うらひへ~!

「ねえホリー」

「何かしら?」


 外から戻り動き出した殺人鬼にセシリーンは出来る限り自然な感じで声をかけた。


「ノイエの説得を彼は出来るのかしら?」

「出来るわよ」

「どうして?」

「決まっているでしょう?」


 魔眼の中枢に設置されている『外に出るための要石』から腰を浮かせて立ち上がったホリーは大きく背伸びをする。両手を組んで背伸びをし……これでもかと形の良い胸が服の内側から生地を押しのけるが、それを見る者は居ない。何故なら話し相手の歌姫は盲目だ。

 それにこの場には現在“彼女”しか居ない。


「ノイエも結局アルグちゃんに対して甘いもの」

「そうかしら?」

「そうよ」


 歌姫が思う限りノイエは彼に対して大変な甘えん坊だ。

 子供の頃……カミューが居た頃に戻ったかのように甘えて居る。


「結局2人ともお互いに対して“甘い”から大丈夫よ」

「本当に?」

「ええ」


 クスリと笑いホリーはその目を外に向ける。

 お願いしている彼に対して愛らしい妹が『つーん』と言いながら顔を背けている。でも必ず視界の隅に彼の姿が入り込み、結局無視できない妹の姿が可愛らしい。


「ノイエって昔から甘えん坊だったけど、こんなにも人を愛せるとは思わなかったわね」

「その意味は?」

「分からない?」


 首を傾げる歌姫にホリーはその顔を向ける。

 何故か自然と頬が緩んでしまうが相手は盲目だ。今の表情を見られることは無いから問題はない。


「恋愛“感情”なんて持っていないと思ったもの」

「それは酷いでしょう?」

「そうかしら?」


 だってあのノイエだ。何を考えているのか……少なくともホリーからすれば本当に何を考えているのか分からない“生物”だった。

 どんなに邪険に相手をしても毎日しつこく『本を読んで』と迫って来た嫌な存在だ。


 毎日腹立たしく払っても払っても甘えて来て鬱陶しくて……ならばと開き直って本を読み聞かせれば気絶寸前に陥って、でもそれを許さずに聞かせ続けた。

 ノイエのドラゴンに対する知識を叩き込んで覚えさせた自負はある。

 誰もが出来なかった偉業だと胸を張って誇りたいぐらいだ。


 でも分かっているつもりだ。


 ノイエが誰よりも人の内面を見て甘えてくる存在だと。

 実はずっと妹を欲しかった自分に対してあの子はそれを体験させてくれた貴重な人物なのだと。


「あの子は基本天才なのよ。それを微塵も周りに感じさせない部分はあるけど……そして何より本来のノイエは感情の塊だったわ」

「そうね」


 ホリーの言葉にセシリーンも小さく頷く。


 セシリーンから見ても確かにノイエは感情の塊だった。

 甘えん坊という単語が頭に付くが、それでも色々な感情と表情を見せてくれた。


 それを全て奪ってしまったのは自分たちであるということも忘れていない。決して忘れてはいけないことだ。


「あの子の笑顔は今でも忘れられないわね」


 記憶を読み取ることのできるセシリーンはその昔見せて貰った愛らしい弟子の笑顔を覚えている。

 記憶するしかないから必死にそれを覚えた。ノイエの笑顔をだ。


「だからあの子はもう人を愛せないと思っていたのだけど?」


 相手の本音にホリーは苦笑する。


「違うわ歌姫」


 それは誤解だ。


「あの子は表情を失った。それは私も認める」


 自分で表情を動かすことのできないのがノイエだ。

 きっとあの子の何かが表情と言うものを忘れてしまったのだろう。


「でもあの子はたぶん感情までも忘れていないわ」

「本当に?」

「ええ」


 普段なら恥ずかしいけれど相手が相手だから言える。

 何故なら歌姫は相手の表情は確認できない。言葉だけの、会話だけの相手だ。


「感情を失っているのならそもそも甘えないのよ」

「……」

「忘れてる? 甘えも感情の1つよ」


 はっきりと言い切るホリーの言葉にセシリーンも頷くしかない。

 言われてみればその通りだ。


 ノイエの甘えん坊は昔からでありそれが本質だと思っていた。だからセシリーンはそれを見落としていたのだ。

 甘えん坊の本質をだ。


「ちっ……だからノイエに恋愛感情があるとホリーは言い切るのね?」


 軽く舌打ちをして顔を向けて来た相手にホリーは軽く眉間に皺を寄せる。

 相手の癖とは言え会話中の舌打ちはとも思うが仕方ない。こちらの位置を確認するためにしていることだと理解しているから我慢できる。


「あるわよ。何よりあの子はアルグちゃんに何かあれば怒りもするし泣きもするもの」

「そうね」

「けど表情が死んでいるから皆が勘違いをする。ノイエには感情が無いとね」

「でもあると?」

「ええ。そう思ってあげるのがお姉ちゃんじゃないの」


 クスクスと笑いホリーは歌姫に向けていた顔を上げた。

 相手が床に座っているからつい腰をかがめ低い位置を見ていたせいでノイエが見ている世界が見えなくなっていた。改めて視線を向ければ……愛しいアルグちゃんの後頭部を見下ろす妹の視線があった。


