ファシーさ~ん!

 ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸



「きゅう~」


 ノイエが目を回して横たわる。満足気だから問題はないはずだ。

 まさかの展開に僕もビックリだけど、ノイエとの約束は果たした。


「にゃお~ん」


 こちらも満足そうな猫が可愛らしく吠える。

 ノイエのアホ毛を片手で押さえ込んで、どこか誇らしげだ。


『約束』を口にして迫るノイエをお風呂だ食事だと必死に回避しようとしたが意味は無かった。

 さっさとその両方を済ませて寝室へと僕を引きずり込んだノイエだが、ここで予想外の展開が待っていた。ファシーの裏切りだ。


 ベッドの上に僕を横たえ『いただきます』状態だったノイエの背後から猫が飛びついてアホ毛を攻撃した。姉の裏切りなど想定していなかったのか、ノイエのアホ毛は猫パンチの直撃を受けて一発KOだった。


 後は猫が気ままにアホ毛を弄び、その隙に僕が頑張った。久しぶりにノイエに勝ったのだ。

 2対1とか卑怯じゃないかとかのツッコミは受け付けない。勝てばいいのだよ。


「にゃん」

「……」


 問題は愛らしい鳴き声を発しながらノイエのアホ毛で遊ぶことを止めた猫がこっちを見ている。

 昨日の友は今日の敵だ。これから猫との戦いが始まる。


「ん~。アルグ、スタ、様」


 近づいてきた猫が僕の胸に飛び込んで来て甘えだした。

 スリスリと頬を擦り付けて本当に愛らしい。だが僕は知っている。この猫は大変狂暴だと。


「アルグ、スタ、様」

「なに?」


 甘えて来る猫が僕の顔を見つめて来た。


「好きに、して、いいよ」

「はい?」

「好きに、して、いい」


 顔を真っ赤にして甘えん坊の猫が僕の胸に顔を押し付ける。


 恥ずかしそうにその表情を隠す仕草がまた可愛い。と言うかどんな気まぐれだ? この肉食系の猫が草食系な発言をするとは……気まぐれか? 猫の気まぐれなのか?


「ダ、メ?」

「ダメじゃないけど」

「な、ら」


 僕から離れて猫がコロンと横になる。

 お腹を見せて撫でて~って感じにも見えなくもないが、こうも愛らしい仕草をしてくると僕も疲労を忘れてやる気に満ちて来る。


 というかこれだよこれ! いつも肉食だから忘れがちだけど、この猫はこの愛らしさが良かったのだ。忘れていた何かを思い出して……。


「アルグ、スタ、様?」

「いただきま~す」

「にゃんっ」




「……」


 膝から崩れ落ちたホリーの様子に気づきながらもセシリーンは自慢の娘のしたたかさに気づいていた。彼はあの猫の罠にはまっていることに気づいていない。気づかないで猫を可愛がっている。

 あれが猫可愛がりというものだろうか? 言葉だけを聞いたことがあるだけで内容までは知らないけれど。


「ホリー?」

「……嘘よ」

「事実よ」

「嘘よ!」


 泣き叫ぶホリーは現実を認めたくない様子だ。だが事実だ。彼は全力で猫を愛でている。

 それこそノイエを相手にしている時のように愛の言葉を囁きながら……聞いているこっちが恥ずかしくなる言葉が並ぶ。あの手の言葉は一歩引いて聞かない方が良い。気持ちが高まっていない状態で聞くとただ恥ずかしいだけだ。


「ウチのファシーの勝ちみたいね」

「違うんだから~!」


 現実を認めたくないのかホリーは泣きながら駆けて行った。

 もう完全に負けを認めているような物だが、あの殺人鬼は決して自分の負けを認めない。


《やっぱり私の娘は凄いわね》


 自分の膝を抱きよせて歌姫は幸せそうに鳴く娘の声に頬を赤らめる。

 普段の振る舞いが猫っぽいのと、幼い感じしか見せないファシーだが……実年齢は自分と同じくらいだ。はっきり言えば行き遅れている部類の女性だ。


 故にその鳴き声は年相応の艶のある……聞いてて増々頬が熱くなるのを感じ、セシリーンは意識を別の方へと移した。

 魔眼の中は今日も……ある意味で平和だ。深部の方ではいつも通りの様子だが。


《あら?》


 耳を澄まして確認していたセシリーンはそれに気づいた。

 小気味良い呼吸は間違いない。カミーラの物だ。


 毎日のように鍛錬を忘れないカミーラの呼吸は良く耳にする音の1つだった。最近全く聞こえなかったが、それがいきなり戻ったと言うことは……刻印の魔女が関係しているのだろう。

