閑話 24
ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸
そっと湯船に目を向けたポーラは顔の半分を湯に沈めている少女を見つめた。
帰って来てから……というか兄の言葉を聞いてからずっとあの調子だ。
師であるメイド長から引き取る時に強く言われた。『まず相手を隅々まで観察しなさい』と。
教えを受け隅々まで観察している。毎日こうしてだ。
「せんぱい」
「何でしょうかポーラ様?」
髪の毛を洗ってくれているミネルバは本当に頼りになる人物だ。自分とそんなに……ちょっとだけ年が離れているがそれでもまだ若い。若いのに強くて頼りになる先輩だ。
「ひとをそだてるのはむずかしいです」
「そうですね。ですがスィーク様はそれを同時に何人も行っているのですよ」
「……せんせいはすごいです」
本当に尊敬する人物だ。自分はたった1人の相手で手いっぱいだと言うのに。
「ただ先生はポーラ様と違い言葉より先に攻撃を繰り出す人ですが」
「……それをするとにいさまがおこります」
怒られないのであればポーラとてどんどん手を出してしまいたい。
けれど『言葉より先に手を出すのは良くないことです。僕はそういう行動は嫌いです』と最も慕っている人物が告げて来たのだ。従うしかない。
「でしたらポーラ様もまだまだたくさん悩みませんと」
「……じょげんはないんですか?」
「私も弟子を取るのは初めてですから」
優しく髪を洗ってくれるミネルバの言葉にポーラは少しだけ唇を尖らせた。
絶対に解決法を知っているような口ぶりだ。でもそれを教えてくれないのはまだまだ悩めと……自分で解決してみせろと言う期待の表れでもある。頑張るしかない。
「ゆぶねにいきます」
「はいポーラ様。流しますね」
先輩の声はいつも優しい。
『無理無理無理無理無理……。どうして私が。何で私が。本当に馬鹿じゃないの?
でも留守番をするのは決定で、ミネルバ先輩はその間お屋敷のこととか……』
グルグルと頭の中で同じ思考を繰り返し、コロネは顔を半ばまで沈めては息苦しくなったら顔を上げるを繰り返した。
絶対にあの当主が変なのだ。狂っている。頭が悪すぎる。それに奥様を愛しすぎてるし、夜は夜で物凄く盛んだし……。
「傷を掻くと血が滲みます」
「ごばっ」
無意識に傷口に手を伸ばしていたことに気づいたコロネは、突然の声に驚き湯を飲み込み吐き出した。呼吸を詰まらせ激しく咽て顔を上げれば、そこには一糸まとわぬ姉弟子が居た。
厳密に言えば先輩であり先生だ。
「お姉さま」
泣きたい気持ちを押さえつけコロネはまず自分の顔を洗った。
それと何となく自分の周りの湯を湯船から追い出す。もう混ざってしまっているかもしれないが仕方ない。この後に入る同僚たちが少しでも不快な思いをしないための配慮だ。
本当にこの屋敷に住む先輩方は優しい人たちばかりだから嫌われたくない。今日だってこうしてポーラ先輩と一緒にお風呂を使わせてもらっている。自分なんてまだまだ見習いと呼ぶにも恥ずかしい力量なのに『良いのよ。ポーラ様と一緒に長く浸かっていらっしゃい』と笑顔で送り出してくれるのだ。本当に優しい。
「ねえコロネ」
「はい」
先輩であるポーラは、普段の舌足らずな口調を止めていた。
彼女が普通に喋れるとコロネは知っている。理由を問えば『こうした方が相手が幼いと油断するんです』と教えてくれた。普段からそこまで考えているなんて本当に凄い先輩だ。
「大丈夫だから」
「……」
「兄様は防具のお店に武器を頼んだりしない」
「でも」
相手の自分の評価が少しだけ嬉しかった。
けれどコロネは……そっと左手で自分の小さな胸の上を押さえた。
「私は暗殺者で」
「私なんて孤児だったから」
「……」
相手の言葉にコロネは口を閉じるしかない。
ちょいちょい聞いているがどうしても信じられない。
こんなにも強くて賢い人物が孤児だったと言うことが、だ。
「私は本当に孤児だった。住んでいた集落ではこの色のおかげで嫌われ者で……毎日少しの食事でたくさんの仕事をしていた。ただ目が合っただけという理由で殴られたり蹴られたりもした。最近治して貰ったのだけど、骨折した骨が曲がったまま治っていたなんてこともあった」
「でもお姉さまは」
「うん。今は兄さまと姉さまの妹。2人がたくさんの愛情を注いでくれるから……だから私は2人に為に頑張ろうと日々一生懸命に学んでいるの」
少しだけ上目づかいでポーラは浴室の天井を見あげた。
前までは壁にランプを差し込んで明かりを取っていたが、今はとある魔女が作った魔道具がランプの代わりに仕事をしている。魔力を注げば光り続けるので下手をすると翌朝まで点灯してしまう。
