歌えないのは不安だわ
「くぅん……もう許して……」
「あはは~。もうどうにも止まらないぞ~」
拘束されて床に転がる魔女の反応を調べる旧友の後姿がどうも無様に見える。
リグはフラットな視線でそれを眺めていた。
「本当に助けなくて良いの?」
「良いと思う」
淡々としたリグの声から感情が消え失せていた。
その様子に歌姫は微かに頬を引き攣らせる。
「……今の言葉の頭に『どうでも』とか付かないわよね?」
「知らない」
まだ若干ざらつく歌姫の声にリグは何処か不機嫌そうだ。
何かを察し腕を伸ばして歌姫は相手を捕まえて自分の方へと抱き寄せた。
「よしよし」
「子ども扱いは猫にして」
「居ないから寂しいの。代わりにして悪いと思うけど」
「……代わりなら仕方ない」
目が見えなくとも相手の様子など手に取るように歌姫には分かる。
医者としての視線でも耐えられないほど、自分が姉と思い慕う人物の甘えた声が我慢できないのだ。
いつでも魔女はリグの前では高貴で知的な存在であった。そのはずだった。
それが床に転がり雌の声を……良く怒り出して殺さないものだと違った意味で感心してしまう。
「アイルローゼが本当に可愛いんだぞ~」
黄色の髪をしたクラシカルなメイド服を身に纏った人物は踊る。フワフワと踊る。
その足元には上半身と足首を拘束され、逃れられない魔女が居た。
術式の魔女として名高いアイルローゼだ。
名高いのだ。この場所で無ければ。
「お願い。外に出して……」
「ダメだぞ~」
「お願いだから」
「ダメだぞ~」
最初はただ外に存在てしている魔道具を見たくて……のはずが今となっては懐かしい話だ。
内心で怒りを渦巻いているリグを抱きしめ歌姫セシリーンはため息を吐く。
もうアイルローゼを外に出した方が良い気がしている。と言うか地面に降りている時に外に出してやれば良かったのだ。
それを拒絶したのは黄色いフワフワだ。名をシュシュという。
「アイルローゼが出たらあの魔道具は落ちるぞ~」
「そんなことは」
「信用できないぞ~」
クイクイとシュシュが自身の指先を動かすと魔女は甘い吐息を発して身震いをする。
ここまで艶やかな吐息を吐く魔女の声を聴くのは……思い出したセシリーンは何となく顔を赤くした。
外に出て彼に抱かれている時の自分を思い出すと、何ら大差無いと気付いたからだ。
「大丈夫」
「どうかしたの?」
不機嫌そうだが声をかけて来たリグを歌姫は抱きしめる。
相手の胸の下に回した腕に、ズシッと重みが圧し掛かる。本当に重い。
「リグだって彼の相手をすればあんな艶やかな……医者が物理的に攻撃するのはどうかと思うけど?」
「歌姫の首の具合を確認しようとしただけ」
振り向いてギュッと首を掴んだリグの手が本気だと知って、セシリーンは微笑んで色々な何かを誤魔化した。
「でもリグの吐息は可愛らしいわよ?」
「歌姫?」
キュッがギュッに変化した。
「本当よ。リグは声音が優しいから」
「……」
怒っている医者の手がきつくセシリーンの首に触れる。
何度かグッグッと押され、特に骨……脊髄の辺りを何度も押してきた。
「痛いわ」
「ボクは義父さんみたいな祝福が無いから」
「そうね」
リグの義父である人物なら直接脊髄に触れ……それはそれで想像すると恐ろしいことだ。
でも確実で他の追随を許さない技術を持っている。故に高確率で治してくれる。
「もう何日かで首の骨は完治する」
「声は?」
「会話には支障ない」
「でもこの声だと」
ザラザラする自分の声にセシリーンは不満を抱いていた。
「歌わないなら問題無い」
「そうね」
確かに医者の……彼女の言う通りだ。
「でも歌えないのは不安だわ」
「!」
リグが自分の腕の中で振り返るのを歌姫は感じた。
「歌いたいの?」
「……」
相手の指摘にセシリーンは自分が発した言葉にようやく気付いた。
自分は今迷うことなく……クスッと歌姫は相手に対して笑みを浮かべる。
「彼は艶やかな声で『あんあん』と歌うと機嫌が良くなるのよ?」
「……知らない」
相手が赤くなっているのをセシリーンは抱きしめている腕から感じた。
確かに体温が上がったのを感じたからだ。
「リグも可愛い声で歌えば良いのよ?」
「知らない」
増々体温を上げるリグは本当に可愛い。
「お願いだから外に出させて~」
「ダメだぞ~」
ただあの2人の会話を聞いていると……歌姫は現実逃避をするようにリグを抱きしめた。
「リグはあんな風にならないでね?」
「うん」
母親のように告げて来るセシリーンの声にリグは迷うことなく返事をした。
「本当に酷い目に遭ったな~」
まだズキズキと痛む腹部に手を当てクルーシュは魔眼の中を歩いていた。
やはりあの中枢に居る人たちと関わると碌な目に遭わない。良く聞く話だったが事実だった。
しばらくは深部の誰も居ない辺りでゆっくりしようと考えながら歩く人物は……自分が決して足を踏み入れてはいけない場所に入り込んでいたことに気づいていなかった。
もし外に居るアルグスタがクルーシュのことを見て知ればこう称しただろう。『ドジっ子』と。
「いてて……あれ?」
気づけば腹部の痛みが増しているような気がした。
魔眼の中で痛みが増すのは、傷ついた直後や治りかけだ。
でも感じとしては、現在の状況はその2つに該当しない。しいて言うと傷口が新しい何かで傷つけられているような?
