ノイエの夫は何者なの?

「レニーラちゃん、ふっか~つ!」


 天井に向けて両腕を伸ばし彼女は吠えた。全力で吠えた。

 けれど下半身は正座の姿勢のままだ。まだダメだ。立てる自信は無い。


「セシリーン。まだ死んでる?」

「……ひゅ~」

「喉を潰されて喋れない感じか」


 立ち上がろうとしたレニーラはあっさりと諦め、四つん這いで相手に向かい進みだす。

 ただ数歩動いただけで全身を震わせ……しばらく停止した。


「再度のレニーラちゃん、ふっか~つ!」


 十分すぎる休みを得て、レニーラはまた両腕を天井に向けて突き上げた。


 それから震える足でどうにか立ち上がり、両膝をくっ付かんばかりに内側に寄せて色々と我慢する。

 が、また全身を震わせ……しばらく中腰の状態で動きを止めた。


「三度のふっか~つ!」


 計二回の回復時間を得てレニーラは自分の両足で立ち、そして両腕を天井に向けて突き立てた。

 完璧だ。今度こそ大丈夫だ。自分に言い聞かせてレニーラは慎重に足を動かす。

 一歩踏み出すごとに卑猥な声を上げ、それでもどうにか……横たわっている歌姫の胸をめがけて倒れ込んだ。


「あ~。薄いけど安心できる感触」

「……いた、いん、だけ、ど」


 酷く枯れた声が頭上から聞こえて来た。


 相手の胸に顔を埋めながらレニーラは上目遣いで相手を見る。

 まだ折られた首が固定していないのか、普段綺麗な首元が内側から飛び出すようなボコボコとした凹凸が存在している。たぶん折れた脊髄の一部だろう。それか砕けた骨かもしれない。


