帰っていいっすか?

 上空300m



「あそこね」


『はい』


「にしてもこれは……」


 光学迷彩の魔法を身に纏い空に同化しながら刻印の魔女は眼下に広がる場所を見る。


 帝国軍がジリジリと忍び寄ってきている。

 確実に一網打尽にするという気配を漂わせ……やる気満々だ。


 対するユニバンス軍は完璧な退路を作っていた。

 確実に退却するという強い意志が見て取れる。ここで戦う気はないのだ。


「ん~」


『どうかしたのですか? ししょう』


「ちょっと帝国軍師が残念な子に思えてきてね……優秀なのに勿体ない」


 その目を千里眼にし全てを覗いた刻印の魔女は帝国軍師をそう評した。

 大国の軍師を務めるだけの才能は持っている。けれど甘い。甘すぎる。


《勝ちだけでは人は堕落する。敗戦と絶望が人間の本質を変える起爆剤なのだけど……》


 遅すぎたのだろう。負けを得る時が。

 もっと早くに経験していれば、成長することもできた。けれどあれはもう伸びしろが見えない。

 見切りをつけて刻印の魔女は帝国軍師に『失格』の烙印を心の中で押した。


 と、プリプリと怒る感情を刻印の魔女は自分の中に感じた。


『むかんけいなひとをたくさんころすじんぶつに、なさけなんてむようです!』


「確かにね。その意見には激しく同意するわ」


 刻印の魔女は弟子の言葉に理解を示した。


 戦争であれば人が死に合うのは仕方ない。けれど自分の趣味で死ななくて良い人たちを殺すのはただの殺戮だ。狂気だ。許せることではない。


「だったら少し嫌がらせてもしようかしら?」


『いやがらせですか?』


「そう」


 クスッと笑い刻印の魔女は、自身が座っている箒型の魔道具にもう一度魔力を追加する。


「貴女は色々と才能があるのだけど……唯一の不満はあのお姉さんほど魔力が無いことよね」


『がんばります』


「頑張ってどうこう出来ることじゃ」


『がんばります』


「……」


 持って生まれる才能なだけに後天的に魔力が爆発的に増えることはまずない。

 ノイエのような祝福を得れば別だが、あとは術式の魔女が作ったプレートを体内に埋め込むぐらいしか方法は無い。


「そっちは後で考えるとして」


 今一度『千里眼』で天幕の中を覗き、刻印の魔女は次の一手を考えた。


「決めた。嫌がらせはみんな仲良くね?」


『はい』


「良しよ~し。我が弟子もようやく分かって来たみたいね」


 上機嫌で魔女は宙に文字を描き始めた。

 目標は攻撃を仕掛けようとしている帝国軍。使う魔法は……特異な広範囲攻撃魔法だ。




「……」


 ギリッと奥歯を噛んで帝国軍師は相手を睨む。

 整った顔に薄っすら笑みを浮かべる憎たらしい人物だ。


 敵だ。殺すべき敵だ。


 何回も何回も心の中で相手の顔にナイフを突き立て、帝国軍師……セミリアは駒を動かす。


 攻撃の手は緩められない。


 緩めれば重装歩兵と狂戦士が一気に本陣を狙ってくる。

 だから細心の注意を施しながら敵の遊び人へ攻撃力を集中する。


 ただ動きにくい。相手が先手先手で行く道を塞いでくる。

 一瞬でも判断を間違えればこちらの攻撃陣が攻撃を受ける。


 それは避けなければいけない。


『大丈夫。薄氷の研究は昔した。し尽くした。だから負けない』


 自分に言い聞かせながらセミリアは駒を動かす。

 確かに煩い外野が言う通り、実力差が無ければ出来ない戦法だ。

 だからこそ強者が弱者の心を折る戦法として嫌われている。


 ただ憧れる者は多い。

 その戦法を知れば誰もが憧れる。そして逆に蹂躙されて負ける。


 薄氷と言う名の通り、一度亀裂が生じれば一気に崩壊して破れてしまうのだ。

 そうなれば挽回は不可能。絶対に負ける。


 だからセミリアは薄氷を破ることに徹した。

 自分には薄氷を踏み破る攻撃力があるから。


 あんな相手の頭を叩いて黙らせ続ける戦い方はそもそも好きにはなれない。


 ゆっくりと慎重に駒の再配置を終える。

 時間を要したがどうにか出来た。


 一瞬気が緩んだ。セミリアの中で完成した陣を見てホッとしたのだ。


「……それが貴女の全力なの?」

「っ!」


 ゾクッと背筋に冷たい物を感じた。


 盤を睨んでいた顔を上げ相手を見れば、彼女は冷たい目でセミリアを見下していた。

 それはまるで強請って得た玩具が思いのほかつまらなかったと言いたげに、だ。


「なら興ざめね。私じゃなくて魔女で十分だったわ」

「……何を?」

「ただの独り言よ。余りにもつまらないから自然と出ていたわ」

「言わせておけばっ!」


 激昂してセミリアは自分が得意とする猛攻に舵を切る。

 盤上で丘と設定されている場所に居る遊び人に対して最強のドラゴンを向ける。


 もう少し。次の攻撃でドラコンの牙があの遊び人の喉を食らい、敵は総崩れに……


「重装歩兵を移動。ついで遊び人の技能『気まぐれ』を発動。対象は重装歩兵」

「っ!」


 流れる動作で憎たらしい小娘が駒を動かす。


 一度動いた重装歩兵は、遊び人の気まぐれでまた動き出す。

