愛する夫を傷つけるわけないじゃん

 大陸西部・サツキ村



「ん~」


 ピリピリとしていた手足の痺れが取れて来た。

 痺れ薬とか本当に存在しているんだね。ファナッテなら……痺れたままポックリ逝く薬とかならあっさり作ってくれそうな気がする。


 長椅子に座り直してポーラが毒見をしたワインを飲みながらノイエの雄姿に目を向ける。


「オバサンオバサンオバサン……」

「殺す殺す殺スコロスコロス!」


 アゲハさんの綺麗に纏めていた髪が解けて鬼女のようだ。

 対するノイエはアホ毛が確保していたお肉が無くなってしまったらしい。変態犬であるモミジさんがまた牛の足を投げて……変化の魔剣と言うよりも第三の手だな


 そう言えば昔髪の毛を操って戦う漫画のキャラが居たな。

 ノイエの場合はアホ毛を握りこぶしとか無理っぽいけど。伸縮は出来ても大きくは出来ないらしい。残念だ。


「そろそろぶきがつきます」

「分かるの?」

「はい」


 くノ一であるアゲハさんの武器は暗器の類らしい。

 基本的に飛び道具が多く……とうとう撃ち尽くしたっぽい。


「オバサンオバサンオバサン……」

「キィエェー!」


 本格的に鬼女だな。人語を忘れたか?


 ただ鬼女化したアゲハさんはノイエに対して接近戦を挑んだ。

 一瞬で間合いを詰めるとノイエのお腹に右の拳を放つ。ノイエなら楽勝で回避かな……と見ていたら動かない。そのまま彼女のお腹に拳が突き刺さった。


「げふっ」

「死ね死ね死ね死ね死ね~!」


 逃れないノイエのお腹にアゲハさんのボディーブローが左右で突き刺さる。

 違うノイエ。ここはガードを下げて肘でブロックだ。じゃなくて、


「何でノイエが逃げないの?」

「ん~?」


 悪魔モードの妹様が首を傾げている。

 まさかの解説無しですか? 金返せこのオタク! 何おう? 喧嘩か? 買うぞコラ~!


 僕がポーラの襟を掴んで殴りかかろうとしていると、下着姿のモミジさんがやって来た。

 って服を着ろ。この露出狂が! だがお前のそのだらしない体を見て興奮する男なんて居ないんだ。少しは色気を学んでから出直してきやがれ!


「……ありがとうございます……」


 何故か変態が前かがみで地面に崩れ落ちた。


「それは良い。どうしてノイエが逃げられない?」

「あふっ……あれがお母様の実力です」

「詳しく話せ」

「一応秘儀ですので」


 何の寝言だこの変態?


「お前の人生この場で終わらすぞ? つか言わなければこのまま放置だ。言えば斜め上を行く処刑をお前にくれてやろう。簡単に命を奪うだなんて安直な行動などしない。屈辱と凌辱にまみれた人生の終わり方を実行する」


 全力で顔を上げて変態がめっちゃ笑顔なんですけど。

 ポーラさんちょっとお願いが。


「あれはお母様だけが扱える秘儀です。別名『影踏み』

 対象者の影を踏むことで相手の動きを封じると言う恐ろしい秘儀です」


 チートか?


「答えましたアルグスタ様。だからどうか私に酷いお仕置きを」

「うん。丁度運ばれてきたしね」

「はい?」


 ポーラが注文通りに鳥かごを両手で持って運んで来た。

 何をするのかだって? 屈辱に満ちた凌辱だよ。


「いや~! 鳥が、鳥が、突っついて来て~!」


 モミジさんの体に撒いたパン屑にかごから解放された鶏たちが殺到する。

 これがかの有名な獣姦だ。たぶんきっと。


「ひぃ~!」


 変態の相手は鶏に任せ、僕らはノイエを見る。

 確かにアゲハさんがノイエの影を踏んでいた。両足で……だからのインファイトか!


「ノイエ~!」


 ピコっと肉を掴んでいる彼女のアホ毛がこっちを見た。

 君がこっちを見ても意味はあるのか?


「影を踏まれないで~!」


 激しく鬼女が舌打ちをした。

 ネタバレすればそんな攻撃……そんな攻撃……。


「アルグ様。逃げられない」


 ですよね~。


 影を踏まれない対処方法は踏まれる前の物だ。

 現状踏まれているので体を動かせず逃げられない。


「ノイエ! 君ならできる!」

「ん~」


 どうにかボディーブローに耐えているノイエだが、確実に元気が失われている。

 ここは夫として妻を窮地から救い出すチャンスだ。


 炎の類を投げ込んでノイエの影を消せば良い。完璧だ。

 さあポーラよ。僕に松明を!


「にいさま」


 どうした妹よ? 妹よ?


