今ここでそれを言いますかっ!

『病気に気をつけろ』だの『悪い男も多いし』だの『夜道は出歩かない方が良い』だの……途中から父親は娘の何を心配しているのか、フレアはそっちの方が不安になって来た。

 今回の件で自分が命を狙われるようなことは……たぶん無いはずだ。真実を知れば姉が怒鳴り込んで思いっきり殴られそうな気はするが。


 前王ウイルモットの護衛隊の隊長を務めていたエーグル・フォン・ロアーネの死亡が確認された。

 その妻であり姉であるフレイアは、国王陛下に対して『後を継ぐべき子供がまだ年若なので……一時的にロアーネ家は女領主となることを認めて欲しい』と願い出たそうだ。


 夫の両親がまだ健在なのにそれを言ってのける姉の強さにフレアは、内心で『見習おう』と心に刻んだほどだ。

 シュニット王はその申し出に許しを与え、暫定的に姉はロアーネ領の領主となったそうだ。


 大半が雑談であったが、父親と語らいフレアは彼の書斎を出た。ゆっくりと息を吐いて……通路の奥からやって来た存在に抱き付かれる。


「あの……フロイデ様?」

「うん。最後だしちょっと来なさい」

「あの……ちょっと!」


 ある意味いつも通りの母親に引きずられ、フレアはまた屋敷内を移動した。




「うふふ」

「……」


 上機嫌で笑顔の義母さんが怖いです。

 教えてスィークさん! あの話をマジで全部聞かせたのですか!


「それでアルグスタよ」

「はい」

「手筈は整ったのだな?」

「はい」


 ベッドの住人と化したパパンが、ゆっくりと息を吐くように声を絞り出して来る。

 奇跡的に峠を越えたらしい。治療していた医者の先生ですら『奇跡だな』と呟くほどにだ。


 でも何となくその様子を見ていると、奇跡を起こしたのは偶然じゃない気がする。

 夫を信じて看病し続けた妻がそこに居ただけだ。今も夫婦仲良く手なんて繋いでいる。


「……」

「辛そうですね」

「ああ。自分の足で小便に行くことも出来ない」

「良いのよ。貴方の看病は私が死ぬまでやりますから」


 お義母さん。笑顔で尿瓶の準備をしなくて良いと思います。


「メイドの尻も撫でられん」

「私のを撫でれば良いのです」

「リアはその……尻が若すぎるからな」

「もう貴方ったらっ!」


 照れた義母さんが顔を紅くして恥ずかしがる。

 何より『尻が若すぎる』って何? 僕はどうやらまだ子供らしい。


「アルグスタよ」

「はい?」

「フレアとハーフレンを救ってくれてありがとう」


 横になっているパパンが、顎を軽く引いて頭を下げている様子が手に取るように伝わって来た。

 この人もやっぱり父親なんだな。


「良いですよ。このお礼はそのうちまとめて請求しますから」

「照れ隠しか?」

「何とでも」


 こっちを見て『うふふ』と笑っている義母さんの笑みが怖いわっ!

 僕もノイエのように廊下で待つ方の人になりたかったです。




「はいはい。座って」

「あの?」

「座って」

「はい」


 母親の反論を許さない気配にフレアは椅子に座ると、前方にある鏡を見つめた。

 連れられ来た場所はフロイデの私室。目の前にはあるのは飾り気の無い鏡台だ。ただそれが、母親が化粧などの時に使う物で高級品なのはひと目で分かる。


「これから先、今までみたいな生活は出来ないのだから」

「はい」

「少し髪を切りましょうね」

「……」


 相手の気づかいなのは理解出来た。でも髪は……出来たら切りたくなかった。

 前に彼が『お前の髪は変わらずに綺麗だな』と言ってくれたのが嬉しくてずっと伸ばして来たのだ。


 でもフレアは息を吐いて鏡に映る自分を見た。

 しばらくは1人で頑張るしかない。騎士の地位を失い『不名誉』と言う汚点を得た自分は、今までのように彼の傍に居れない。


 あの上司が何かを企んだとしても、近衛団長の傍に居ることは普通に出来ないのだ。


「フロイデ様」

「なに?」

「……少し短くしてください」

「分かったわ」


 笑ってハサミを手にした母親が軽やかに髪を切る。

 そんな相手の表情を見つめ……フレアはゆっくりと口を開いた。


「この度は」

「もう良いのよ」

「ですが」

「良いの。悲しいことを掘り返しても笑い話にはならない。だったらそのままにしておきなさい」

「……はい」


 こちらの言いたいことを察して彼女はそう言ってくれたのだろう。

『母親って凄いな……』と純粋にフレアは思った。


「それに私も色々と失敗してたみたいだし」

「失敗?」

「ええ。『貴女は頭の良い子だから全てを無難にこなす。私たちの意図に気づいてきっとうまくやってくれる』そんな風に思い全てを貴女に丸投げしていた。結果として今回のようなことになった」


 一度ハサミを止め、フロイデは鏡に映る我が子を見つめた。


「ごめんなさいねフレア。私たちは貴女が心を病んでしまうほど苦しんでいるとは知らなかった。母親失格ね」

「そんなこと」

「失格よ。せめて貴女が相談できる存在で居るべきだった」

「……」


 スッと胸の中でフレアは何かが軽くなるのを感じた。

 それが何かは分からないが、恐ろしいほど心が軽くなって……涙が溢れて止まらなくなった。


「ごめんなさい。お母様……私が本当に馬鹿だったから」

「良いのよ。貴女は決して馬鹿なんかじゃない。いっぱい無理をさせてごめんなさいね」

「お母様……」


 心の底から涙を溢れさせ、フレアは子供のように泣きじゃくった。




「これからどうするの?」


 泣き止み落ち着いた娘にフロイデは優しく声をかける。

 手で涙を拭ったフレアは鏡越しに母親の顔を見た。


「……しばらくは王都を離れようかと」

「落ち着いたらまたこっちに?」

「はい」


 お腹の中の存在を口外出来ないので、フレアはそんな嘘を吐く。

 ただし王都をしばらく離れるのは決定事項だった。どこかで子供を産んで成長してから戻って来る。

 その頃には彼にも正室との間に子供が出来ているだろう。だったら自分の父親の居ない子供が狙われる心配など無いはずだ。


「元気に生きるのよ」

「はい」

「……」

「……」


 チョキチョキと動くハサミがなかなか止まらない。

 若干引き攣りだした母親の表情に……フレアは静かに自分の首を動かし背後を見ようとして、万力のような母親の手により動きを阻害された。


「楽しみに待ってなさい」

「確認させてください」

「大丈夫。大丈夫……誰か~っ! ちょっと!」


 耐え切れなくなってフロイデはメイドを呼び出す。

 流石のフレアも慌てて立ち上がろうとして、母親の手により阻害された。


「魔法? 強化してまで邪魔しますか!」

「待ってなさい」

「待てません。ちょっとお母様っ!」


 と、鏡越しのフロイデの顔がキリリと引き締まった。


「今日を限りで縁は切れたはずです。立場を弁えなさい」

「今ここでそれを言いますかっ!」


 数年振りに母娘喧嘩をする二人の元に急いでやって来たメイドは……そんな母娘を見て、呆れながら柔らかく笑うのだった。




~あとがき~


 フロイデ 『だって娘の髪を切ってみたかったんだもの。経験? 何それ? 必要なの?』




(c) 甲斐八雲

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