 彼女の行動は脈絡が無く、何より神出鬼没で掴めない。突然湧いて出て来て、


「それって失礼よね。貴女が私を捕まえ切れていないだけでしょう?」

「……」


 こんな風に突然やって来て心の中を見透かすのだ。


 セシリーンは微かに頬を引き攣らせながら、ゆっくりとその見えない目を相手に向ける。

 薄ぼんやりと何となく何かを映すだけの目でしかないが、それでもこの魔女が相手なら自分の目で何かが見えるかもしれないと若干期待してしまう。


「無理無理。その目は機能的に死んでいるから……魔法で強制的に移植しても良いんだけどね。問題は魔眼じゃないと拒絶反応が出て、目が腐ったり頭の中が腐ったりするかもだけど?」

「そんな恐ろしいのは嫌です」

「あはは~」


 伝説の魔女の言葉にセシリーンは無意識に自分のお腹に手を当てていた。


「それで私に何か?」

「ええ。その化け物染みた耳に用があってね」

「この耳ですか?」


 片手で自分の耳に触れセシリーンは魔女にそう問う。


「それとついでにもう1つの実験にも付き合って欲しいのよ」

「はい?」


 魔女の声に言いようのない不安を感じた。

 楽しんでいるよう感じがして……事実この魔女は何事にも楽しみを見出して遊び出す人間だ。


「大丈夫。ちょっと準備を始めるから……その間、自慢の娘が本性を剥き出しにするさまを眺めてなさい」

「……」


 恐怖しか感じない言葉に歌姫は救いを求めて娘に、ファシーに意識を向ける。


 彼女は……本性を晒していた。




「くひひ……」

「ファシーさん?」


 大人しくて愛らしかったファシーが突如として笑いだした。

 ずっと我慢していた何かが溢れ出した様子で笑う彼女の笑い声は、いつもの危険を感じる物ではない。違った意味で危険は感じるけれど、魔法が暴発しそうな様子は見えない。


 されたい放題だった猫がゆっくりと動いて襲い掛かって来た。

 あっという間にマウントポジションだ。だからノイエの姉たちって寝技強すぎない? やはりあれか? 彼女が魔眼の中に居るのか?


「ファシーさん?」

「くひひ」

「お~い」


 僕の上を制圧したファシーが、前髪で隠れた瞳を僅かに覗かせる。

 怪しい色香を振りまく妖艶な目にドキリとした。


「きっと、ホリーは、逃げて、いる、はず」

「はい?」

「私の、勝ち」


 意味の分からない勝ち負けを言われましても?


「もう、いい、はず」

「はい?」


 頭を動かしファシーが僕のことを見つめて来る。

 妖艶なのに……何処か獲物を、遊び道具を、前にした猫のような目を見せた。


「ここ、からが、本番」

「ちょっとファシーさん?」

「私の、時間」

「ファシーさ~ん!」


 いつも通りの肉食獣と化したファシーが襲い掛かって来た。


 振りだったのか? か弱くて愛らしい猫の振りをして、こっちが食らいついたら本性を見せてくるとは!


「ファシーさん!」

「くひひ……くひっ」

「そこは~!」




 燃え尽きた。完全燃焼だ。


 救いを求めてノイエに手を伸ばすが、彼女はスヤスヤと寝息を立てていた。

 グッスリだ。僕が猫に襲われて悲鳴を上げていたのにグッスリだ。


 ノイエって絶対に自分の家族たちが僕に危害を加えないと信じているよね。

 確かに危害は加えない。でもこの猫は危ないんです。


 逃れようとする僕の前に回り込んだ猫が、救いを求める僕の手を掴んだ。


「くひひ……まだ、ダメ」

「ファシーさん? もう無理です」

「大丈夫」


 完全に逝っちゃってる目でファシーが僕を見つめて来る。


 駄目だ。暴走したファシーが止まらない。

 誰か助けてください。


「もうこの子ったら」

「……にゃん?」


 猫が声を上げた。

 ファシーの背後から手を伸ばし、彼女を抱きかかえたのは歌姫さんだった。


「セシリーン?」

「ええ」


 いつものように微笑んでいるように見える表情を僕に向け、セシリーンは猫を抱きかかえる。


 あれ? 宝玉の計算が合わないような? ところでノイエは? ファシーの背後に居たノイエは?




~あとがき~


 ファシーの協力を得てノイエを倒した主人公は真なる敵と向き合う。

 ただ本日の猫は甘えん坊モードで、こうなるとただただ可愛い猫でしかない。美人局だよね?


 そんな訳で調子に乗った馬鹿は猫の本性に…で、何故か歌姫さんが?




© 2022 甲斐八雲

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