無いわけじゃないんだからっ!
神聖国・都の郊外
「さあノイエ」
「はい」
ビシッと黒雲立ちこめる神聖国の都の方を指さす。
「褒美は空手形だが気にするな」
「はい」
文字通り空手形であるが気にしたら負けだ。大丈夫。きっとあの悪魔ならどうにかしてくれる。ただ悪魔に物を強請ると言うことは、恐ろしい請求が回ってくる可能性もある。だから気にしたら負けだ。試合前から試合終了になる。諦めていないのに終了だ。
タルタルソースを楽しみにしているノイエさんは、無表情なのに口元には涎が浮かんでいる。
西日に反射して輝いている……ちょっとノイエさん。口元を拭おうね。いくら愛らしいお嫁さんでもそれはそれで色々と心にダメージが入るのです。
気を取り直しまた黒雲を指さす。
「さあノイエよ」
「はい」
「タルタルソースのためにあれを倒して来いっ!」
「……」
僕の真似をして黒雲を指さしていたノイエからの返事が無い。
ダメか? ダメなのか? タルタルの魔力でもノイエさんはトラウマを払しょくできないのか?
不安げにノイエを見れば彼女は軽く首を傾げていた。
「アルグ様」
「何でございましょう?」
「雲は倒せない」
「……」
「蜘蛛なら倒せるけど」
両手を広げ掌をこちらに向けたノイエは手首を合わせワキワキと指を動かす。
脚の本数に違いはあれどもノイエ的には蜘蛛を表現しているのだろう。
ただ何処かその姿が愛らしい。ああこれが癒しか……はい。現実逃避終了。
「あれは無理」
ワキワキと両指を動かしノイエが正論を言って来る。
ですよね~。せっかく逃避して戻って来たのに現実をありがとう。現実に戻って来ていたのだからこれが正しいのか? だから慌てるな。まだ慌てる時間ではない。否、慌てようか?
「ポーラさん?」
「私に問われましても」
「ちっ」
「兄さまぁ~! いやぁ~!」
不出来な妹に舌打ちをしたら、彼女が絶望じみた声を上げ発狂した。
ゲシュタルト崩壊を起こしそうな勢いで発狂しているポーラの姿に不安を感じる。
ウチの妹はいつからこんなキャラになったのだ?
「見捨てないでくださいっ! 私はこれからも頑張りますからっ! 何でもしますっ! 頑張りますからっ!」
発狂からの突進で……腰に抱き着いて来た妹が、涙ながらに必死に懇願して来る。
妹よ。何故かお兄ちゃんはこの短時間でとっても君の将来に不安を覚えたぞ? 本当に大丈夫か?
医者が必要ならいつでも言うが良い。精神科医は居ないが、物理的に君の頭を壊して治す系の医者ならノイエの中に居る。
ノイエの姉たちには物理系以外の手段を持たない人は居ないのか?
「ん。分かった」
「はい?」
妹の色々に不安を感じていると、横から聞こえた不吉な声に視線を巡らせば……ワキワキと指で蜘蛛を表現しながら首を傾げていたノイエが居ない。ただ一瞬彼女の長い髪が視界を横切ったのでその姿を見失うことは無かったのですが、お嫁さん? 貴女は何を?
「見捨てないで」
「……」
地面に膝を下し僕のお尻に顔を押し付けたノイエがそんなことを言って来るのです。
何を理解したのかは知らんがノイエさん。貴女も色々と間違っていますから。
「どこが?」
顔をお尻に押し付けたままで喋らないで欲しい。と言って胸を押し付けようとしなくて良いの。今の君は鎧を着ているのだから柔らかさは皆無ですので。と言って鎧を脱ごうとしない。だからってスカートに手をかけない。どうして下着を取ることを選択する?
「アルグ様は挟まれるのが好き」
色々と語弊が生じる発言は止めようかお嫁さん?
好きか嫌いかで言えば嫌いではないが、何を何で挟むかによっては戦争が起きる案件だ。
僕はまだ君の姉たちを敵に回して生き延びることのできる術を知らない。
「アイお姉ちゃんの足の裏で」
「口を閉じようかノイエ?」
「太ももの方が好き?」
「ノイエさん」
「ん~」
少し強めに注意したらノイエが僕のお尻に顔を押し付けてきた。
それはそれで僕の琴線を震わせる……これこれ妹さん。離れなさい。
「兄さまの……ごくん」
どうして生唾を飲み込んだ?
納得いく説明を求めたら僕の何かが終了するから求めない。求めないぞ。
ええい。とりあえずポーラもノイエも離れなさい。
「まずあの雲をどうするのかが重要なんだけど?」
「何で?」
それはですねノイエさん……はて? 何故だろう?