 土下座だ。彼が困ると即見せる自称最大級の懇願らしい。そして何故か謝罪でも使用されると言う不思議な姿勢だ。


「アルグちゃん……」


 流石の余裕の無さにホリーとて呆れてしまう。

 ノイエを動かすなら“感情”を動かせば良いのだ。たぶん彼は自分の嫁に感情が無いと思っているのだろう。


「今度外に出たらアルグちゃんを躾けてあげないと……くふふふふ」


 思わず笑いがこみ上げホリーは我慢が出来ずに笑い出す。


 彼が帰国をし落ち着けば自分は外に出て妊娠するまで……ダメだ。思い出してしまったら笑うことを我慢できない。これで歌姫に奪われてしまった彼からの初めてに負けずに済む。


「安心してねアルグちゃん。私が、お姉ちゃんが、いっぱい躾けてあげるからねっ!」


 我慢などできない。だって妊娠するまで自分は彼と、


「ところでホリー?」

「ん~」


 人には決して見せられない表情をホリーはセシリーンに向ける。

 盲目であるセシリーンとしては相手の表情が見れないことを何かしらの何かに感謝していた。その笑い声が余りにも品性の欠片もないからだ。


「私が貴女と話をしている理由は分かる?」

「理由?」

「そう」


 普段から微笑んで見えるセシリーンは自分のお腹を撫でてホリーに満面の笑みを浮かべる。


「この身可愛さに貴女の足止めを引き受けたからよ」

「……」


 気づけばおかしいことに今ホリーは気づいた。


 歌姫の足を枕にしているリグとファナッテは何処に消えた? 何より魔女も居たはずだ。それなのにその3人が居ない。


「っ!」


 慌ててホリーは魔眼の中枢から逃れようと足を動かしたが遅かった。


 ずっと両腕の不調を訴えていた魔女がその両目からボロボロと涙を落としつつ中枢の入り口に立っていたのだ。


「舌がヒリヒリする」


 ついでにやって来たリグは片手で自分の舌を扇ぎ……その様子からホリーは納得した。

 魔女がリグの魔法で強制的に自分の両手を治させたのだろう事実をだ。


「ここで腐海を使へは……はれ?」


 突然口が痺れホリーは何とも言えない脱力感に襲われる。

 自然と全身から力が抜けて床に伏すと、自分よりも先に床に伏していた歌姫の存在に気づいた。


「ファナッテの魔法には立っている人の顔の高さで発揮する毒もあるそうよ?」

「うらひへ~!」


 歌姫への苦情は舌が痺れて上手く喋れない。


 だがそれでも必死に逃れようとしたホリーはそれに気づく。自分を取り囲む3人の足にだ。


「ひらい、ひらいっへ!」


 長い艶やかな髪を掴まれズルズルと引きずられるようにして運ばれて行くホリーの姿を目撃した者は居ない。


 彼女がどこに運ばれてどうなったのかを知る者は……たったの4人だけだと言う。




 神聖国・都の郊外



「お願いしますノイエ様っ!」

「つーん」


 そこをどうかっ! 平に平にっ!


「つーん」


 帰ったらお肉大パーティーを開催します。


「つ、つーん」


 牛も豚も鶏もそれ以外も単位は全て頭数で応じましょう。

 大丈夫。費用は全てあんな雲を呼び出した馬鹿者に請求するので遠慮は必要としません。どうかっ!


「ちゅーん」


 口の端から涎を見せるノイエが僕の前にしゃがんでこっちを見ている。

 それを見上げる姿勢なのはいつものスタイルだから。頭が低いだけですが何か?


「牛の丸焼きとかいってみない?」

「みゅ~ん」


 もう少しだ。もう少しでノイエが頷くはずだ。


 僕のお嫁さんへの説得は佳境を迎えている。




~あとがき~


 まあそうなるわなw

 そんな訳でホリーがどうなったのかを知る人物は4人だけです。


 で、食べ物で全力交渉する主人公。

 主人公とヒロインが低レベルな争いをするのがこの小説ですwww




 © 2023 甲斐八雲

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