「大丈夫?」

「そう、みえ、る?」

「うん。死体一歩手前」

「……ここ、で、なけ、れば、ただ、の、したい、よ」


 枯れ果てた声はいつもの歌姫の地声を知るレニーラからすると聞くに堪えない。

 声と言うよりも雑音でしかない。


「口元も血が溢れて酷い状況だね」

「なお、り、かけ、と、いう、こと、で、しょ」


 治りかけの方がむしろ出血が増える。

 魔眼の中に住む者の共通した常識だ。


「レニー、ラ」

「なに?」


 セシリーンの胸に顔を埋め、何やら耐えている様子の舞姫が面倒臭そうに視線を上げる。


「わたし、の、むすめ、は?」

「聞くだけ野暮だと思うよ」

「……」

「私も半ば気絶していたような、中途半端な状態だったけどね」


 それでも夢うつつで聞いたことをレニーラは相手に伝える。


 母親を、母親のように慕っている歌姫を殺されたファシーは、犯人を探し求めてこの場を離れている。きっとマニカを見つけ次第、あの猫は自滅覚悟で相手を殺すだろう。

 狂気を宿している相手を怒らせたマニカは、今後猫に狙われ続ける未来が待っている。


「それ、は、だめ、よ」

「どうして?」

「それ、を、すれば、あの、こ、は、また、こわ、れて、しま、う」


 口から吐血を繰り返しながら枯れた声で歌姫は自分の娘の心を案じた。


「ぜっ、たい、に、だめ、よ」

「でも一度は復讐しないとあの猫の気が晴れないよ?」

「……むず、か、しい、ところ、ね」


 相手の言葉に一理あり、歌姫としては悩ましい所だった。


「復讐が終わってからしばらく猫を捕まえて説得するしかないんじゃないの?」

「そう、ね」


 一番難しいけれどそれしかない。


 抱き着いている舞姫の背に腕を回しセシリーンは彼女を抱きしめた。


「で、これ、は?」

「あふ~ん。マニカのせいで私の中の危ない何かが」

「……はな、れ、て」


 相手の背に回していた手を肩に置いて引き剥がそうとする。

 けれどレニーラは増々抱き着いて歌姫の胸に顔を押し付ける。


「ハアハア……世の男性たちが憧れた歌姫の胸が目の前に」

「はな、れて」

「柔らかくて」

「レニー、ラ」


 けれど舞姫はギュッと相手を抱きしめる。


「……セシリーンならきっと良いお母さんになれると思うよ」

「レニー、ラ?」

「あはは。あの猫があんなに甘える訳だ。こうしてると凄く落ち着くしね」

「も、う」


 相手に甘えられればセシリーンとしても拒絶を続けられない。

 吐血交じりのため息を吐いて、歌姫は改めて相手の背中に手を回して抱きしめた。


「歌姫の子供なら美人になりそうだし」

「でも、すご、く、ふあん、なの」

「目のこと?」

「ええ」

「大丈夫。旦那君の娘なら元気元気」

「そう、ね」


 舞姫がそう言うと自然とその気にさせられる。させられはするのだが、


「むす、め、なの?」

「娘です」


 何故か舞姫は断言して来る。


「こん、きょ、は?」

「きっとノイエがそれを望むから」

「……」


 相手の言葉に納得させられた。

 ノイエが望むなら本当にそうなりそうで怖い。


「なら、レニー、ラ、の、むす、め、も、かわ、いい、はず、よ」

「あはは~。私は良いよ」

「どう、して?」

「だって子育てとか大変そうだし」


 子供自体は嫌いでは無いが、子育てが大変そうに見えるレニーラとしては、自分が妊娠する未来は考えられない。妊娠までは考えられても子育ては正直無理そうだ。


 ただセシリーンはクスクスと笑う。


「わた、し、が、そだ、てて、あげ、る」

「えっ?」


 歌姫の言葉にレニーラは寝落ちしそうな視線を向けた。


「みん、な、の、こど、も、を、わたし、が、そだて、たい、の」

「みんなの?」

「ええ」


 最近ファシーを抱きしめ考えていたことがそれだ。


 自分の子供も分け隔てなく全員の子供を育てたい。

 何よりもあの人の子供に囲まれて生きられるとしたらこの上ない幸せなはずだ。きっと幸せ過ぎて……


「みんな、の、こど、も、に、こもり、うた、を、きかせ、たい、の」

「あは~。それは悪くないね」


 ポンポンと相手を叩いて拘束を解いてもらいレニーラは立ち上がった。


 良く分からないが今なら何でも出来そうな気がする。

 こんなに楽しい未来があるのなら、不可能だって可能に出来そうだ。


「なら私の子供を歌姫に預けて音感を学ばせて、私が踊りを教えれば……あは~。夢が膨らむ~」


 クルクルと踊りだし、ピタッと動きを止めた。


「でもどうしたら妊娠できるの?」

「それ、は……」


 歌姫としては何も答えられない。

 自分が妊娠したのはちょっとした事故であり、彼と一緒に過ごす時間が多かった結果だ。

 ただ同じような時を過ごした魔女は妊娠しなかったという。


「ねえ? セシリーン?」

「……」

「何か隠しているでしょう?」


 盲目の歌姫には相手の声しか聞こえない。

 近づいては遠ざかる相手の声に恐怖しか感じないが。


「どうしたら妊娠するのかな~?」

「かい、すう?」

「その言葉を魔女に言ってみろ~! そして私には秘密を教えろ~!」


 フッと足に感じた空気に歌姫は反応しようとした。

 ただ腕とは違い足は動かない。まだ回復していない脊髄が悪さをしているのか。


「ここか~! ここに秘密が~!」

「なに、を?」


 触れられた感覚は伝わるが足は動かない。腕を振り回しても何も触れない。


「ん~。ちょっと女性との行為に興味が?」

「レニー、ラ~!」


 塊の血を吐いて歌姫は意識を失った。

 出血量が多すぎたのと、そりで生じる血の巡りが悪かったのだ。


 一瞬で意識を失い……気づいた時には何かが終わっていた。

 何度問うても舞姫は何も答えない。ただ『女体の神秘だね~』とだけ答えるのみだった。




「ねえ魔女? 少し話でもしない?」

「……」


 相手は壁に背中を預け見つめて来る。


 両腕を半ばから失っている魔女……アイルローゼは大きく息を吐いた。

 全身が痛みで震える。痛みで意識が朦朧とし、正確に魔法語を唱える自信は無い。


「貴女の、奥の手に、やられたわね」


 痛みで震える唇を必死に動かし魔女は相手を睨みつけた。

 完全に自分の判断ミスだった。相手の実力を過小評価し過ぎていた。


「きっと貴女は、普通に戦えば、カミーラとも、いい勝負が、できるわよ」

「でもそれは私の意に反する戦い方でしょう? それで仮に勝ってもつまらない」


 自分が切り取り短くなった髪の先端に指を触れさせ、マニカは油断なく魔女を見つめる。


 奥の手と言えば奥の手だ。

 本来の自分の戦い方……暗殺になど決して向かない方法でどうにか魔女を無力化した。

 しかし目の前の魔女は何処か余裕を感じる。その目は決して死んでいない。


「次なら勝てるという、そう言いたげな目ね」

「ええ。勝てるわ。対処法は、思いついたから」

「そう」


 流石最強の魔女だ。これを殺すなら初見の技を繰り出して確実に殺すしかない。ただこの魔眼の中ではそれは出来ないが。


 ゆっくりと壁から背を離してマニカは進むと、棒立ちしている魔女の首を手で掴みそっと自分の顔を相手の頬に寄せた。

 ペロリとその綺麗な頬を舐めれば……塩味がした。


「緊張かしら? 塩味えんみが強いわね」

「今から、殺されるのよ。緊張ぐらい、するわ」

「そうね」


 綺麗な顔に美しい笑みを浮かべ、マニカは相手を見つめた。


「教えなさい魔女」

「……」


 グッと掴んでいる魔女の首にマニカは力を込めた。


「ノイエの夫は何者なの?」




~あとがき~


 何故か12日の投稿予定になってました。ごめんなさい。



 レニーラはただの悪乗りです。

 試しに色々としてみましたが…女体の神秘なのですw


 そしてマニカの奥の手で魔女の敗退は確定です。

 問題はまだ引っ張るか? それとも次に進むか?

 作者も色々と悩んでいるのです




© 2022 甲斐八雲

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