 ポーラが静かに右手を上げてノイエを指さす。

 その動きに釣られ僕も視線を巡らせると……お嫁さんの色が変わっていた。

 金髪碧眼だ。一瞬グローディアかと思ったが、あの馬鹿従姉よりも髪の色が薄い。


 誰だ?


 色を変えたノイエがニヤリと笑うと……指先に明かりを灯して自分の足元へと落とした。

 アゲハさんが踏んづけている影が消え、そして自由を得たノイエが回避行動を取らない。

 むしろ相手に接近し、何かの武術か踊りでも踊るかのようにアゲハさんに密着したまま彼女の背後へと体を入れ替えた。


「何今の? あれ? ポーラさん?」


 悪魔の目をした妹様が何故か全力で駆けだそうとしていた。


「お兄さま」

「はい?」

「あれがマニカよ。じゃ!」


 ビシッと僕に敬礼を放ち悪魔が一目散で逃げ出した。


「って、はいぃいぃ~!」


 まさかのマニカだと!




「大丈夫? レニーラ?」

「……」


 耳を澄ます歌姫には舞姫の鼓動が確かに伝わっていた。どうやら生きてはいるらしい。

 ただ返事ができる状況では無いらしい。起き上がる力も残っていないのか、床に伏して全身を震わせている。時折ビクッと体を震わせ……そんな感じが続いていた。


「まさかマニカか中枢に来るだなんてね」


 完全な奇襲だった。


 暇潰しに踊っていたレニーラが『暇だね~』などと言っていたからこんなことになったのだ。

フラッと入り口から入って来た人物を最初セシリーンは誰か判断できなかった。だがその正体は直ぐに判明する。レニーラが泣き叫んだからだ。


 後は一方的だった。


 レニーラは全力回避からの逃亡を図ろうとしたが逃れられなかった。

 あっさりと掴まり弄ばれて殺されるはずが……その途中でマニカは外へ出た。

 おかげで歌姫たちは殺されずに済んだのだ。


「問題はアイルローゼが深部の一番深い場所なのよね」


 マニカ討伐隊はほぼ全員が魔眼の深部に居る。

 どう考えても中枢に来るまでに一日以上がかかるのだ。


 絶望的な状態とも言えた。


 何より歌姫の耳にははっきりとそれを捕らえていた。

 笑う暗殺者の……狂気の嘲笑を。


 殺す気なのだ。

 可愛い妹を殴っていた人物をマニカが逃すわけがない。

 絶対に殺してしまうはずだ。




 アゲハさんの背中に片足を置きノイエが笑いながら彼女の背を踏み続ける。

 何が起きているのか分からないが……ただ1つだけ分かることがある。


 これは絶対にダメなことだ。


 その証拠にアゲハさんが苦しそうに自分の首を掻いている。

 まるでそこに何か……そう言えばマニカの武器は自分の髪の毛。毛髪だ。


「伝説の!」


 急いでハリセンを呼び出すと、そのハリセンにありったけの重力魔法を上乗せする。


「ハリセンボンバー!」


 全力投擲でハリセンがマニカの左腕に当たる。

 すると彼女は一気に体勢を崩し、その隙にアゲハさんが逃げ出した。


「何故邪魔をする? 殺すわよ?」


 笑っているのにめっちゃ雰囲気が怖いんですけど!


「やかましいわこの馬鹿もんが!」


 けれど僕だって一歩も引けない。引くわけにはいかない。


 笑いながら接近して来るマニカの両手がキラキラと光る。たぶん髪の毛だ。

 大丈夫。見逃さないように正面で見ていれば……フッと彼女の姿が消えて僕の背後に人の温もりを感じた。


「私の動きを目で追える人物なんてそう多くないの」

「そうっすか」


 全く見えなかった。

 でもおかげでこれで彼女を捕まえられる。


 右手を後ろに回して咄嗟に彼女を掴む。


「何処を触っているのかしら?」

「えっと……太もも?」

「お尻よ」


 思ったよりも上でした。


「でも計算通り!」

「何を? 私が背後に回った時点で」


 全力の重力魔法! 


「きゃんっ!」


 可愛らしい声を発して彼女がその場に座り込んだ。

 そしてしゃがんだ彼女は信じられないと言った様子で自分の両手を見つめている。


「知らないんだろうけど……ノイエは僕を傷つけないんだ」

「……どうして?」


 そんなの決まっている。


「ノイエは僕のお嫁さんだからね。愛する夫を傷つけるわけないじゃん」




~あとがき~


 アゲハさんってば実はサツキ村で2番目に強いんですよね。

 ちなみに一番はマツバさんです。あれってチートキャラなんで。


 ノイエ対アゲハさんはアゲハさんの秘儀で圧勝のはずが…予定外の展開に?


 何故お前が出て来た…マニカよ…




© 2022 甲斐八雲

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