「あれ? あれれ?」
ぽたぽたと垂れるモノに気づいてクルーシュは腕でそれを拭う。
拭った腕は血で濡れており……その原因が自分の鼻だとようやく理解した。
「どうして? あれ?」
立っていたはずが顔のすぐ傍に床が存在していた。
気づけば自分が床に倒れ込んでいたのだ。
絶対におかしい……それに気づいた時には既に引き返せない状況だった。
クルーシュは自分の状況を理解できないままに眠るように死んだ。
怪我した部分を腐らせ絶命した。
「あら~遅かったか」
フラッとやって来たそれは床に倒れ込んでいる人物を見つけ額に手を当てた。
この場所……魔眼に住まう者たちは彼女をこう呼ぶ。『刻印の魔女』と。
魔女は死んでいる『雷鳴』ことクルーシュの髪を掴んで持ち上げた。
ゴゾッと髪の毛が抜け落ち、引っ張られた頭がコロコロと床を転がる。
本当にあの化け物が作り出す毒は始末に負えない。
「そろそろ殺すか……でも一応大国を攻めているから、もしかしたらあの毒が必要になるかもしれないし……悩ましい所よね」
ひと通り悩みながら伝説の魔女は掴んでいた髪の毛を転がって行った頭部の方へと投げ捨てる。
ついでに指を走らせ通路を閉じた。これを忘れていたせいでどこぞのドジっ子が毒によって死ぬことになったのだ。反省反省。はいお終い。
パンパンと手を叩いて魔女は元の場所へと戻る。
そこには2人の遺体が転がっている。
厳密に言えば遺体ではない。損壊の激しい肉体だ。
「で、変人? 私が注文したモノはまだ?」
「だから言っているだろう。何が出来るのかは運任せで」
「へ~」
掴んだもう1つの死体に受け答えをしていた死体が『ひっ』と小さく悲鳴を上げた。
「この毒娘の胸の谷間に顔を埋めてもう少し死んでみる?」
「死んでしまう!」
全自動毒発生娘の谷間に顔を挟むなど自殺行為でしかない。と言うか強要している時点で自殺ではない他殺だ。
始末に負えないのは相手が基本有言実行な人物なぐらいだ。最悪としか言えない。
「大丈夫。死なないから」
「死ぬほど痛いのだがっ!」
「あら? 私の居た世界だと『最高のご褒美だ~!』と言って死ぬ馬鹿がたくさん居るわよ?」
「どんな馬鹿だっ!」
「貴女の愛しい人とか?」
「……愛しい人と言うか……」
死体が顔を赤くする。ある種特殊な例だ。
ただ赤面では無く溢れ出した血液で顔が赤く染まっただけではあるが。
「そんな彼のためにもう少し頑張りなさいよ」
「だけど」
「だったらこの毒娘を治して外に出そうかしら?」
「それは……」
死体……エウリンカは返事に困る。
自分が魔剣“しか”作れない魔法使いだと認識している彼女から見ると、魔女が掴んでいる狂った存在としか思えない毒娘……ファナッテの方が遥かに優秀に思えるのだ。
少なくとも戦うことには困らない。きっと彼のために上限なくその力を発揮するだろう。
「でもこれを外に出すと被害が大きいのよ」
魔女は呟いて掴んでいたそれを床に落とした。
グチャッと床へ落ちたそれに目を向けず、魔女はエウリンカに視線を向けたままだ。
「私は貴女の可能性を信じている」
「可能性?」
「そうよ。魔剣しか作れない貴女の可能性よ」
はっきり言えば規格外な魔法だ。それを目の前の変人は理解していない。
「貴女の力を使えば、その力がもう一段階上を昇れば……きっと凄いことが起きる」
「本当に?」
「ええ」
軽く腕を広げ魔女は囀る。それは悪魔の勧誘のような甘美な響きを含んでだ。
「貴女なら出来るわ。そしてきっと彼も喜ぶ」
「彼が……」
「ええ」
クスクスと笑い魔女はニヤリと口角を歪めた。
「きっと貴女のことを抱きしめて放さないでしょうね」
「……もう少し違う材料を」
覚悟を決めてエウリンカは顔を上げた。
悪魔の誘惑を彼女は受け入れていた。彼が喜んでくれるならと。
~あとがき~
魔眼の中枢は…シュシュが何かに目覚めて危険な遊びをしています。
相手が誰だか忘れていないかシュシュよ? 先生だぞ?
そしてそれを眺めるリグはお怒りです。基本先生ラブっ子ですからね。
何やら企んでいる刻印さんはエウリンカを唆して…本当に何を企んでいるのやら?
© 2022 甲斐八雲
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