あっさぶっくろ~

「本日は顔色も良くて」

「そうか」

「はい」

「末の息子がさっきまで居てな。笑っていたからかのう」


 往診に来てくれた古くからの知り合いでもある医者に、ベッドで横になるウイルモットは口元に笑みを浮かべた。


 ひと通りの診療を終え、彼は手早く荷物を仕舞い始める。

 別にのんびりしていても問題は無いのだが、この世は何が起こるか分からない。故に少しでも速く帰って娘の顔を見たいのだ。

 どうせ『もう帰って来たの?』と呆れられるとしても。


「キルイーツよ。どうにかこの右腕ぐらい動かせんか?」

「無理を言わないで下さい。年齢も考えず馬の首に抱き付いて駆けるなど」


 両腕も無理が祟り骨折したままだ。

 どうにかくっ付けてはいるが、年齢からくる老いで治りは遅い。


「必死だったのだ。それこそあれは……リアの実家に夜這いをしに行った時に相手の父親に見つかった以上に恐ろしかった」

「必死の度合いが違う気がしますが?」

「あれは中々怖かったぞ? 儂もまだ若かったから……つい受けて立とうとしてしまったのだ」

「良くご無事でしたね」

「うむ。一度打ち合って……『あっこれ無理だ。死ぬ』と悟って後は全力で逃げた」

「左様でございますか」


 本当に馬鹿話でしかないが、それを語れるほど相手の体調は回復しつつある。


「大人しくお休みください。それが一番の治療です」

「そうか」


 息を吐いて……ウイルモットは視線を天井へと向けた。


「のうキルイーツよ」

「はい」

「お前のその技術を……他の者に伝える気は無いのか?」


 何度目か思い出せない言葉だった。

 故にキルイーツも何度目か思い出せない言葉を口にする。


「自分の治療は異世界の外法にございます。喜んで学ぶ者など居ないでしょう」

「ああ。でも仮に居たとすれば……救える命も増えよう」

「……」


 前王の言葉は正しかった。

 だからこそキルイーツは静かに頭を振った。


「ウイルモット様」

「何だ?」

「医者になるのに必要なこと……それをご存知ですか?」

「知らんな。儂はずっと王だったからな」

「ええ。ですがたぶん似た感じかと思います。すなわち人を殺せるかです」

「……」


 静かに視線だけを向け、ウイルモットは彼を見た。

『全てを救う』と言って不可能へ挑んだ男の成れの果てをだ。


「何にせよ医者は命を扱う。必要なら助かる命を切り捨てる場合も生じます。全てを救えない……それが医者なのですよ」

「そうか。だからお主はずっと弟子を得ないのか?」


 王だった者の問いに、彼は深く息を吐いた。


「自分はあの日に死んだ……ただの抜け殻ですから」


 あの日がどの日であるのかウイルモットでも分からない。

 彼とて多くの苦しみを抱いて生きているのだから。


「まあ良い。気が向いたら言うが良い。お主がその技術を伝承したくなる日が来たのであればな」

「ええ。そんな日が来たら」


 荷物を抱えキルイーツはメイドに連れられ部屋を出て行った。


「のう。リアよ」

「はい?」

「彼もまだ……過去に捕らわれ苦しんでいるのだな」

「そのご様子で」


 人に姿を見せられぬラインリアは、静かに歩いて来て夫の横に腰を下ろす。

 直ぐにでも対処できる場所に居るのが最近の彼女の決まりだ。


「ですがあの人も決して愚かな人ではありません。きっと何か切っ掛けがあれば……気づくかもしれないです」

「いつもの勘か?」

「ええ」


 クスクスと笑い愛しい人の頬を撫でながら、ラインリアは夫の目を見る。


「私の目は何でも見えるんですよ? だからあの人に奇跡が訪れる風景が見えました」

「……本当か?」

「もうっ。私は幸せに終わる話が好きなんです」


 少し頬を膨らまして膨れる妻に、ウイルモットは声を立てて笑った。




 落ち着くことが出来ずに何度も髪に手を伸ばす。

 驚くほど軽くなった気がする。その分……驚くほど髪の量を失ったが。


 やって来た古参のメイドは、髪を切られているフレアの後頭部を見てさらりと言ってのけた。

『髪を強化して繋ぎ合わせることは? 出来ませんか……ならもう諦めて切りましょう。これはもう本当に手の施しようがございません』と。


 ただ静かに告げられた言葉にフレアはとりあえず母親に殴りかかり、2度目の喧嘩を済ませてからメイドの手により髪を落として貰った。


「まあ……良いのかもしれないけど」


 それにしても首元に空気が触れるほど剥き出しとなり、どこか少し恥ずかしくなる。

 知らず知らずに頬を赤らめ……フレアはクロストパージュの屋敷を出た。


 まずは王都を離れて暮らす手配を整えないといけない。

 出来れば元実家と敵対していない……と考えていた彼女の足が止まった。


「ふっふっふっ……あ~っはっはっ~」

「……何をなされているのですか? アルグスタ様?」


 待ち構えていた感じで腕を組んだ元上司が胸を張って高笑いをしている。

 呆れつつそれを眺めていたフレアは、笑い過ぎて咳き込む彼の背中を軽く擦ってまた消えた彼の妻の動きに不安を感じた。


「何を企んでいるのですか? アルグスタ様?」

「失礼なっ!」


 露骨に動揺している感じからして図星のようだ。

 この人は……と頭を押さえたくなって、それでも色々と助けてくれた人だからと我慢する。恨み言も多い相手だが、命を救ってくれた大恩だけは忘れられない。


「それで何か?」

「うむ。折角助けたと言うのにお礼の1つもしないで逃げ出そうとしている恩知らずが居てね……ちょこっと提供した恩を回収しに来ました」

「その言葉を聞いた時点で色々な感情が霧散したのですが?」

「良く分からないけど黙りなさい!」


 ビシッと指を突き付け彼は言う。


「世の中には……手付になってようが、ちょっと行き遅れていようが、これからあれ~な人であろうが、喜んで引き取る人が居ます。つまりその体で確りと返しやがれと言うことです!」

「返す前に1回殴っても宜しいでしょうか? 誰がミシュの親戚だと?」


 本気で目が座った相手の脅威判定が危険水準まで跳ね上がったので、アルグスタは待機している妻に合図を送る。


「はい」

「やっちゃって」

「隊長? ちょっとっ!」


 どこからともなく湧いて出たノイエの手にはロープが握られており、そのロープがフレアの全身を縛り上げ……そしてアルグスタは目隠しと猿ぐつわまで彼女に噛ませた。


「あっさぶっくろ~」

「はい」


 協力して蓑虫フレアの頭から麻袋を被せ、運搬はノイエに任せる。


「そうそうノイエ」

「はい」

「フレアさん妊娠してるから無理はダメね」

「にん?」

「お腹の中に赤ちゃんが居ることです」


 クククと傾げた彼女のアホ毛が何か理解したのか、ピンと真っすぐ立った。


「あか、あか、あか……」

「あ~。ノイエさん。その運び方はどうかと?」


 どう運んだらいいのか分からなくなったらしいノイエは、フレアを掌の上に乗せ……立った状態で運ぶと言う大道芸人真っ青な手法で運び始めたのだった。




~あとがき~


 家族のことでずっと苦しんでいる人物がもう1人。リアの言う通り奇跡は起こるのか?




(c) 甲斐八雲

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