お菓子
「……暑い」
「そうね」
2人揃って大きく息を吐いて木陰に避難する。
フレアとミシュは抜けるように青い空を見上げ、雲一つない状況を呪った。
今年の雨期は短く夏季が直ぐにやって来た。結果として気温上昇が著しい。
対ドラゴンが基本のノイエ小隊は、最前線と言うこともあり鎧の着用が義務づいている。
革の鎧は熱が残り、中の服や下着は汗で濡れている。
不快ではあるが脱ぐ訳にもいかず……こうして少しでも日の光から避ける日々なのだ。
「こんな気温の中で、隊長が元気なのがおかしいと思うわ~」
「あの人は気温なんて関係無いわよ。ドラゴンが動いてればそれで良いんだから」
何より目にも止まらぬ速さで移動するノイエの場合、本当に気温を理解しているのかも怪しい。
それにどんなに炎天下の元に居ても日焼け一つしないのだから羨ましくもなる。
「せんぱ~い」
どこか甘えを感じさせる声に、2人の先輩は顔を見合わせた。
「呼んでるぞ先輩」
「そっちでしょ先輩」
「フレアせんぱ~い」
ほら見たことかと視線を向けて来るミシュに、仕方なく立ち上がりフレアは早足で丸太小屋に向かう。
半開きになっている扉から顔を覗かせているのは騎士見習いのルッテだ。
「どうかしたの?」
「済みません。ちょっと困ってて」
本当に困っているのかその表情が泣き顔だ。
フレアは相手に誘われて室内に入ろうとして……相手の姿を見て呆れた。
「ルッテ。ここは一応最前線なのよ?」
「分かってますよ~。でも暑いから」
確かに小屋に入ろうとしたフレアは、室内から放たれて来る気温の高さに息が詰まるかと思った。
だからと言って下着姿……それも胸を手で隠した格好で居る後輩に小言の1つも言いたくはなる。
「それで何に困ってるの?」
「はい。胸が……」
チラリと机の上に向けられたルッテの視線に、フレアは机に歩み寄ってその上に置かれた胸当てを手にする。
三大魔女の1人が広めた胸当ては、布製の簡単な形をしている。ただ必要性を感じない女性も居て、貴族などは胸元から覗かせる胸の形を良く見せるために使ったりもする。
机の上にあったのは本当にごく普通の形をした物だ。
今度はチラリとフレアがそれを確認した。
腕で隠されている彼女の胸は、ここ最近で成長著しく大きくなった。とは言え今朝付けた物が今付けられないなど……ルッテの背後に回り胸当てをさせてみる。背中の部分の紐が確かに短い。
「腕が背中に回らなくて」
「そうね」
言ってフレアは背中の紐を前へと移動する。
「先輩?」
「結んでから後ろに回せば良いのよ」
「……本当だっ!」
前で結んでクルッと半周すれば確かに胸当てが収まる。
ただ結び紐の調整がしにくいので、この方法はあくまで緊急措置だ。
「まだ大きくなってるの?」
「はい」
申し訳なさそうに頭を下げるルッテは服を着る。
鎧は簡素な胸の部分だけで……実際は彼女の成長のお陰で、最近まで使っていた物が使用不能になったのだ。
「胸当ても前に新調してたわよね?」
「はい。意外と高かったのに……」
「そうね。成長が落ち着くまで新しいのを買わないって方法もあるわよ?」
「……ですね。少し考えます」
落ち込みながら机の上にある干し肉に手を伸ばし、モソモソと口に運ぶ彼女が色々と出費がかさんでいるのをフレアは知っている。
両親と王都で一緒に暮らしているルッテは、現在唯一の収入源になっている。父親はたまに日雇いの力仕事をして金を稼いでくるが、誘拐などされてその類まれな祝福を持つ彼女の弱みにならないように長期で働くことを裏から制限されている。故に家族は金銭的に苦しいのだ。
それに祝福を使用した際の空腹を紛らわせる食事が干し肉一択なこともあり、ルッテは露骨にその味に飽きているのだ。給金の支給日などたまの贅沢にと城下の菓子店に突撃しては、量より質で菓子を買い漁る始末。とどめにルッテ自身が成長期となり、衣服代が重くのしかかる。
「一応近衛団長には休みなく働いているルッテに対して特別手当を支給するように言ってるんだけどね」
