ノイエが妹を得まして

「あふっ……もうレニーラの馬鹿は……」


 トントンと腰を叩きながらその女性は歩いていた。

 場所は通路と呼ぶには抵抗があるが、普段から『通路』と呼び『通路』として使っている場所だ。厳密に言えば魔眼の中の何かなのだろう。


 何かというのには理由がある。

 住んでいる自分たちですらよく理解して居ないのだ。

 歩いている床の素材が何なのか……それすらも分からない。


 もう一度腰を叩いて女性はため息を吐いた。

 彼女の名はパーパシと言う。

 外の世界……自分の故郷では『童貞殺し』と言う不名誉極まりない二つ名を持つ人物だ。


 そんな女性がゆっくりと魔眼の深部を進んでいた。


 最近は深部もだいぶ風通しが良い。

 普段なら殺伐として殺し合いがすぐ始まる場所なのに平和だ。

 理由は足元に転がっている。蘇生中の死体だ。


「あのマニカが動き回っているのよね……」


 呟きパーパシは深くため息を吐いた。


 最悪だ。あれは男女問わずに腰抜きにしてから殺す。

 おかげで足元に転がっている死体はどれも表情が……見なかったことにしてあげるのが優しさだと理解しパーパシは視線を別の方へと向ける。


 石像とまで呼ばれていたマニカが動いただけで魔眼の深部は死体の山だ。

 あのカミーラも戦闘を拒否したとレニーラが言っていた。誰があんな化け物を倒せるのか?


「あれ?」


 死体の山である深部でパーパシはそれを聞いた。

 たぶん鼻歌だ。誰かが機嫌良さそうにそれを奏でている。

 興味は湧く。ただここが最も危険な場所だとも理解している。


 数瞬悩みパーパシは歌が聞こえる方へ足を向けた。


「……お久しぶりですね」

「君か」


 深部の奥まった場所に居たのは非戦闘員の中でも有名な人物が居た。

 戦う姿を見たことの無い人物。けれどあの施設に送られたことを鑑みれば戦う術を持っている可能性はある。


「博士がどうして?」

「見れば分かるだろう?」


 小柄な人物が両手を広げる。


「今は静かだ。誰かが暴れてくれたおかげで」

「マニカらしいですよ」

「そうか。なら出会わないように気を付けよう」


『博士』と呼ばれた人物は軽く頷いて背中を壁へと預ける。


「それで博士は何をしていたんですか?」

「自分かね? ずっと研究をしていたとも」

「ずっとですか?」

「ああ……まあ時には確認するために出向いたりもしていたが基本は考え続けていたよ」


 緩い笑みを浮かべ博士は何度も頷いた。


「この場所は自分の研究には適した場所だしね」

「ノイエが居るからですか?」


 相手の研究対象として最高な存在をパーパシは口にした。


「あれは至高だよ。どんなに調べ尽くしても謎が尽きないしね。ただ問題は第三者視点で彼女の観察ができないことだ」

「あら? 最近は外に出ていないとか?」


 パーパシは相手に気づかれないように気を付けながら壁に背を付け座り込んだ。


 何処かの馬鹿な舞姫のおかげで下半身がガタガタだ。

 これならマニカと出会った方が……まだ生きていることを考えればレニーラの方がマシだった。マニカはボロボロにされた挙句に殺されるのだから。


「うむ」


 鷹揚に頷き博士もまたかに腰を下ろした。


「あのノイエが結婚したとかシュシュから聞いた」

「ええ。事実です」

「ならば新婚生活を邪魔するのは下種の極みであろう? だからまあしばらくは大人しくこの中で集まった資料を基に自分の中で仮説をとね……その視線は?」

「魔眼の中枢に居る人たちに聞かせたいなって思っただけです。気にしないでください」

「そうか」


 博士は理解しないまでも納得した。


「でもそうなると検体が……こっちを見ないで欲しいのですが?」

「ああ。済まん」


 相手の指摘に女性は笑う。


「確かに検体に飢えてはいるが、もう君のことは調べ尽くしているしね。それこそ隅から隅まで何処にホクロがあるのかすら全て把握しているよ」

「博士? 発言がミャンっぽいですよ?」

「うむ。その気は無いんだが……言葉は本当に難しいよ。自分は君のことをどれほど知っているのかを伝えたかっただけなのだがね」


 両腕で胸を隠しているパーパシに博士は軽く頭を下げた。


「ただ君の協力のおかげで自分の研究はだいぶ進んだと思うよ」

「そうですか」


 ため息を吐いてパーパシは背後の壁に背中を預けた。


 本当に嫌な力だった。大嫌いな力だった。でも少しは役に立ったと思えば……やはり無理だ。どんな言葉を使われても自分の力を好きになることはできない。自分のことを姉のように慕っていた『弟たち』を殺めた力だ。どうしたら好きになれるだろうか?


