絶望に勝る希望があるから

 ユニバンス王国・東部



「お姉さま。自分で食べられます」

「だいじょうぶです」


 この違和感は何だろう? 年下のはずのコロネの方がちゃんと喋っている。

 まあポーラの舌足らずは演技だと誰もが知っているのだが……我が家の妹様は頑なに舌足らずを継続している。理由は知らない。


 そんなポーラはコロネの世話を焼いている。


 右腕を失いまだ慣れていない義腕のせいで彼女は苦労の連続だ。

 何より大人サイズの義腕を右腕に装着しているので、自分の右腕に振り回されている感じでもある。大きすぎて邪魔にしかならないのかとも思うが、どこぞの魔女が言うには『人間って自分の手足の重さって感じない生き物なのよ。アンタは自分の右腕が重いとか感じるの?』だそうだ。


 そう言われると自分の腕が重いだなんて感じたことはない。

 ただそれを聞いていたノイエが『胸が重い』などと発言し、悪魔が去ったポーラが自分の胸を両手ガードして涙目になっていた。

 自分の体の一部でも重さを感じる場所はあるらしい。


 右腕を外したコロネは、左手で必死に夕飯を口に運んでいる。

 右利きだった彼女は左手に慣れるのに必死で色々と大変そうだな~と眺めていたら、世話焼きポーラさんが本領発揮した。

 コロネの横に座って自ら自分の妹分に食事を食べさせようとしだしたのだ。


 遠慮するコロネと世話を焼くポーラ……大変微笑ましい姿だが、ただ1人その様子を嫉妬に塗れた目で見つめるミネルバさんが怖いです。


 あの~ミネルバさん。今だけですから。コロネも左手に慣れたり義腕に慣れれば苦も無く生活をってポーラに介護して貰っていることが羨ましいの? だったら外にでも出て雨を浴びて風邪でもひいて来なさい。そうすればポーラは完治するまで看病してくれますから……って本当に出ていくなって。お~い。


 迷うことなく外に出て行ったミネルバさんの背を見送る。

 たぶんあの人は一晩中雨に打たれても風邪なんてひかないタイプの人だと思うけどね。


「はい。あ~んです」

「……あ~ん」


 視線を戻すとコロネがポーラの圧に負けて口を開いていた。

 うむ。仲睦まじいとはこのことか?


「アルグ様」

「はい?」

「あ~ん」

「……」


 ノイエさん。ちょっと待とうか? 拳大の肉の塊を『あ~ん』などと言って相手に勧めたりしちゃダメなんだぞ?


 目で訴えても彼女には通じないらしい。ならば覚悟を決めるしかない。これがノイエの夫としての宿命である。


「あ~っぐ!」


 今顎がグギッと鳴ったからね? その大きさを押し込んじゃダメだから……マジで。




「はい。ぬぎましょうね」

「お姉さま?」

「うでをあげて」


 仕切りとしてロープで渡してある布の向こうでポーラとコロネの声が聞こえて来る。


 借りた家にはお風呂などは無く、タライに熱したお湯を入れて体を拭くぐらいしかできない。

 仕切ったのはミネルバさんとコロネが居るからで、僕ら家族だけなら仕切りは必要としなかっただろう。


 それで良いのかポーラさんとも思うが、質問をしたら返事など決まっているので聞かない。

 本気でポーラは僕との婚姻を望むのか? でも妹に手を出すのは……うん。やっぱりポーラが成人するまでスルーだな。未成年には絶対に手を出しませんから。


「お姉さま。そこは自分で」

「いいです」

「恥ずかしいです」


 声だけ聴いているとロリコンさんたちが大興奮な内容だな。でも僕の目の前にはパーフェクトボディーの持ち主であるノイエが全裸で立っている。その目が『拭いて』と訴えているので全力で拭きましょう。メイドさんが居ないから仕方ないのです。3人も居るはず? 今は居ません。邪魔させません。


 新しい何かに目覚めそうになりつつもノイエの全身を拭いたら……何故かノイエさんが両手にタオルを装備した。


「拭く」

「うむ」

「脱いで」

「はい」


 ノイエの圧が凄い。

 ただノイエさん。力加減って言葉を知っていますか? 知らないですか……知らないの? 本当に? 痛いのは嫌ってことです。痛くしない? 本当に? ならばお嫁さんの言葉を信じるのみ!


「だからってノイエさん」

「はい」

「そこだけ拭くのはどうかと僕は思うのですが?」

「一番大切なところ」


 だからってノイエさん。ここでそんなことをされても今夜は無理だからね? 何故ショックを受けたようにアホ毛を驚かせる?


