その考えは無かった
「シュシュ!」
「あふ~ん。だぞ~」
緊迫した悲鳴のような声に対し、古めかしいメイド姿の馬鹿はただ腰を振るのみ。
肉体的には問題ないはずなのに帰って来てからずっとこうなのだ。
「腰を抜かしてないで立って動いて!」
「苦情は~旦那ちゃんに~言うと~良いぞ~。もう~本当に~激し~かったん~だぞ~」
床に伸びて腰をトントンと叩いている魔法使いは、ただ怠けているだけだ。
自分が疲弊しているのは、外で彼に襲われたからをアピールしているのだ。実に腹立たしい。
「ファシーとレニーラが襲われているの!」
「歌姫の~娘は~強いから~大丈夫~だぞ~」
慌てる歌姫に対してシュシュのテンションは低い。
攻撃力特化タイプの魔法使いであるあの猫が本気で牙を剥いたら、制圧できるのは『最強』と呼ばれているカミーラぐらいだ。
あと数人ほど居るが、基本それらは深部からは出て来ない。だから問題はない。
「マニカが出たの!」
「……はあ~?」
泣き叫ぶ歌姫に普段の口調を忘れてシュシュも顔を上げた。
どんな天変地異かと思う。
あの深部で石像のように身動き一つしていなかった暗殺者が動き出したというのだ。
「カミーラを~殺す~方法でも~見つけた~のか~だぞ~?」
「そうかもしれない」
流石に状況を把握したシュシュは体を起こす。
軽く手足を伸ばして駆けだす準備を整えた。
「何処だぞ~」
「案内するから急いで!」
「了解だぞ~」
駆け出し飛び出して行ったシュシュの道案内をしながら歌姫は辺りにも意識を広げる。
もしかしたらあの暗殺者は陽動で、誰かがこの場所を制圧しようと企んでいるかもしれないからだ。
誰も歩いて来るような気配は……あった。何かをタプンタプンと震わせ歩いている。そんな音を発する人間は数少ない。
暫し待つとその人物はやって来た。
「疲れた……」
「リグ」
「はい?」
深部から中枢に戻って来たリグは慌てている歌姫の姿に目を丸くした。
珍しい。あの普段からのんびりしている歌姫がここまで慌てているのは本当に珍しい。
「何かあったの?」
「マニカが出たのよ」
「ああ。それか」
納得した。
だからリグは慌てず歩いて歌姫の元へと良き、彼女の太ももに抱き着いて枕にした。
「ちょっとリグ!」
「疲れたから」
「だからって状況を分かっているの?」
「マニカでしょ?」
あの暗殺者が久しぶりに動き出したのだ。それを知るリグとしてはそれほど慌てない。
マニカは普段魔眼の深部で座り込み石像のように身動き一つしない。それはずっと思考しているからだ。
自分を負かした最強……カミーラの打倒を誓い、何度も何度も頭の中で最強を倒す方法を探し求めているのだ。
「深部で死体がたくさん転がっていた」
リグはスリスリとセシリーンの太ももに頬を擦り付けて目を閉じる。
「殺し方がマニカだった」
「……どうして?」
「たぶん準備運動」
ずっと座って居たから体の動かし方を忘れていたのだろう。だいぶ荒っぽい殺害方法をしていた。
芸術的に暗殺するマニカの“
「手当たり次第だったしね」
「それは本当に厄介ね」
暗殺対象を選り好みするあれが……確かにこの魔眼内は女性が多い。
だから仕方ないとも言えるが、それでも手当たり次第とは。
「深部の男共は大半殺されてた」
「それってマニカの行為に激怒したパートナーが、彼女に襲い掛かって返り討ちにあったのかもしれないわね」
「その考えは無かった」
我関せずと適当な返事をリグはする。そろそろこの医者は話すことが憂鬱になりだしている。
「もう寝て良い?」
「ダメと言っても寝るんでしょう?」
「うん。疲れた」
スリスリと太ももに頬を擦り付けリグは口を閉じた。
「忘れてた」
「なに?」
シュシュに行き先を告げていたセシリーンは甘えるリグに手を伸ばす。
「マニカの他にも誰かが深部で暴れてた。斬り殺された死体が混ざっていたから」
「……ああもう! こんな面倒な時に!」
流石のセシリーンも知りたくない事実に頭を抱えた。
「ん?」
猫との戦いで気分良く壁に寄り掛かって座って居た最強……カミーラは顔を動かした。
気のせいではないらしい。清々しいほどの殺気が奥の方で渦巻いている。
軽く口角を上げ、無意識に棒を抱き寄せようとして空振りした。
猫に鍛錬を付けてやった結果、魔力が乏しくなって消していたのだ。
ただそんなことも言っていられない。
相手が来れば迎え撃つまでだ。
「来ればの話だがな」
また笑いカミーラは腰を滑らせ横になった。
目を閉じて相手が来ることを待つとする。