「表情が沈んだがどうかしたかね?」

「……表情を観察できるのなら相手の気持ちも察して欲しいのですが?」

「うむ。自分はその手のことはとんと疎くてね」

「良くそれで『博士』を自任していますね?」

「自称だからね。それに間違いなく自分は第一人者だと自負しているよ」


 両手を広げて自信ありげに笑う人物にパーパシはため息を吐いた。

 自信過剰も言えなくないが、確かに彼女以上に研究をしている者は居ない。


「祝福研究の第一人者ですか」

「現時点では……という言葉が頭に付くけどね」

「そうですね」


 そう。博士と呼ばれる人物が調べていること、それは『祝福』だ。

 何かしらの何かから与えられる不思議な力。それを自身も宿しているパーパシは研究対象として彼女の調査に手を貸したことは何度もある。


 そして彼女自身も祝福の持ち主だ。『戦闘には向かない他愛もない力だけどね』と言っては、その力を見せることは無い。

 唯一見たことがあるノイエが言うには『もさっとしてた』と言う弁だ。誰も理解できなかったが、ただ何となく不安を感じてから誰も彼女にそのことを質問しなくなった。


“妹”であるノイエが『もさっ』とか抽象的なことを言い出す場合は、大抵虫が関係していることが多い。黒いあれだ。黒いあれをそう評するのだ。だから聞かない。聞きたくない。


「君の“分身”は研究の甲斐もあって色々と知ることが出来たよ」

「そう言って貰えると……」


 やはり好きになれない力なだけにパーパシとしては素直に喜べない。


「ただ残念なのはこの場所のおかげで新しい祝福に触れられないことだね」


 ふとパーパシは相手を見つめる。

 確か彼女は……ノイエが結婚をしたことまでは知っているようだ。それ以降のことは知らないのだろう。知らないのだ。


「あの~博士?」

「何かなパーパシ?」


 何処か偉そうな態度であるが相手は比較的常識人だ。

 偉そうな態度は彼女が師事していた人物が普段から尊大であり、その人を敬愛していたことからその様子を学んでしまったと言うことらしい。


「実は……ノイエが妹を得まして」

「ほう。あの甘えん坊が姉になったか……ん?」


 その事実に気づいて博士は首を傾げた。


「子供では無いのかね?」

「あ~。そっちはリグが言うには難しいとかいう話を」

「そうか。あの子の娘であれば可愛いであろうにな。実に勿体ない」

「……」


 ジトッとした視線でパーパシは相手を見つめた。


「祝福って祝福を持つ人の子供であれば発現しやすいんですか?」

「そのような研究成果はまだ得ていない。うん得ていない」


 だから得たかったのかとパーパシは相手の考えを読み取り小さなため息を吐いた。


「それでその妹が氷を操る祝福持ちだそうです」

「氷だとっ!」


 腰を浮かべて博士は目を輝かせた。


「珍しいのですか?」

「ああ珍しい。魔法と同じで四大元素の祝福は結構多く見られる物だ。だが氷は水系の魔法に近しいが実は別系統なのではとあの魔女が言っていた」

「そうですか」

「それは一度見て見たいな。ノイエの妹であれば出て挨拶ぐらいであれば……」


 顎に手を当てて博士は考え込む。


 彼女は常識人だとパーパシは再確認した。

 これが魔女とかなどなら迷うことなくダッシュで外に出ている。今頃ノイエの妹は撫で回すかのような手つきで全身を隈なく確認されるだろう。


 まだ幼さも残す少女だと聞いているから、そんなことにならなくて本当に良かった。


「なら外に出て確認は?」

「何かの機会があればで十分だろう。ノイエの邪魔はしたくないしね」

「……」


 本当にこの言葉を魔眼の中枢に住む人たちに聞かせたいものだ。


 パーパシは目を閉じ一度だけ呼吸を整えるとゆっくりと口を開いた。


「実はノイエの夫も……」




 後にパーパシは自分の迂闊さを後悔したと言う。

 魔眼の中に住まう研究職の住人に“常識人”などと言う者は居ないのだと知って。




~あとがき~


 修行のために魔眼内を駆け回ったレニーラが相手に選んだのはパーパシでした。

 全力で襲われて腰を痛めて深部を彷徨っていると…出たよ。博士が。


 彼女はノイエの姉の1人であり、祝福の研究をしていた祝福持ちです。

 その力は戦闘に向いて無いだと? 誰かこの詐欺師に鉄槌を。


 外に出なければ大丈夫だよな? あん? 暴走したっぽい? マジで?




© 2022 甲斐八雲

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