 逆に僕もビックリだよ。




「ちゃんともうふをかけて」

「はい。お姉さま」


 コロネとポーラは一緒の布団で眠ることとなった。


 そろそろポーラさん。隣の布団が無人であることに気づこうよ。雨の中ミネルバさんはまだ立っているよ? でも本日のポーラさんはお姉ちゃんモードらしいので、コロネの相手に忙しく先輩メイドさんの存在を忘れています。


 ただこうして見ているとコロネが本当に暗殺者だったのかとも思う訳です。

 見た感じは普通の女の子なんだよね。


「アルグ様」

「は~いノイエ。両手を上げて」

「はい」


 両手を上げたノイエを毛布で包んでそのまま抱き着いて寝床に倒れ込む。


「む」

「今夜のノイエさんは僕の抱き枕です」

「むぅ」


 不満げにノイエのアホ毛がペシペシと僕の頭を叩いて来る。本当に便利なアホ毛だ。


 しばらく叩かれ続けていたけれどノイエが飽きたのか静かになった。

 こんな静かな夜があっても良いと思うんです。今夜ぐらいね。




「大丈夫。スハ?」

「ええ」


 戻って来てから壁に寄り掛かり目を閉じていた人物に対し、セシリーンは足に抱き着いて眠る猫を撫でながら……僅かに動いた振動を感じ、声をかけるタイミングだと判断し、傷心しきっている風にしか見えない相手に微笑みかけた。


「泣きたいなら胸ぐらい貸すけれど?」

「何よそれ?」

「ん~。最近の私の仕事かしら?」

「知らない間にお母さんね」


 苦笑しスハは深く息を吐いた。


「ねえ歌姫」

「何かしら?」

「人って……何を切っ掛けに踏ん切りをつけるのかしらね」


 顔を上げスハは天井を見上げる。

 俯いていたら溢れ出る感情のままに泣き出してしまいそうだからだ。


「それこそ人それぞれじゃないかしら?」

「そうね」

「少なくとも私は……何が切っ掛けだったのかしらね」


 苦笑してセシリーンは猫の背を撫でる。


「たぶんまだ胸の奥に棘は刺さったままだと思うわ。これが取れることは難しいと思う。でもその痛みに苦悩することは減ったと思う。疼くことはあるけれど」


 チクリとすることは今もまだある。

 それをセシリーンは認めている。自分の罪を忘れることは出来ない。


「……私はずっと疼いてばかりよ」


 スハの声は沈んだ物だった。


「それは仕方ないわ。貴女は大切な人を喪ったのだから」


 自らの手で自分が愛する者を殺めてしまったスハは……それを乗り越えるのは難しいと思う。

 胸の奥に突き刺さる棘は数多くそして深いはずだ。


 理解できる歌姫は、自分のことを正直に告げることとした。

 何かの切っ掛けになればと。


「私もあの日大切にしていた人たちを殺めた。一番大事にしていた歌で」


 泣いてしまいそうな感情のままにセシリーンは言葉を続ける。


「ずっとそれが私の胸の奥に棘となって突き刺さったままだった。でも最近は疼く時もあるけれどでも前ほど苦しさを感じなくなったわ」

「どうして?」

「そうね」


 ポロリと涙を落としながら、セシリーンは猫の背を撫でる。


「私を母親と慕う可愛い娘が居る。自慢の弟子が居る。何より彼が居て……」


 そっとセシリーンは自分の腹部に手を当てた。


「絶望に勝る希望があるから。だから今は昔ほど辛くない。そう言うと私って酷い女なのかもしれないけれど」

「そうね。でもずっと引きずっているよりかは良いのかもしれない」


 ゆっくりと立ち上がりスハは辺りを見渡す。数本の魔剣が床に転がっていた。


「一本貰っていくわ」

「アイルの許可を得て」

「嫌よ。あの魔女のことだから絶対に許さないだろうし」


 丁度良い長さの魔剣を拾い上げ、スハは軽くそれを振るった。


 そうだ。昔は嫌なことがあればこれを振るって気晴らしをしていたはずだ。


「ねえ」

「カミーラならいつもの所に居るわよ」

「そう」


 スハは頬を流れる涙を拭った。


「ならちょっと行ってくるわ」

「死にに?」


 呆れた様子で問う相手に、スハは今度こそ笑う。


「100回に1回ぐらいは私だってカミーラに勝てたのよ。昔はね」


 きっと今は何度やっても勝てないと思うが、それでもスハは真っすぐ足を動かした。


 今日は何度死んでも剣を振るいたい気分だった。それなら相手は最強が良い。

 あれは本当に容赦なく……何よりこっちの気分など気にしない相手だからだ。




~あとがき~


 スハの故郷で一泊ですが、ポーラはコロネに付きっきりです。

 それを見ていたミネルバさんは…頭を冷やしに外に出たんだよね? そのまま一晩中雨に当たっていたの? 本当に風邪をひくよ? 元気そのものなの? 滝行か何かの類ですか?


 魔眼の中では吹っ切れないスハと吹っ切りつつある歌姫のトークです。

 結局脳筋の類は考えるより体を動かす方を選ぶらしい。


 だからってカミーラに挑むのってどうなんだろう?




© 2022 甲斐八雲

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