「あら? 珍しい姿ね」
「……何だ魔女か」
床に転がっている存在に魔女……アイルローゼは冷たい視線を送る。
相手は最強だ。この中で、ノイエの姉たちの中では間違いなく最強だ。そんな相手は腹に大きな穴をあけ、床の上に転がっていた。
鬱陶しそうに閉じていた瞼を開きその目を向けて来る。
「お腹にそんな大穴を開けてて生きているのは凄いわね」
「気を抜けば今にも死にそうだがな」
苦笑する相手は軽く口から血を零す。
最強……カミーラがボロボロになって床に転がっている。様子からして一方的にやられた感じだ。
「何をどうしたらそうなるのよ?」
「ちょいと外で魔女に喧嘩を売っただけだ。結果こうなった」
「あっそう」
相手の返事にアイルローゼは視線を動かす。
自分に彼女と戦った記憶が無いのだから相手が言う『魔女』は確定だ。
「あんな化け物に挑む方がおかしいのよ」
「そうかもしれんな。ただ今回は向こうが売りに来た」
「……ただの恐怖ね」
それからカミーラの話を聞くに、外で魔女と戦い負けて戻って来た彼女は『打倒魔女』の修行を始めようとした。だが準備運動を終える前に魔女がやって来て『さっきの魔法を見せなさい。大丈夫。魔力なら貸してあげるから』と言い出し一方的に襲われたのだと言う。
「……本当に何とも言えないわね」
あれに目を付けられるような魔法を使うのが悪いとも言えなくもない。
余計な魔法は使わないように気を付けようとアイルローゼは自分の胸の内でそう誓った。
息を深く吐きカミーラは億劫そうに左腕を動かす。そして頭を掻いた。
「済まないが魔女」
「何よ?」
「腹に穴が開いているのは分かっている。あとはどうだ?」
「自分で確認したら?」
「生憎と色が認識できる程度でしかこの目は仕事をしていない。血が出すぎたか」
「たぶん頭の一部が抉れているからよ」
「そうか。なら仕方が無いな」
納得する方もどうかと思ったが、アイルローゼは深く息を吐く。
「頭部の一部が抉られ、右腕は肩から外れてあっちに転がっている。お腹には穴が開いてて両足は膝の部分で逆方向に曲がっている感じね。何をどうしたらここまで酷い怪我を?」
「いつも通りだろう? 誰かと違って融かされていないだけマシだ」
「それもそうね」
確かにその通りだ。自分なら問答無用でこの戦闘馬鹿を融かしていると魔女は思った。
「最初は近接で良い勝負をしていたんだがな」
「あの魔女を相手に?」
「ああ」
苦笑しカミーラはため息代わりの吐血をこぼす。
あくまで最初だけだ。それも相手が魔法を見たがっていたこともあり本気では無かったのだろう。
「つい調子に乗って相手を本気にさせようとな。それで殴った場所が悪かったのか、私の口が悪かったのか……魔女の胸を殴り飛ばしたら、思いの外脂肪が多くてな」
「で?」
「言ってやったんだ。『お前も胸だけ大きい馬鹿女か?』ってな。そうしたらご覧の有様だ」
あの魔女相手に命知らずな言動だ。
「私としては貴女の言葉に賛同したいところではあるけど……相手を選ぶべきね」
「そうだな」
プライドが高いあの魔女が殴られてから『馬鹿』などと言われれば絶対に怒るはずだ。
案の定なカミーラの姿からしてアイルローゼは自分の推理が正しいと判断している。
「余計な脂肪を蓄えた馬鹿の方が良かったか?」
「馬鹿って言ってる時点で貴女のこれは確定よ」
「そうか。なら仕方がない」
論点がズレていたが、結果は変わっていないだろう。
魔女が他者からの悪口を大目に見るのは外に居る彼が相手の時ぐらいだ。
大きく息を吐いてカミーラは目を閉じる。
「しばらく
「分かったわ」
「それと魔女」
「何よ?」
歩き出そうとして足を止められたアイルローゼは相手を見るため軽く振り返った。
「中枢は手薄だ。あの魔女が制圧して可能性もある。魔法は使えるのか?」
「冗談」
不敵に笑いアイルローゼは相手に背を向ける。
アイルローゼとしてはカミーラのことは好きでも無いが、ただ相手の仕事を果たす部分だけは嫌ってはいない。護るべきモノを護る姿勢は好ましくも思っている。ただ色々と反りは合わないが。
「私は魔女よ。魔女が魔法を使えないなんてことがあるわけないでしょう?」
「そうか。なら任せた」
沈黙した相手を置いてアイルローゼは歩き出す。
まだ治りきっていない腕が疼くがしょうがない。それでも魔法を使うことはできる。
《私は魔女よ。これぐらいのことで弱くなったりはしない》
キッと前を見つめ軽く自分の胸に手をやる。
「大丈夫! 無いわけじゃないんだからっ!」
自分のモノを確認するようにモミモミしつつ、自らを鼓舞するように魔女は叫んでいた。
~あとがき~
ノイエが先生ネタを振った理由…そうです。
みんな大好きアイルローゼが精神汚染からの復帰ですw
ただワンワンネタとか振られてまた壊れなきゃ良いけど。
確りと復讐&確認をしちゃうのが刻印さんクオリティー。
『ちょっと魔法を見せなさいよ~』と近づいて来る刻印さんには要注意です。
あと巨乳と馬鹿ネタは刻印さんの地雷なので踏んづけないように注意が必要だぞ!
© 2023 甲斐八雲
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