ここは本当に平和だね

「戻ったのね。アイルローゼ」

「……ええ」


 戻ると直ぐにアイルローゼは身構えた。

 けれど魔眼の中枢にはこの場所を住処としている歌姫しかいない。

 安堵にも似た息を吐いて、アイルローゼは壁に寄り掛かり座って居る歌姫に目を向けた。


「変わりない?」

「ええ。とても穏やかな日々だったわよ」

「本当に?」


 盲目であり両目を閉じている歌姫は、そのせいかいつも微笑んでいるように見える。

 彼女の顔が優しげな母親の表情と呼ばれているのはそれが理由だ。


「みんな静かに過ごしていたわ。魔女の命令もあったから仕方ないのだけれど」

「本当に?」

「ええ。カミーラたちが外に出たりしたでしょう? あれだって魔女が手回しをして私たちが外に出れないようにしていたのよ」

「そう。あの魔女は本当に性悪ね」


 一歩間違えば殺し合いのような戦いになると言うのに……それを楽しんでいたとは理解できない。


「ええそうね」


 ふとアイルローゼは今一度歌姫を見た。

 いつも通りの彼女がそこに座って居る。何らおかしな点はない。しいて上げれば我が子のように可愛がっている猫が居ないぐらいだ。それだって普通のことだとも言える。


「セシリーン。何か言いたげのようだけど?」

「気のせいじゃないかしら?」


 やはりだ。やはり歌姫の声に棘を感じる。

 アイルローゼは少しだけ眉を寄せ、不意に感じた気配に横へと飛んだ。

 自分が居た場所を薙ぐように刃が通り過ぎたのだ。


「うわ~。失敗失敗」

「……レニーラ?」

「あは~」


 襲撃して来たのは舞姫だ。

 巨大な鎌を手に気軽な感じで殺しに来た。


「今ので死んでた方が良かったと思うよアイルローゼ」

「……何を?」

「わんわん」


 ビクッと全身を震わせアイルローゼは視線を巡らせる。

 何処か気配のおかしい歌姫が嗤っていた。


「わんわん。わんわん」

「……何を言ってるのよ。セシリーン」

「あら? お気に召さなかったかしら?」


 嗤う歌姫にアイルローゼは戦慄した。


「貴女が彼の前でお尻を振りながらそう鳴いていたのよね?」

「だよね~」


 歌姫と舞姫に挟まれアイルローゼは理解した。

 だからこそゆっくりと立ち上がり、汚れてはいないが服を払って存在しないゴミを落とす。


「嫉妬かしら? 私が彼に愛されていたことに対しての?」

「「あん?」」


 前後から凶悪な凄味を投げつけられた。


「仕方ないでしょう? 彼が私をこんなにも求めるだなんて思いもしなかったのだから……ごめんなさいね。ノイエと同じくらいに寵愛されてしまって」

「……アイルローゼ」

「何かしら?」


 微笑む歌姫に対しアイルローゼは毅然とした態度で応じる。


 座って居る歌姫は対して恐ろしくもない。気を付けるのは彼女の声だけだ。

 一番警戒するべきは背後に居る舞姫。

 彼女自身戦いの経験は無いが、その類稀な運動神経は熟練した騎士以上の動きを見せる。


「貴女が妊娠していたら手加減を加える気で居たの」

「……」

「でもその心配は必要なさそうね」

「なら全力で!」


 背後からの攻撃をアイルローゼがある程度回避したのはただの偶然だ。

 偶然ではあるが、命の代わりに左腕の肘から先を代償として支払った。


「だから大人しく死んでいれば良かったのに……」

「何よ? この術式の魔女が簡単に死ぬと思っているの?」

「うん」


 頷き大鎌を構えるレニーラに対し、出口への道を得たアイルローゼは微笑む。


「だって敵は私たちだけじゃないしね」

「っ!」


 咄嗟に逃げようとして駆けだしたアイルローゼは弾かれた。

 出口までの空間に透明な壁が存在して居るのだ。こんなことが出来るのはこの魔眼の中でただ1人だ。


「アイルローゼ~。み~つけた~」


 左右の手に短剣を持ちケタケタと笑うメイド姿の女性はシュシュだ。

 気が触れているとしか思えないが……触れているのだろう。


「そう貴女も……揃いも揃って嫉妬なんて本当に情けない」

「「「あん?」」」


 凄みの圧が増えてもアイルローゼは決して揺るがない。


「この術式の魔女が纏めて相手をしてあげるわ」

「そっか~」

「なら~」

「「死ね!」」


 同時に飛び掛かって来たレニーラとシュシュに対しアイルローゼは魔法で抵抗する。

 2人とも武器を手にしているが特に近接戦闘を得意にしている訳ではない。むしろ自分たちの武器を弱めていることに気づかないほど頭に血が上っているらしい。


《このまま耐えて返り討ちにすれば》


 弱まってはいるが、2人の武器による攻撃は脅威だ。

 でも回避を続ければ隙が生じて……必死に踏ん張り続けるアイルローゼはそれに気づいて戦慄した。


 猫耳だ。出入り口に猫耳が見えたのだ。

 この場所でそんな物を被っているのはただ1人しか居ない。


「なあ~」


 可愛らしい鳴き声に殺し合いをしていた3人が動きを止めた。


 姿を現していた猫耳が動き、前髪で隠した顔を覗かせる。

 ゆっくりと魔眼の中枢に入って来た立って歩く猫は、2対1の構図を見つめ……真っすぐアイルローゼの前に移動して来た。


 この状況下で相手に猫まで加わると……流石のアイルローゼも自身の死を確信した。

 勝てる見込みなど微塵も、


「シャー」


 やって来た猫はアイルローゼに背を向け襲撃している2人に威嚇する。

 思いもしない行動に3人が3人、我が目を疑った。


「先生、イジメるの、ダメ」

「うう……ファシーが他人を庇うようになるなんて……お母さん嬉しい……」


 本気で涙する親馬鹿な声が聞こえて来たが全員がスルーした。


「どうして、こんな、ことを?」

「どうしてって」


 問われたレニーラは全てを告げる。

 外に出ていたアイルローゼがどれ程彼に可愛がられ、そして何回抱かれていたのかを事細かにだ。そう事細かなのだ。それこそノイエが居ない場所での行為ですら詳しく説明するのだ。


「おかしいでしょう! 何で貴女がそれを知っているのよ!」

「刻印の魔女が教えてくれた。魔道具による映像だっけ? あれと一緒に」

「あの性悪魔女が~! 私の気持ちを何だと思っているのよ!」


 大絶叫するアイルローゼに対し、その場に居る全員が掛ける言葉を見つけられない。


『決まっているわ。娯楽よ』


 唯一当事者だけが容赦のない言葉を何処からか放って来た。


「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな~!」


 怒りに任せて床を踏みつけるアイルローゼに対し、その場に居る者たちはまたも掛ける言葉を見つけられなかった。


「だから彼の寵愛を受けたあの魔女に制裁を!」

「……」


 気を取り直したレニーラの言葉にファシーはうんうんと頷いた。


「なら、もう出て、良い、の?」

「「「「……」」」」

「良い、の?」


 首を傾げながらもジリジリと足を動かす猫の様子に、レニーラが大鎌を振るってその動きを制する。


「抜け駆け禁止だよ! 私が旦那君の元に、ぶっ!」


 透明な壁に激突したレニーラがズルズルとその壁を滑り落ちる。


「油断は~禁物~だぞ~」


 魔法でレニーラを制したシュシュが床を蹴って走り出そうとする。が、横合いから飛び出してきた猫がパンチをして来て回避に専念する。

 違う形で三つ巴の戦いとなり、アイルローゼは失った左腕を押さえながら歌姫の傍へと移動した。


「ねえ歌姫」

「何かしら?」


 一瞬視線を迷わせながら、それでもアイルローゼは意を決した。


「……本当に妊娠していないの?」

「知らない」

「えっ?」

「だってその体は」


 それ以上の説明は必要としなかった。

 魔眼の中に居る自分たちの肉体はホムンクルスと言う人工的な存在なのだ。


『妊娠してないから。もうガッカリ』


「「「「「……」」」」」


 聞こえて来た声に全員が動きを止め、そしてまた三つ巴の戦いが始まった。

 苦笑したアイルローゼはセシリーンの横に腰を下ろして天井を見上げる。


「残念だった?」

「……どうかしらね」


 こればかりは運任せだ。魔女であってもどうこう出来ない。


「でも少しだけノイエの気持ちが分かったかもしれない」

「そう」


 クスクスと笑う歌姫を軽く睨んでアイルローゼもまた笑った。




 左目に戻って来たリグは真っすぐ魔眼の中枢に向かう。

 可愛らしい雄たけびを不審に思い、念の為に警戒しながら中を覗き込むと……レニーラとシュシュを倒したファシーが2人の上に乗り愛らしく吠える。


「なお~ん」


 機嫌良さそうに鳴く猫の下で敗者の2人が折り重なって気絶していた。

 何があったのかは分からないが、何かしらの何かがあったことだけは理解できる。


「……ここは本当に平和だね」


 呆れながらリグはそう言うと真っすぐ歩き出した。



 宝玉を使い外へ出るために。




~あとがき~


 魔眼の中はある意味で平和ですw

 実は色々とフラグが立っていますが解説スルーで話は続きます。


 勝者はファシーでしたが、気持ち良く勝利の雄たけびを上げている隙にリグがまさかの掻っ攫いです。

 そんな訳で小さいのに大きいのが外に出て…あの件を片付けます




© 2022 甲斐八雲

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