛して育てようとしたのよ? でもあの子たちはユーアを信奉していた人たちの言葉に惑わされて踊ってしまった」


 反旗を翻し反乱を起こすぐらいなら別によくあることなので大目に見れた。

 終わってからあの兄妹を捕まえて尻でも叩いて教育的な躾をすれば済んだ話だ。


「でもあの2人は……違うわ。全部私が悪いのか」


 結局自分があの2人の母親に、家族になれなかったのだ。


 だから2人は使ってしまった。禁断の魔法を。


「禁忌に手を伸ばし兄は雷帝を。そして妹は……」


 思い出すと悲しみが溢れて来る。

 分かっている。全ては自分が悪いのだ。


「どうするんですか? 師匠?」

「どうしようかな」


 軽く頭を振って魔女は肩を竦めた。


「奇跡なんて簡単に起きないしね」


 だから諦めるしかない。あの2人が接触すれば、この世界は下手をすると終わってしまう。


「対始祖用の魔法は?」

「まだよ。完成してないわ」

「そうですか」


 あっさりと弟子が引き下がった。そして掃除を再開する。


「この世界が消えるかもしれないのに掃除?」

「はい」


 メイドですからと聞こえてきそうな弟子の声に、魔女は苦い笑みを浮かべる。


「それにこの世界は終わりません」

「どうして?」

「だって兄さまが居ますから」


 掃除の手を止めポーラは師を見た。


「兄さまと姉さまはとても簡単に奇跡を起こしますので」


 恭しく一礼をしてくるメイドの様子からは微塵の迷いも感じさせなかった。




~あとがき~


 全幅の信頼。


 基本ポーラは兄と姉を心の奥底から信じているので、この2人ならどんな不可能も可能にすると信じています。と言うか信じる必要すらありません。『するから』なので。


 ん~。クルーシュが外に出ると…はい? 主人公が一度死んでいる? 何を言っているんですか? あの馬鹿は生きているじゃないですか?

 ちょ~っと心臓が止まるとかギャグキャラ界ならよくあることですのでw


 で、馬鹿の怪我をノイエが…その辺は本編のどこかで!




© 2023 甲斐八雲

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