 トリッキーで使いにくい遊び人と言う駒は自分では決して戦わない。仲間を戦わせる代わりに不思議な力を貸し与える駒だ。


「あら? もう一度動けるみたいよ?」


 サイコロを振った出目で気まぐれは決まる。そしてその目は……重装歩兵をまた動かした。


「移動攻撃。対象はドラゴン」

「舐めるなっ!」


 吠えてセミリアはサイコロを掴んだ。


 ドラゴンの攻撃力も防御力も全ての駒の中で最強だ。

 重装歩兵は高い守備力を持つ駒だがその牙はあの鎧も食い破れる。


 だが……憎たらしい小娘がまた笑った。


「重装歩兵の技能『強制』を発動。遊び人と包囲攻撃」

「っ!」


 セミリアは息を飲んだ。


 遊び人は攻撃に不向きな駒だ。だからこそ仲間を“戦わせる”ことに特化している。

 そんな彼が戦いに巻き込まれると、ある技能を使用できる。


「遊び人の攻撃技能『他人任せ』を発動。サイコロを振って良いかしら?」

「……振りなさい」


 相手の声に応じてセミリアはそう促す。

 六面体を摘まんだ彼女が軽く振ると、コロコロと転がったサイコロが『5』を上にして止まった。


「これで重装歩兵は全ての能力が5倍。それと支援駒の範囲内だから……軽く見繕って重装歩兵の攻撃はサイコロの目で1が出れば良いみたいね。それでそのドラゴンはおしまいよ」


 振る必要もない。重装歩兵はちゃんと支援駒の範囲内に居る。まるで自分がここにドラゴンを運ぶと先読みされていたかのように……前もってそこに置かれていた。


「サイコロの目は3ね。どうする? 振る?」

「……」

「なら私の番は終わりよ」


 どうぞと言いたげに掌を見せ指先を向けてくる相手に、セミリアは盤から退かそうとしたドラゴンの駒を相手に投げつけていた。

 カンッと彼女が着ているプラチナの鎧に弾かれ、ドラゴンは地に落ちる。


 と、バシャッとセミリアの顔に何かを掛けられた。




「少しは頭を冷やせ。負けてるからって手を出すのは子供の行いだ」


 咄嗟に体が動いていた。

 机の上に置かれているワイングラスを掴んでその中身を馬鹿の顔目掛けてぶちまけた。


 ちょっと気分がいい。この馬鹿女を血まみれ……ワインまみれにしてやったぜ。


「……私にこんなことをして無事でいられると思っているの?」


 正面をワインで濡らした軍師が目だけを動かし僕を見る。


「お前は馬鹿か? 話し合いの場で相手を殺す行為がどれほどの蛮行か知らないわけでもないだろう? それにこっちはそっちの顔を立てて『帝国軍の招きに応じて』やって来たんだ。そんな人物を殺せば帝国はもう終わるぞ?」


 話し合いの場に呼び寄せて殺害する。

 まあ地球の歴史を紐解けばよく見る話でもある。感心できないけど。


 けれどこの大陸でもそれは蛮行だ。それをしたと知られれば帝国は今後『外交』が出来なくなる。そしてそれは貿易や交易と言う材料を失うことにもなる。

 話し合い1つできない国は信用できないということで商人たちが一気に引き上げてしまうのだ。


 そうなれば帝国は終わる。


「知るか」

「はい?」


 ワインで濡れた顔を上げて帝国軍師が僕を睨む。


「こんな国が亡ぼうが関係ない。私はただ……人が殺せればそれで良い!」

「狂ってるわ~」


 本当に付き合えきれんわ。こんな馬鹿。


「もう帰ろう。人語を話す獣との会話は僕には不可能です」


 少なくともホリーお姉ちゃんは会話が出来る。

 どんなに逝っちゃっても誠心誠意言葉と体で話し合えば応じてくれる。


 あれ? それもやはり獣の類なのか?


 内心で嫌な汗をかいていると、ノイエが僕の腕に抱きついてきた。


「頑張ったでしょう?」

「はいはい。あとでね。帰ってからね」

「ん~」


 スリスリと僕の腕に頬を擦り付けて甘えるノイエの雰囲気が変わる。

 本来のノイエに戻ったか……って、スリスリを継続するノイエさんマジ凄いです。


「何で帰ろうとしているの?」

「帰るよ。獣と会話は出来ないから」


 立ち上がった彼女は声にならない笑い声を発していた。本当に狂ってるわ~。


「なら獣らしく狩りをするまでよ! そいつ等の首を取りなさい!」


 号令一発で……何も起きない。

 軍師の後ろに居るメイドさんや部下たちが兵を引き込むために天幕の布を捲っているけど誰も来ない。


「……帰っていいっすか?」

「何をしているっ! 殺せっ!」


 でも誰も来ない。


 と、ノイエが動いた。

 僕から離れて上を見ながら両手を広げる。


 ズボッと天幕の天井を突き破ってそれは来た。

 手に箒を持ったウチの妹が……ノイエの腕の中に奇麗に収まった。




~あとがき~


 実はホリーは昔から遊び人の駒が好きでした。ギャンブル性が高く楽しめるから。

 でも今は別の理由で大好きです。だって彼にそっくりだからw


 牙を剥く帝国軍師を前にして…空からポーラが降ってきました




(C) 2021 甲斐八雲

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