勝ってこい!
「ぐうっ!」
地面に叩きつけられたノイエは、痛みに顔を歪めた。
高い所から落ちたような……事実地面を転がり、排水用の窪みに落ちていた。
全身を襲う痛みに体を震わせ、それでもノイエは左手を天に向けて伸ばした。
「負けたく……ない」
勝って彼に言うのだ。『自分をいつも見てて欲しい』と。
その想いを胸に、ノイエは体を起こそうとした。
だが震えて力が入らない。空腹に目が回る。
「負けたく……」
体を起こそうとしても震えて動けない。伸ばした左手は何も掴まない。
「負けるのは……嫌」
ボロボロと涙を溢すノイエは必死に手を伸ばし続ける。
《でも貴女は負ける》
頭の中にその声が響いた。
初めて聞く知らない声に……ノイエの動きが止まる。
「負けたくっ」
《負けるの》
「……嫌っ!」
増々涙を溢しノイエは頭を振る。
《どうして?》
だが声は容赦しない。
「アルグ様に、見てて欲しい!」
《毎日のように見られているのに?》
「それでもっ!」
《欲張りね。嫌いじゃないけど》
クスクスと笑い声が頭の中に響き、ノイエは体を起こそうと足掻き続ける。
《でも負けるのよ》
「嫌っ!」
《だって……彼はもうそこまで来ているのだから》
「……えっ?」
足掻き続けるノイエが完全に止まった。
と、動かしてもいない左手が動き耳に触れる。
耳の下で指が動き、そしてはっきりとそれが聞こえた。
『やれば出来るもんだなっ! ナガトっ! たぶんあれがブシャールだ! 間違えだったらお前を馬刺しにしちゃる~!』
《聞こえたでしょう?》
「……はい」
《だから貴女の負けよ》
「……」
大きく息を吐いてノイエは空を見た。
負けた。負けてしまった。
ドラゴンにも、彼にも。
ギュッと胸が締め付けられて苦しくなる。
でも……それ以上に息が詰まり苦しい。
《本当に好きなのね》
「……はい」
《良いわ。こう言うのは嫌いじゃないから……今だけ手助けしてあげる》
また左手が勝手に動いてお腹の上を指が走る。
と、空腹が癒えた。体が動いた。
飛び起きたノイエは、まだ右手が潰れたままなのを確認する。
それでも十分に動ける。
《行きなさい。行って……勝ちなさい》
「はい!」
頭の中の声が何なのかノイエには分からない。
でも今することは分かっている。
ノイエは地を蹴って飛び出した。
向かう方向も分かる。だって彼を、アルグスタを、王都の中から見つけるのがノイエの趣味なのだから。
「アルグ様っ!」
着地と同時に地を蹴って……ノイエは一直線に向かった。
比較的吹き飛ばされた部類に入るハーフレンは、腕の中の存在を確認し安堵した。
自分の体に負った傷など些細なことだ。痛覚など薬で殺してある。
何より彼女の傷の方が我慢出来ない。
「大丈夫かフレア?」
「ん……うん? ええ」
魔力が枯渇し脱力したフレアは、彼の胸に体を預けて目を閉じる。
「変なことをしないでよね」
「軽口が叩ければ大丈夫だな」
抱きかかえて立ち上がる。
と、目の前をノイエが走って行った。ドラゴンとは別方向に。
一瞬不安を覚えたが、向けた視線にそれを見つけ……ハーフレンは呆れて笑った。
「俺もあれぐらい馬鹿だったらと思うことがあるよ」
「……そうね」
フレアもそれを見てクスリと笑っていた。
本当にあの2人は……見ている方が呆れるほど互いを愛しているのだと分かるからだ。
「ミシュ」
「へいよ」
呼べばどこからともなく現れるのが彼女だ。だからハーフレンは驚きもしない。
「ルッテを回収後、王都に早馬を出せ」
「内容は?」
「今書く」
「ドラゴンは?」
「馬鹿か」
怪我1つ負っていない部下に冷めた視線を向け……ハーフレンは肩を竦める。
「アルグが来たんだぞ? ノイエが負けると思うか?」
「ですよね~」
呆れながらもミシュも見ていた。
真っ直ぐ夫の元に向かう妻の後ろ姿を。
ノイエが真っ直ぐ来てる? 来てるね? 来てるな!
「ナガト! このまま真っ直ぐ!」
手綱から両手を離し、僕は右手の指を左腕に走らせる。
ノイエの後ろに見たことも無いドラゴンが居る。何か石で作った感じの不細工なドラゴンだ。で、ノイエが居て倒されていないってことは倒せないのだろう。
情報としたらそれで十分だ!
「アルグさっ」
「ノイエっ!」
飛んで来るノイエの表情が引き締まった。
「全部持って行け!」
「……はい」
減速無しで横を通り過ぎるノイエに、金色のシャボン玉に押し込んだありったけの祝福を手渡す。
って……あれ? 尻から下の熱が無くなって……あぶれっ!
「馬から落ちたな」
「手綱を離すなんて……」
「だよな」
様子を見ていて兄と部下は、地面を転がる彼を見て……ため息を吐いた。
「アルグ様っ!」
受け取った力を両手で持ち、地面を蹴って振り返ったノイエはそれを見た。
もんどりうって地面を転がった彼は……どうやら生きてはいるらしい。ピクピクと動いているから死んでないはずだ。
「……なぁ~っ! ノイエ!」
「はい」
助けに行こうとした彼女の足が止まる。
突き上げられた彼の手が、親指が……中型ドラゴンを指していた。
「勝ってこい!」
「……はい!」
アホ毛を立たせてノイエは走り出した。
彼の指示だ。なら絶対に負けられない。
オーガを吐き出した石で倒したドラゴンは、自分に向かい突き進んで来る存在に気づいた。
本能で気づく。『あれは危ない』と。
大きく息を吸い込み、これでもかと石を吐き出し続ける。だがノイエは止まらない。
飛んでくる石を全て回避し……ドラゴンの手前で地を蹴って飛翔する。そして右の拳で抱えている金色のシャボン玉を割って中身を全て纏わせる。
「これで」
自由落下に任せて、ノイエはドラゴンの背に右の拳を突き立てた。
「終わり!」
本当に終わった。
(c) 甲斐八雲
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