「あはは……難しいですよね?」
「ええ。上の馬鹿貴族たちは貴女の天眼を『どこに居ても使えるんだから休みなど要らないだろう』って」
一番の問題はルッテが一般の出であり、そして彼女が近衛に独占されていることを嫉んでいるのだ。
「まあ仕方ないですよ。少し諦めてます」
『あはは』と笑い頭を掻く少女に……フレアは何とも言えずに息を吐いた。
フレアはぼんやりと小川の水面を眺める。
ノイエ小隊は隊長のノイエがかなり特殊な人材であるから、その部下も特殊な者たちが多く集まっている。近衛の直轄で人事権を実質近衛団長が握っていることもあって、周りの貴族たちはノイエ小隊に人材を派遣することが出来ない。
それもあって面白くないのに、挙句ノイエ小隊の主だった者は全員が女性だ。
男尊女卑が他国よりも遥かに緩いユニバンス王国でも、女性が下に見られることは多い。
上の者たちはとにかく面白くないのだ。ノイエやその小隊の者たちが。
「ねえミシュ?」
「ん~」
木陰に隠れ横になっているミシュに対し、フレアは小川を見つめたままで問うた。
「馬鹿な貴族を全員……始末できない?」
「出来なくはないけどこの国が終わるね」
「そうよね」
どんなに馬鹿でも国の仕事を受けて働いている者ばかりだ。居なくなれば不具合が出る。
「何よ? あの日?」
「……殺すわよ?」
「へいへい」
呆れながらミシュは口を閉じる。
裏の顔を知られてから、フレアは本性を見せるようになって来た。
ミシュとしては正直に言って貴族の令嬢よりも今のフレアの方が話しやすいが。
「……せめてね」
「ん?」
「ルッテにお菓子ぐらい食べさせてあげたいでしょ? 隊長に次いで仕事をしてるのは彼女なんだから」
「私たちだって一応してるぞ?」
「一応ね。戦果は無いけど」
ルーセフルト家の調査は進んでいるが、肝心のエルダーは未だに見つからない。
ムルイトの暗殺は、ただの護衛が殺された程度で処理されている。主の護衛をして暗殺者に殺された馬鹿な者として、死体は野営地の隅に穴を掘って埋葬したというほどに雑だった。
そのルーセフルト家の行いに、ムルイトの戦歴は『魔道具でも使っていたのでは?』と言う方向に変化し……彼の価値は貴族たちの間で地の底にまで落ちた。
「何か嫌になるわね。本当に」
「彼氏と上手く行ってないの?」
「……熱々よ。馬鹿にしないで」
「そうですか」
もう一度呆れてミシュは口を閉じようとしてそれに気づいた。
視線の先に靴底……ぎゅむっと踏まれ、ミシュはジタバタと両手両足を震わせる。
「隊長?」
相変わらず不意にやって来る存在にフレアは顔を向ける。と、
「お菓子」
「はい?」
「お菓子」
言ってノイエは歩き出す。ボロボロなった革鎧を掴んでは投げ捨てながらだ。
もう少しすれば彼女専用の鎧が出来上がって来るが、それまでは革鎧を使い潰すしかない。
「って隊長?」
「お菓子」
「はいって……のはぁ~!」
ルッテを抱きかかえ、ノイエがいつも通りに王都に向かい駆けて行った。
「何なのかしら?」
「……知るかっ」
顔に足跡を付けながらどうにか復活したミシュは、プルプルと顔を振った。
以降……どうやらお菓子にはまったらしいノイエは、大量にお菓子を抱えて来てはそれを小屋に置くようになった。
ノイエ自身も半分は食べると、残りは部下たちに押し付けてまた新しい物を持って来るのだ。お蔭でルッテは特別手当が出るようになるまで、毎日笑顔で大量のお菓子を食べる羽目になったと言う。
ただ代金を払わず菓子店から持って来る彼女に、フレアが何度もお店に飛んで行き頭を下げることとなって……長い説得の末にどうにか止めさせたが。
~あとがき~
色々と不満が溜まるノイエ小隊の面々。
幹部が全て女性だけと言うのはユニバンスでも面白く見られないのです。
突然お菓子のマイブームがやって来たノイエです。まあノイエの優しさって分かりにくいんですけどね
(c) 甲斐八雲
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