予想としては……このまま眠って起こされない気もするが。
「ふざけるなよ! この胸無しがっ!」
「ごふっ!」
全力で振り抜いた“棍棒”により、相手が吹き飛び壁に全身を打ちつけた。
パンっと破裂したかのように四方に血しぶきを撒き散らし……ズルズルと壁をずり落ちて床の上に崩れ落ちる。
勝者である人物は、激しく肩で息をする大柄な女性だ。
身長は高く肩幅も広く腕や足も長い。何よりその胸は大きく、呼吸の度に激しく揺れる。
「……この場所じゃなかったら負けてたか」
こぼれるように言葉を発した女性は、膝から崩れその場に座り込む。
全身が傷だらけだ。左腕など肩から無くなっている。ただその左腕を女性は右手で掴んでいた。
相手に最後の一撃を入れた武器……他でもない。自身の左腕だ。
左腕を床に置き、波打つような長い紫の髪を掻き上げる。
至る所から出血しているが、流れる血などしばらく放置しておけば自然と止まり癒されるのがここの決まりだ。決して死ぬことはない。
目の前の全身の骨を砕いた馬鹿者とてしばらくすれば復活するのだ。
「……全く。なんで私が」
愚痴を口にしながら女性は今一度自分の左腕を掴んだ。
それからか震える両足に力を込めて立ち上がると……死んでいる相手の元へ向かう。
今回は狭い空間のおかげで拾えた勝利だ。
これが相手の得意としている広い空間……平地であったら間違いなく惨殺されていた。
「とりあえずしばらく死んでろ」
振り被った左腕を硬化し、振り下ろす。
生々しい打撃音が響いて……相手は文字通りミンチになった。
「あは~。ジャルスだ~」
「あん?」
気の抜けそうな声に視線を向ければメイド服姿の厄介な存在が居た。シュシュだ。
「どうか~したの~?」
「ミゼンレッツェの馬鹿に喧嘩を売られたから高く買ってやっただけだよ」
「あ~。そっか~」
フワフワしながら頷く魔法使いの視線に、ジャルスと呼ばれた人物は自分の姿を見た。
ミンチにした馬鹿者の攻撃で服はその機能を果たせなくなっており、ずっと胸が邪魔臭く暴れるなと思っていたが……その原因が分かった。
自分の胸がその姿を完全に晒していたのだ。
「邪魔臭いわけだ」
「あ~は~」
シュシュは何とも言えない表情を浮かべる。
ジャルスに殺されたミゼンレッツェはグローディアと並ぶ胸が平らな人物だ。そんな彼女が激しく揺れるこれを見れば……喧嘩を売りに至った理由が何となく分かった気がした。
「そう~だぞ~」
「何か用か?」
右手で握っている左腕らしきものを自分の左肩に押し込んでいるジャルスに、シュシュの表情は無になる。
どうしてこの国の国軍所属者たちはこんな野蛮なことを自分にできるのだろうかと……言ったところで『戦場なら当たり前』という返事が聞こえてきそうな気がしたので、シュシュはそっちの質問を止めた。
「猫と~レニーラを~見なかった~かだぞ~」
「……見てないな」
壁を背に座り込んだジャルスは、これ以上の会話は面倒だと言いたげに見える。
「そっか~。なら~探すか~」
歌姫が全力で捜索しているがレニーラもまた全力で逃走しているのか見つからない。
おかげでシュシュはずっと無駄に走り回る状況に陥っていた。
「そうだ~」
「何だ?」
「マニカが~動いて~いる~らしい~から~気を~付けるん~だぞ~」
「……そうか」
頷きジャルスは苦笑した。
あれと正面切って戦って勝てる気がしない。
あれの攻撃を防げるのはカミーラぐらいだ。
「出会ったら大人しく舌でも噛んで死んでおく」
「あは~」
それもまた一つの選択肢だ。
この魔眼内であれば死んでも生き返るのだから。
~あとがき~
いつも混沌ワールドな魔眼内では最強王決定戦が繰り広げられています。
現時点ではカミーラが最強ですが、そんなカミーラもアイルローゼには負けているんですよね。
なら魔女が最強かと言うとアイルローゼは近接戦闘は全くダメなので、猫が本気で懐にでも飛び込んで来たら瞬殺です。
何より魔眼内は狭いので広いフィールドを得意とする人たちには圧倒的に不利。
ミゼンレッツェは外に出たら手の付けようのない最強キャラです。遠距離魔法で即死ですがw
深部で暴れていたミゼンレッツェはカミーラ戦を前にジャルスに負けました。
スルーして通り過ぎることができない何かしらの理由で、負けると分かっていても挑まなければいけない時があるんですw
そんなジャルスもマニカが相手だと…舌噛んで死ぬの?
© 2022 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます