さあどっち?

 ユニバンス王国・北東部新領地(旧共和国リーデヘル地方)



「……ん?」


 ズキズキと痛みが走る頭を軽く振り、男性……バニッセは薄く目を開いた。


「あら? 目が覚めた」

「……ネルネ様?」


 開いた瞼から差し込んできた明かりに軽く呻きながら、バニッセは相手の声に体を震わせる。

 奇麗で冷たさを感じる声音は間違いなく上司の物だ。


 バニッセは確認の為に体を揺すると……どうやら拘束されて椅子に縛り付けられていることを知った。


「なぜ?」

「何故ですって? しいて言えば時間が悪かったのよ」

「時間?」

「そう」


 クスクスと笑う上司の姿が視界に入る。

 ネルネは喪服の様な全身黒色のドレスを身に纏っていた。


「貴方が訪れた連絡員は王都からの指定でしょう?」

「ああ」

「誰からの?」

「……長からだ」

「そのはずよね」


 ネルネは相手の言葉に頷き返す。


「貴方も立ち聞きしていて知っているでしょう? 今回私たちは完全に『後手』を踏んでいるのよ。踏まされていると言っても良い。

 この街は裏切者のおかげで、裏の勢力は完全に共和国の支配下なのよ」


 机に浅く腰かけてネルネは相手を見やる。


「王都はその事実を知らない。何より私がこの場所に店を構えたのだってある意味相手の視線を集める囮なのよ」

「……つまりは?」

「貴方が通常通り報告を送ろうとすれば、その知らせは王都ではなく敵の誰かに届く。簡単なことよ」


 呆れ果てた様子でネルネはため息を吐いた。


「私が現場を離れている間に……密偵衆もだいぶ腑抜けばかりになったわね? だから暗殺家業に精を出すことを私は反対したのよ。あんな売れ残りのチビが上に立てば組織が緩むのは目に見えて明らかだったし、何より実際そうなった。

 王都に戻ったら一度あの筋肉馬鹿な王弟の所に殴り込む必要があるわね」


 軽く親指の爪を噛んでネルネはそう決めた。


「そうそうバニッセ」

「はい」


 王弟への苦情は一度我慢し、ネルネは頭の中を仕事に戻す。


「一応貴方が裏切者では無いか確認した方が良いと思うの。どうかしら?」

「……」


 冷ややかな上司の声にバニッセは全身を震わせる。

 ニタリと笑った彼女は……そっと右手を突き出し指を2本立てる。


「相手を選ばせてあげる。私か私の部下か……さあどっち?」


 どちらを選んでもバニッセは自分の何かが壊されてしまう未来を想像した。




「エレイーナ」

「はい」

「貴女は今夜の顛末を見届けたら急ぎ王都に向かい走りなさい。一応部下を付けるけれどたぶん今夜ここは襲撃を受ける。だから実質1人で行くことになる」

「……」


 バニッセが部下による確認を選んだので、ネルネはその指示を出してから次の仕事に向かい歩き出していた。


 買い取った娼館の中をコツコツと足音を響かせ廊下を歩む。

 その後ろを借りてきた猫のように静かに続くのはエレイーナだ。


「貴女はあの共和国から単身でユニバンスまで戻ったと聞いたわ。出来るわよね?」

「……やります」


『お断りします』という言葉を飲み込みエレイーナは、何かしらの悟りを得た表情で頷いた。


「それで良いのよ。それと荷物を纏めたら地下の隠し通路を通ってこの建物から出て行きなさい」

「隠し通路ですか?」

「ええ。私の一族は王家から土を掘って進む魔道具を預けられている。だから必ず私が別の場所に行く時は地下室のある場所を選ぶのよ」


 歩んでいた廊下から地下へと向かう階段へと場所を変え、2人は石造りの段を降りて行く。

 たどり着いた場所は殺風景な地下室だった。


 四方を石の壁で覆われ、一角だけがその石を崩されている。

 人ひとりが這って進むほどの大きさの穴が存在していて……エレイーナは何となくそれを見つめてから視線を上司へ向けた。


「崩れたりしませんよね?」

「今までにそんな事故は数えるくらいよ」

「……」


『あるんだ』という本音をエレイーナは飲み込んだ。


「王都での練習中にとある貴族の奥方様が起こした地震で崩れただけよ。この場所なら問題無いはずだわ」

「……そうですね。あの人たちは居ませんしね」


 胸の奥から嫌な記憶が溢れて来てエレイーナはガタガタと震えた。


「荷物を纏め次第」

「それなら大丈夫です。もう行けます」

「あら?」


 相手の言葉にネルネは部下を見る。

 エレイーナは自分が着ている服の胸元を軽く引っ張った。首から下げているらし小さな袋と普通サイズの胸が見えた。


 ネルネ的には胸の大きさなどあまり気にしない。重要視するのは相手の反応だ。


「お金は全てここに隠してあります」

「食べ物は?」

「野草の類も食べられますし、現金があれば途中で手に入りますから」

「良い心がけね」


 ここまで覚悟を決めている密偵はそうは居ない。下手に元貴族の者なのだと足かせとなる荷物を大量に抱えて身動きが取れなくなって自滅することもある。

 だがこの部下はその愚を犯さない。余程前回の任務で色々と学んだのだろう。

 これは期待が出来る。


 確りと名前を覚えておこうとネルネは決めた。


「ならさっさと行きなさい。その穴は一方通行で、貴女が通ったら崩してしまうから」

「それは何故ですか?」

「決まっているでしょう」


 クスリと笑いネルネは上唇を舐める。


「今夜ここは襲撃される可能性が高いのよ。だからこんな抜け道が存在していると知れば相手は間違いなく事を運ぶ」


 それは避けなければいけない。大人数が動いてしまったら止めることが出来ない。


「だから私たちはこれ以上後手を踏むことはできないのよ」




 北東部新領地(旧共和国リーデヘル地方)・とある倉庫



「むあっ」


 何かに圧迫されてイーリナは目を覚ます。自分の顔の上にはレイザの右腕が乗っていた。


 1つの小さなベットに2人は無理があった。

 レイザほど小柄だから行けると思ったが、やはり無理だったらしい。


「レイザ邪魔」

「……むぅ」


 可愛らしい声を上げレイザも目覚める。

 器用に体を起こし一本しかない腕で目元を擦る。


「おはよう。イーリナ」

「うん」


 イーリナも軽く背伸びをし、凝り固まっている体をほぐす。


 ベッドの隅に移動したレイザは、座っている人形に手を当ててそれを操る。

 立ち上がったメイドは主人を包み込んで胴体へと押し込んだ。


「いつ見ても凄いわね」

「ええ。でももう何年とこれだから」


 本当に慣れてしまったので苦も無く人形の中に納まり、レイザは自分の感覚を人形へと繋いでいく。

 全ての感覚が人形の中に溶け込んでいく感じだ。


「それよりもリディは?」

「この場所は狭いからって……」


 イーリナは辺りを見渡す。


 2人が居る場所はとても狭い部屋だ。

 娼館の地下に存在する通路を抜け、たどり着いた商店の裏口を出てからしばらく歩いた場所に存在するこじんまりとした倉庫の中に存在する建物だ。

 管理人の休憩用に準備された寝床としか思えない。


 部屋の中に居ないのなら外の倉庫だろうと思い、イーリナもベッドを降りて部屋を出る。


 ガランとした倉庫内には何も置かれていない。ただ1人リディだけがその真ん中に立っていた。

 服を脱ぎ、上半身は裸で下半身は下着だけといった姿だ。


「2人とも目は覚めたのか?」

「はい」


 リディの声に反応したのはレイザだ。


 静かに視線を向けて来た特務騎士に……レイザは内心で舌を巻く。

 人の目には見えない力を感じた。それは人形である自分だから感じられた“力”だと判断する。


「ご質問が」

「何かな?」


 好奇心からレイザはリディに問う。


「私があと3歩踏み込んだら、この首は飛びますでしょうか?」

「友人に向ける刃は無いが、2歩で飛ぶ」


 体ごとレイザたちに向いたリディは、その精悍な顔に浮かぶ汗を雑に拭う。


「3歩なら数えるのが面倒なくらいに刻めるさ」


 その答えを見えない者であるイーリナは首を傾げて聞いていた。




~あとがき~


 タイミングが悪くいつもの仕事に準じたバニッセさんは囚われの身に。

 ただしネルネが相手じゃないなら廃人になる率は低いかも? 部下が相手なら屈強な騎士でも数時間で従順な犬になるだけですからw


 リディの能力は魔法ではありません。魔道具でもありません。

 彼女が師事し学んだ技術の果てに会得した特技ですので…詳しいことは本編で!




(C) 2021 甲斐八雲

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