腐海!
オーガがノイエについて語る様子を失くしたらしいのは、ハーフレンとて聞くまでもなく理解していた。
なら今起きた現象は……チラリとノイエを肩越しに見るが、地面に転がる彼女は抜け殻のようだ。
(こんな忙しい時にっ!)
八つ当たりで何か破壊したくなるのを我慢して、ハーフレンは優先すべきことに意識を向ける。
「フレア。そっちは?」
「もう少し……でもこれは」
「分かっている。1度使えれば十分だ」
地面の石などを退かしプレートを並べたフレアが、不安げな視線を向けて来る。
制御が困難で尚且つ1度きりの使い捨ての術式。
彼女の師である化け物が、彼女に送った"影"と呼ばれる武装に隠していた4枚のプレート。
「大丈夫だ。お前はあのアイルローゼの弟子だろう? 使えるさ」
それでもフレアの心の内から恐れは消えない。
扱う術式は、師が生み出した最低にして最悪の魔法なのだ。
分解と崩壊から始まったそれは、最後に腐敗へと変化して行った。
術式の魔女が最後に作り上げた魔法の名は『腐海』と言いう。
文字通り腐敗が海の波のように押し寄せて来る魔法だ。
それも四方に、際限なく広がる……この世を終わらせんとする終末魔法の1つに数えられている。
何故そんな術式をアイルローゼが弟子に残したのかは分からない。
分からないが……影の中枢を壊さないと出て来ない作りになっていることから意味はあるのだろう。
フレアは広げたプレートの後ろに座り、何度も魔法語を唱え続けている。
魔力を流し込んでいないから発動はしない。
それでも彼女は何度も何度も唱え続ける。不安を誤魔化すように、だ。
(ブシャールと言う場所も悪かったな)
傷心になっている彼女の様子は、到底普段通りとは言えない。
ハーフレンはミシュにノイエの補給を命じ、自身の腰の後ろに巻き付けてある革製の小箱に触れた。
苦笑気味に笑って、腰の箱を軽く叩くと……覚悟を決めた。
「そろそろ仕掛けないとあっちが元気になっちまう!」
ドラゴンに目を向けて……ハーフレンは息を吐いた。
「初手はオーガ。合図があったら後退」
「あいよ」
「後退を確認したらフレアが魔法を使う」
「はい」
「後は状況次第で各自勝手に対応しろ!」
いい加減な合図を号令として、トリスシアが鉄骨を掴み駆け出した。
「隊長? ……仕方ないですね。恨まないで下さいよ!」
軽く鼻を塞いで口を開かせたミシュは、ノイエの口にフランスパンのような長細いパンを突っ込む。
食べる意思があれば食べるはずだ。でももしなければ……と、考えて頭を振った。
誰よりドラゴン退治に命を懸けているのがノイエだ。引き分けで終わることなどあり得ない。
「それにここで負けたら……アルグスタ様に笑われますよ」
クスクスと笑ってミシュは自分もパンを齧りだした。
だからミシュは気付かなかった。
彼女の言葉に反応したように、モグモグとノイエの口が動いたことを。
そう。ノイエは頑固で負けず嫌いなのだ。
「フッ!」
全力で鉄骨を振り抜く。
自身の両手にかかる衝撃など無視して、トリスシアはただただ鉄骨を全力で振るい続けた。
ここ最近ずっと無理ばかりして休息もろくに得られず、何より食事もだいぶ制限して来ていた。
実際に出せる力は普段の半分もないが、それでも戦場に出れば絶対に負けない。負けられない。
「あははっ! 楽しいね! この石っころが!」
フルスイングでドラゴンの頭部を強打する。
殴り続けて把握した。相手のドラゴンは『石』なのだ。その外殻全てが。
腕の手首の骨が逝った感じがしたが、それでも鉄骨を握り締め彼女はドラゴンを殴り続けた。
負けて終わるなどトリスシア的には許せないのだ。
「戻れっ!」
合図は声だ。
ハーフレンが腹の底から発した声に、限界まで立ち向かったトリスシアが転がるように後退をする。
肩越しにフレアを見つめ、ハーフレンは何かあったら相手を抱えて逃げる覚悟を決めた。
左手に忍ばせている錠剤を口に放り込んで、噛み砕き飲み込んだ。
「フレア!」
「……はい」
祈るように胸の前で手を組み、フレアはゆっくりと口を動かす。
師であるアイルローゼから教わったことなど実際は少ない。
彼女は基本の大切さを重んじ、フレアに対して徹底的なまでに魔法の基本を叩き込んだ。
だからこそ彼女の口は淀むことなく魔法語を綴り、そしてその手はプレートの表面をなぞり魔力を注ぐ。
「腐れ腐れ腐れ腐れ……この世の全てを飲み込む腐る波となれ! 腐海!」
唯一の誤算があったとするならば、アイルローゼはこの魔法を自分以外の者が使わないという前提で作ったことにあった。故にフレアの魔力では全てを動かすことは出来ない。
ただ一筋の腐敗の流れを、その波を……ドラゴンに向け解き放つだけで精いっぱいだった。
ザワザワと地面の上を腐敗の波が流れ……直感で迫り来るモノの危険性を感じたドラゴンが、全身を使い飛び跳ねた。
「大人しく食らってなよ!」
隙を逃さなかったのはトリスシアだ。
骨折だらけの腕を振るい、彼女は鉄骨でドラゴンを殴る。
体を浮かしていたことが仇となって、ドラゴンは吹き飛び波に触れた。
「ぎぃやぁおぉぉぉおおおおお~!」
地の底から響くような大絶叫に、風圧に、普通の人でしかない者たちが吹き飛ばされる。
咄嗟にフレアを庇い抱きしめたハーフレンは、彼女が使っていた"腐海"の術式を刻んだプレートが、崩れて行く様を見た。
本当に1度きりなのだと理解し、彼女を抱きしめたまま吹き飛ばされる。
ドラゴンの前に残ったのは……トリスシアだけだった。
「あはは……面白いね。アタシがアンタの相手をしてやるよ!」
彼女の戦いはまだ終わらない。
~あとがき~
蛇足風な駄文。
アイルローゼ先生がどんなに頑張っても対象者を『消す』ような術は使用出来ません。分解と崩壊……つまり腐敗までが精一杯で、魂を消すことなんて不可能です。
ですがオーガさんを脅した人物はそれを口にしました。何故なら『出来る』からです。
緊急事態に誰が出て来たのかは、過去編までに判明するはずなので……お楽しみに!
(c) 甲斐八雲
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