名も知らない密偵へのね~

 ユニバンス王国南部の街ワヒルツヒ郊外



「お前、馬鹿だろう?」

「そう……かも」


 茂みに隠れていた若者を見つけて彼は苦笑した。


 そっと近くで膝を着いて座り、若者の腹に手をやる。

 ヌルリとした感触を遡り発生源を確認した。穴が開いていた。胴体にだ。


「矢を引き抜いたのか?」

「隠れ通路に……引っかかって」

「……お前、馬鹿だろう?」


 ならば他の通路を回れば良かった。そうすれば良いのに彼はそうしなかった。

 理由は明白だ。間に合わせたかったのだ。合流時間に……ただそれだけの為に。


「それで何を掴んだ?」

「襟元に……」

「分かった」


 言われ余り血で濡れていない方の手で若者の襟を探す。

 掴み取った紙を懐に入れ……彼は若者の顔を見た。


 まだ若い。青年と呼ぶにも幼さを感じる顔立ちをしている。

 今年の初めに密偵となり、初仕事はルーセフルトの用心棒暗殺の監視役のはずだったか。


「もう直ぐ隊長の見合いだったらしいのにな」


 しみじみと呟かれた言葉に若者は閉じかけていた目を開いた。


「なら……興奮して……襲いかかるに……今回の……給金を」

「分かった。賭けておいてやるよ」


 微笑み彼は腰に下げている水筒を手にした。


「酒は今度な」

「……はぃ」


 カクンと力が無くなり俯いた顔に手をやり、その口に水を流し込む。

 逝った者が掴んだそれを生かすのが残った者の使命だ。


 彼は立ち上がり若者の体を横たえる。

 軽く目を閉じ黙とうを捧げると、懐から小瓶を取り出した。

 蓋を外し息絶えた彼の顔に振りかける。

 ジュゥッと嫌な音と肉の焼ける臭いが広がった。


「心配するな。お前の苦労は必ず俺たちが繋げる。だから安心して逝け」


 顔を潰した相手に背を向け、密偵の1人でしかない彼もまた走る。


 自分たちは使い捨ての駒だと理解している。だからこそ今を全力で生きるのだ。

 何より帰ればバカ騒ぎをする相手も居る。率先して馬鹿をしてくれるこの国一が居るのだから。




 ユニバンス王都王都郊外、ノイエ小隊待機所



「1年があっと言う間だね~」

「そうね」


 丸太の椅子に腰かけミシュは空を見上げていた。

 空には分厚い灰色の雲が広がり出し、気温の低下が著しい。

 今年もあっと言う間に1年を終える勢いなのだ。


 隣りに座るフレアは先ほどから束となっている報告書に目を通していた。

 ノイエ小隊に関する書類では無い。"趣味"で調べているルーセフルト家に関する報告書だ。


 と、彼女の手が止まりミシュの目の前に1枚の紙が差し込まれた。

 所々に血痕の跡が見える密偵からの報告書だ。


「……ここ最近で一番の情報だね~」

「ええ。次の新年にルーセフルトが一族全てを集めるのね」

「そう言うこったね~」


 手を伸ばし受け取った報告書にミシュは空いている手の指先を伸ばす。

 乾いて沁み込んでいる血痕を軽く擦った。


「全員参加と言うことは?」

「引き締めか、行動開始か」

「動くの?」


 フレアの疑問はもっともだ。


 この1年でルーセフルト家は派閥の支持を急激に失いつつある。

 ルッテの祝福を使った宰相シュニットの脱税調査による内部の切り崩し、密偵衆が集めて来る情報も数多くの戦果を挙げている。

 正直に言えばルーセフルト家は没落の一途だ。大半が自滅に等しい行為の積み重ねだが。


「今動かないと、次はもっとキツイだろうしね~」

「そうね」


 確かにそうだ。でも動くならどうする?


「最初に狙うなら馬鹿王子だろうね~」

「……」


 ミシュは手にしていた紙をフレアに戻すと、椅子から立ち上がった。


「宰相様の傍には厄介なメイドが居る。ならまずはその弟から狙うのが常だよね~」

「そうね」


 戦略、戦術の観点からしてもその通りだ。


「でも相手にあのエルダーが居るなら話は変わる」


 ミシュはうんうんと背伸びをして軽く体を動かしだした。

 自分の手に戻った来た血痕付きの紙に目を戻し、フレアは最後に走り書きされた一文を目で追う。


『エルダーの姿を確認』


 短いが最も欲した情報だった。


 当主であるタインツと対立したとも言われ、この1年間完全に姿を隠していたルーセフルトの天才。彼が居なくなったことが派閥の弱体化を招く原因になったとも言われている。

 そんな彼は余りに姿を見せなかったことから『類まれな能力に恐れを抱いたタインツが粛清したのでは?』とすら言われていた。


「エルダーは今まで何処に?」

「さあね? でも上は他国で工作していた可能性も含めて……1つの方向を示したよ」

「暗殺?」

「違う。まあそうとも言えるんだけどね~」


 ヘラヘラと肩を揺らしている同僚に目をやる。

 フレアの目にはその背中が何処か怒っているようにも見えた。


 ゆっくりと肩越しにミシュは振り返る。


「大掃除かな~。場合によっては粛清込みで」

「……」


 口調の割には恐ろしい響きを持つ言葉だ。


「雪が降りだしたら、私はあっちの準備でまた謹慎を食らうから」

「そう」

「隊長を押し付けて悪いとは思ってるんだよ? いやいや本当に」

「良いわよ。今年も私は王都で隊長の様子を見ながら彼と仲良く過ごすから」


 何故か頬に手を当てて『イヤンイヤン』と頭を振り出す同僚の様子が見てて痛々しい。

 そこまでして"意中"の相手の興味を引きたいのか、それとも嫌われたいのか……ここまで恋愛感情をこじらせている相手をミシュは知らない。

 だから気づいていない振りをする。本当に気づいていないルッテのように。


「さってと。仕事でも」

「ねえミシュ?」

「ほい?」


 薪割りでもと考えていたミシュは足を止めた。


「この報告は特別に報奨を出しても良いと思うのだけど?」


 指で抓みフルフルと震わせる紙は、血痕が付いた物だった。

 その報告は確かに特別な手当てを出しても良いはずだ。


「出せないよ」

「どうして?」

「死人に何を渡せば喜ぶのさ?」

「……」


 ハッと息を飲み、フレアは指で持っていた紙を持ち直した。


「別に良いよ。そう言う労わりは」

「でも」


 命がけの情報を軽んじるのはフレアとて許せる行為ではない。

 同僚の変な気真面目さと優しさに内心苦笑してミシュは頭を掻いた。


「密偵は使い捨ての道具。いちいち悲しんでいたらその隊長は務まらない」

「……」


 そう。悲しんでなど居られない。


「だから私は、次の見合いで相手に興奮して襲いかかる。それで謹慎を食らえば良いの」

「……何よそれ?」


 ヘラヘラと笑いミシュは空を見た。


「手向けだよ。名も知らない密偵へのね~」


 分厚い雲から白い綿毛がゆっくりと振り出すのを彼女は見つけた。




~あとがき~


 遂にエルダーが姿を現しました。

 まさか最後にミシュにウルッとさせられるとは…




(c) 甲斐八雲

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