あの馬鹿にそれって必要ないかもね

「ところでマニカ?」

「何でしょうか? 王女様?」

「……貴女いつまでそこに居る気なの?」


 手に持つ鏡で外の様子をジッと見つめていたマニカは、その言葉でようやく顔を上げた。


 呆れ果てた様子で自分を見つめている人物……ユニバンス王国の元王女様は、美姫と称えられるだけの美貌を兼ね揃えた人物だ。ただ引きこもり気質で自室からほとんど出なかったために幻の美姫扱いを受けてはいたが、それでも美姫と呼ばれるだけの美しさを誇る。


 何故彼女……グローディアが人前に出たがらなかったのか理由を知る者は少ないが、マニカは何となく相手のことを理解していた。

 自分の研究以外無頓着なだけだ。


 それは少し違うかと……マニカは自身の中で訂正した。

 大切なノイエに何かあれば研究など放り出して駆けつけるに決まっている。


「何も言われなかったから……邪魔でしたら出て行きますが?」

「別に邪魔と言う訳では無いんだけどね」


『王女様の何かは?』と問い掛けたくなるほどグローディアは大欠伸をしてボリボリと頭を掻いた。


 ずっと黙っていたのに口を開いた様子から、今している研究がひと段落着いたのか、それとも行き詰って気晴らしに声をかけて来たのか……それはマニカにも分からない。

 ただ王女様は壁に背中を預け、両足を伸ばして『ハ』の字にすると、また欠伸をする。


「別に居ても良いんだけどね。まったく身動きもしないし、話もしないし……本当に石像か何かの類にでもなる魔法を使っているのかと思ってね」

「心配してくれたのですか?」

「違う。そんな魔法があるなら教えて欲しくなっただけ」

「……」


 相手はやはり王女ではない。根っからの魔法使い……それも狂気の類を感じさせる研究好きだ。


 それを知りマニカは少しだけ自分の心の中が軽くなるのを感じた。

 前からグローディアを見る度に感じていた言いようのない威圧感が僅かだが薄れた気がしたからだ。


「研究熱心なのですね」

「ま~ね」


 ボリボリとまたグローディアは頭を掻く。


「私はこれしか取り柄の無い人間だから」

「でも王女様は、」

「それ止めて。実は余り好きじゃないのよ」


 軽くため息を吐いてグローディアは自分の髪に手櫛を通した。


「王女様って……好きでなったわけじゃないしね。ただ生まれが王家の血筋だっただけだしね」

「でも」

「そのせいで誰からも敬語で話し掛けられるのよ。齢上からも」

「……」


 マニカはそっと自分の口を閉じた。


 確かに強制されたわけではないが、自分もグローディアに話しかける時は自然と敬語になる。

 その理由は……相手が王家の者であり王女だからだ。

 無意識にそれを意識し失礼のないように振る舞ってしまうのだ。こんな場所においても。


「まあ研究の邪魔だから友達とか欲しくなかったし、人との関りも面倒だったしね。そう考えれば好き勝手させて貰えたあの環境も悪くはなかったわよ? 母親からは小言のように『貴女が男だったらこの王国を手に入れられたのに』って恨み言を言われるぐらいで」