市場に出ればとんでもない値が付く誰もが欲しがる魔道具だ。それが何個も並んでいる。
「ここに来た頃なんて私は骨と皮だけの痩せっぽちだった」
そっと湯の中から自分の右腕を伸ばし天井へと向ける。
今はもう骨と皮だけの腕ではない。毎日満腹で吐いてしまいそうなほどの食事を摂り続け鍛錬を続けた結果、程よい筋肉と脂肪を纏うようになった。
「髪も皮膚も爪もボロボロで……でも姉さまが毎日ピンピカになるまで洗ってくれた」
最近は気分が乗らないと洗ってくれない姉だが、この屋敷に来た頃は毎日洗ってくれた。
ピカピカになるまで……もう思い出せないほど色あせてしまった人の温もりを思い出せてくれたのが姉だった。
「兄さまも本当に優しくしてくれた。何かあればケーキばかり食べさせられたけど」
「でも甘くて美味しいです」
「うん。私もここに来るまであんなに甘い物があるだなんて知らなかった」
お互いに生活環境が悪かっただけに、初めてケーキを食べた時の言いようのない美味しさはいつまでも語ることができる。
コロネとしてはお店で売っている物よりも格段に美味しい非売品の存在は本当にズルいと思った。この家の関係者にならなければ絶対に食べられないのだから。
「兄さまも姉さまも本当に優しくて……でも決して馬鹿じゃない」
掲げていた腕を戻しポーラはコロネを見つめた。
「兄さまは防具のお店に武器は頼まない」
「……」
「兄さまができると判断したからにはコロネならできると信頼してのこと」
「でもお姉さま?」
「失敗しても平気。その為にミネルバ先輩が居るのだから」
その為だけにミネルバがユニバンスに残るわけではないが、ポーラはあえてそう口にした。
「先輩も見てくれる。だから恐れずにコロネは兄さまの代わりを務めればいい」
「……」
「ここまで言ってもできないなら諦めるしかない。私が兄さまに伝える」
未だ迷い俯く妹分にポーラは更なる言葉を重ねた。
「でもその時はコロネはこの屋敷から出ていく覚悟をして欲しい」
「っ!」
ハッとしてコロネは顔を上げた。
「主人の期待に応えられないメイドは要らない。先生の所に戻して……もうメイドは諦めることになるかもしれない」
「それは?」
「そこから先の道は私も知らない。ただコロネが望まない道であるかもしれない」
「……」
グッと唇を噛んでコロネはきつく左手を握った。
それは嫌だ。またあの道に……あの場所に戻るのは嫌だ。
今度は前と違い多少良い生活を送れるかもしれない。けれど常に死が隣に居る生活だ。生きるか殺すかのどちらかが運次第で決定する恐ろしい環境だ。それだけは嫌だ。
「嫌です」
「何が?」
コロネの声にポーラはわざと冷たく問う。
「私は……私は……」
言葉を詰まらせるコロネを見つめ、ポーラはただただ相手が自分の言葉を吐き出すのを待つ。
「もう嫌です。人を殺したくない」
「……」
「だってこんなに温かな人たちのことを知ってしまったから! だからもうあんな冷たい場所に戻りたくない! ここに居て私も笑っていたい!」
少女は顔を真っ赤にして自分の胸の内を叫んでいた。
「それならできるの? 兄さまの代わりを?」
「します。それが必要ならばします!」
迷いのない声にポーラは自然と笑った。
ようやく相手の心の奥が見えたような気がして凄く嬉しかった。
「なら頑張って。コロネならできるから」
「はい。お姉さま」
心温まる2人の様子を眺めていたミネルバは、何も言わない。
たぶん当主であるアルグスタがコロネにハンコ番を任せるのは、いつも代理を頼んでいるイールアムに断られ困った挙句の苦肉の策とは……2人の様子を見ている限り口が裂けても言えなかった。
~あとがき~
コロネの本音が溢れ出たおかげで主人公出番なしになってしまったw
甘さと優しさと温かさだけならドラグナイト家はユニバンスでも有数でしょうね。それを知ってしまったコロネはもうこの家から離れられません。
ポーラたちが先にお風呂に入ると…その後の入浴順がバトルロワイヤルになっています。
危なさすぎるのでその後の入浴シーンは描けません。禁断の白いあれに手を出した亡者共が宴を繰り広げている想像でお願いしますw
実は神聖国に行く前に番外編を挟もうかと思案してます。
番外と言うかスピンオフと言うか…もしもシリーズですね。
『もしもノイエの姉たちが普通に外で暮らしていたら?』みたいな物が書きたい病に襲われています。
何人か予測不能な人物が居て…あくまで気分次第と言うことで!
© 2022 甲斐八雲
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