 返事に困る言葉にマニカは少しだけ目を閉じた。


「貴女は生まれながらに暗殺者だったの?」

「……流石に修行はさせられましたけど」

「そう」


 頭を掻きグローディアは軽く視線を下へと向けた。


「ごめん。今からもしかしたら物凄く失礼なことを質問するかもしれない」

「構いません」


 暗殺者にして娼婦をしてきたマニカからすれば相手のどんな言葉にでも耐えられる自信があった。

 それほどに今まで口汚い言葉を受けて育って来たからだ。


 ゆっくりと顔を上げたグローディアは何処か泣き出しそうな表情を浮かべていた。


「……貴女は親しい人を殺したことはある?」


 静かに紡がれた言葉に、マニカは何かを悟った。


「ご家族でも?」

「まあね。でもそっちはそれほど後悔して無い。薄情かもしれないけど」

「そうでしょうか」


 家族殺しに何も感じないことだってあり得る……そうマニカは思う。


 結局は自分の中の優先順位によって悲しみの度合いは変化するのだ。

 長年連れ添った夫が死んだことよりも、可愛がって来たペットの犬が死んだことの方が悲しみが深いなど十分にあり得る話だ。


 そう簡単に割り切れてしまう自分は、根っからの暗殺者なのだろうとマニカは内心で苦笑した。


「親しい者を殺したことはあります。自分を鍛えた師を、共に学んでいた兄弟姉妹とも言える存在を私は全て殺しましたから」

「そう」


 返事は短く、そしてグローディアは視線をマニカから逸らす。


「何か心に残ることってあった? まだ残っていたりする?」

「どうでしょう……最初は残っていたかもしれませんが」


 軽く思いを過去に馳せ、マニカは昔を思い出す。


 始めて人を殺した時は、確か何度も手を洗った気がした。

 洗っても洗って自分の手が血で汚れていたような気がして……それが嫌で魔法を鍛えて髪の毛を武器にしたのだ。何かあればその一本を切って捨てれば良いと思えたから。


「殺しすぎて感覚がマヒしたのかもしれません。気づけば何も考えずに人を殺すようになっていました」


 寝て起きて人を殺して顔を洗い食事を摂る……そんな感覚で最後は人を殺していた。

 感情なんて動かないからこそ、次第に自分の趣味に走りだしたとも言える。


「落ち着いて考えれば私も人を殺しすぎて精神を病んでいたのかもしれないですね」


 たぶん病んでいたのだろう。それと気づかない振りをして快楽に身を沈めることで心の何かが壊れないようにしていたのかもしれない。


「今にして思えば……本当にノイエに救われたのかもしれません」


 思い返せば自分が暗殺者であると知られても彼女はやって来た。あの天使は迷うことなく自分の元へやって来たのだ。

 キラキラと輝く笑顔を浮かべて近づいて来て『仲良くする方法を教えて』と強請って来た。


 相手の言いたいことが最初良く分からなかったが、話を聞いてマニカは納得した。

 ノイエは知りたかったのだ。男女問わず誰とも仲良くなる方法を……それを知りたくて自分の所に来た天使の余りにも酷い勘違いに声を上げて笑ったことをマニカは今も覚えている。


「あり得ないかもしれませんが……もし私がノイエを殺せば、この心に一生消えることの無い傷を負うかもしれないですね」

「それは分かるかも」


 グローディアも苦笑し素直に認めた。


 あの我が儘娘が自分の心の中を占めている割合を考えれば間違いない。


「意外ね」

「何がですか?」


 グローディアの声にマニカはキョトンとした表情を浮かべる。

 だが王女様は何処かニンマリとした感じで笑っていた。


「マニカってノイエを好きになるような人じゃないと思っていたんだけど?」

「失礼ですね。王女様は」


 確かに初めて出会った頃は……邪魔臭くて煩わしかった。

 何よりノイエがやって来ると必ずと言って良いほどあの狂暴女が飛んで来るのだ。

『ウチのノイエに変なことを教えてないだろうな?』と怒鳴り込んで来るのが本当に面倒だった。


「私にだって未成年に教えてはいけないことぐらい理解してます」

「……へ~」

「何故そんなにも疑ったような声を?」

「気のせいよ。うん。気のせい」


 視線を遠くへ向ける相手にマニカは一瞬イラっとした。

 自分の行いが悪いことは理解しているが、そこまで考え無しと思われていたことが腹立たしい。


「私はあの子と約束しましたから」

「どんな?」

「もしあの子に恋人が出来たら……」


 言っててマニカは思い出した。


 そうだ。自分はノイエと約束をしていたのだと。それを果たすまでは絶対に死なないと自分の胸の奥底で誓い、あの日以来人を殺すことを止めたのだと。


 自暴自棄になっていた部分は否めなかったが、いつ死んでも良いと思って声をかけて来る施設の男たちを誘惑して殺していた。けれどそれを止めた。死にたくなくなったからだ。生き続ける必要が出来たからだ。


 その理由は全てノイエだ。あの子の為なら何でもできる。


「どんな約束よ?」


 グローディアの声にマニカは自分が押し黙っていたことに気づいた。


 そしてグローディアは見た。作り笑顔のような表情を常に浮かべていたマニカが、心の底から楽しげに笑う様子を。今にも声を上げて笑い出しそうな相手を。


「とても簡単なことですよ王女様」


 声を弾ませマニカは笑う。


「ノイエ無しでは生きられなくなるほどの手管を教えてあげると」

「……あの馬鹿にそれって必要ないかもね」


 グローディアは素直にそう呟いていた。




~あとがき~


 珍しいカップリングの会話は書いてて楽しいのです。


 グローディアは自分が殺したとある人のことがずっと心の中に引っかかっています。それは棘のように彼女の心の中に居座って…ノイエの家族たちには結構そういう人が多いんですけどね。


 ノイエの姉たちの話もそろそろひと段落かな?

 都での話を始めたら一気に神聖国編のゴールまで突き進みたいと思っているのでこの辺で粗方済ませておきたい。


 神聖国編が終わればあれしてこれしてそれをしてからラストって感じなので、大きく章として分けたら残り4つかな? ラストが何話になるのか分かりませんけどねw 下手をしたら最終章だけで1年って可能性すらあります。ラストに相応しくオールスターで話を回す予定ですから。


 問題は次なんだよな…その前に狂人の坩堝、神聖国編を終わらせないと…




© 2022 甲斐八雲

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