我々には神が居る!
(両足……大丈夫。両腕……大丈夫。胴体……問題無し)
地面の上で伸びた状態のミシュは、馬鹿王子に指を突っ込まれた個所を労わるように、両手でお尻を振って違和感を飛ばしていた。
(普通入れるか? あの馬鹿王子っ!)
出るように作られている場所に無理やりツッコむなと文句を言いたいが、頭に一撃を受けて目を回した自分が悪いのだから仕方が無いと理解はしている。
場合によってはあのまま地面に激突していて怪我……で済んでいたら可愛い方だ。たぶん無理に自分を掴んだ"主人"は、利き腕の指を数本か折っているだろう。
(頭は……まだくわんくわんしているけど動ける。問題は空腹だけか)
呼ばれるまで回復に努めると決めて、気配を消す。
(あ~。やっぱり話なんて聞かないで、出会い頭に殺すんだったかな)
後悔が去来する。
好奇心と言うか、何となく感じた相手からの気配でついご高説に耳を傾けたのが悪かったのだ。
「ほい。止まった」
音もなく相手の背後から接近して来たミシュは、必殺の距離で相手に向かい殺気を放っていた。
黒いローブ姿の怪しげな人物は……その足を止めると、ゆっくりと振り返った。
「何かご用ですかな? お嬢ちゃん」
「それはこっちの言葉。うちの建物の中で何をしているのか……聞くから素直に答えて欲しいんだけど?」
「建物には用はございませんよ」
左腕を横に広げて男性らしき人物は笑う。
一瞬殺してしまうかと思ったミシュだったが、相手が纏う雰囲気が……帝国兵と違うのに気付いていた。
「なら何をしてるの?」
「ええ。ちょっと人探しを」
「……誰を?」
「有名人ですよ。ここに居るのでしょう? 白いドラゴンスレイヤーとやらが」
何処か楽し気に言葉を発する相手のローブが、顔を隠すフードが捲れて素顔を晒す。
ドキッと自分の鼓動が大きく脈打つのをミシュは感じた。
動揺しない訓練を積んで来た彼女であっても……それを見た瞬間、明確に動揺してしまった。
相手の目が……爬虫類の、ドラゴンの目をしていたのだ。
「何者?」
「これはこれは。わたくしは大陸の北に住まう者」
「北?」
「ええ。ええ。……極寒の海と岩だらけの劣悪な環境に住まう者の1人にございます」
優雅に一礼をして、男はニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
背筋に走る冷たい感触……はっきりと嫌悪感を覚え、ミシュの中で彼の処刑が確定した。
「それでそんな人物がどうして?」
「ええ。貴女たちの国に居る白いドラゴンスレイヤーを殺める為にございます」
「……私の上司は簡単には死なないわよ?」
「ええ。ええ。……ですがあれは人でしょう?」
クスクスと笑う相手にミシュは表情を殺し始めた。
必殺の距離だ。間違いなく相手を殺せるはず……だが何とも言えない不安が胸の中に生じる。
「だが我々は違う!」
演技がかった様子で左腕を頭上にかざし、彼は恍惚とした表情を浮かべる。
「我々には神が居る! 我々に絶対的な力を与えてくれた神が居る!」
「そう……もう良いや」
迷うことなく足元を蹴って、ミシュは相手の懐に飛び込んだ。
突き出したままの短剣に言いようのない圧を感じ……刀身が相手の胸に突き刺さっているのを確認して後方へと飛ぶ。
「面倒臭いことになりそうだから死んでろ」
相手が帝国兵では無く大陸北の者であると知り、何より彼の狙いが隊長たるノイエの暗殺であると明言しているのなら躊躇する理由がない。
だが相手は倒れない。
「……酷いな」
「っ!」
必殺の一撃だ。手応えも確りとあった。
ミシュは改めて相手を見やり短剣を突き出す。
と、それに気づいた。短剣には血が一滴も付いていないのだ。
「あはは……これだからただの人間はダメなのだ。早く我らが神が大陸を征服し、全ての人間を家畜にしなければいけない」
笑いながら向けて来た顔を見つめ……ミシュは悟った。
相手はどうやら自分が知り得る"人間"では無いらしい。
首からじわじわと範囲を広げるように鱗が覆って来ている。
見る限り爬虫類系の……たぶんドラゴンの皮膚だ。
「きもっ」
「失礼だな貴女は」
クスクスと笑い、彼が左手をミシュに向けて伸ばして来る。
「だがわたくしは貴女のような幼子が好きだ」
「……」
「その柔肌に牙を立て、生き血を啜りながら肉を食む……得も言えぬ興奮を味わえるのだよ」
ミシュは次の新年の誓いで『変態に好かれませんように!』と願おうと心に決めた。
目の前に居る変態より、まだ自分を追い回す変態の方がマシだ。
「泣き叫び死ぬまで悲鳴を上げ続けてくれると……とても美味しい食事が出来る」
笑いながら歩いて来る相手に、ミシュは冷たい目を向けた。
「でも体をドラゴンにする程度なら……うちの隊長の敵じゃない」
「ええ。ええ。……だからこれを持って来てますよ」
両の頬をパクッと裂いて……口を広げて笑う相手は、終始隠していた右手をローブの中から取り出した。
握られているのは人の頭ほどある透明な何かだ。
円形の球体。目視で確認し、ミシュはこれ以上の時間稼ぎは『危険』と判断した。
「これを使えば白いドラゴンスレイヤーとてっ!」
彼の言葉が途切れた。
先ほどの攻撃とは違い、祝福を使ったミシュは……相手の額に短剣を突き入れたのだ。
顔の下部から広がっている鱗がまだ到達していない部位……人の皮膚、人の骨であれば短剣が突き刺さるはずだ。
「死んでろ変態」
「……」
信じられない様子でグルッと自身の額に目を向ける変態の胸を蹴って、ミシュは後方へと移動する。
蹴られた衝撃で後方によろめく相手は……ニヤリと笑って右手の物を握り締めた。
「死ぬならば……共に」
額から血を噴き出し、それでも彼は右手の物を握り潰した。
不意に広がる嫌な気配にミシュは咄嗟に後方へと飛んだ。
だが……何かが押し広がるように迫って来る。
逃げられないと悟り、救いを求めて見上げたのはただの偶然だった。
天井に亀裂が走り、崩れ出した一画に空を見た。
死んだらそれまでと腹を括って……ミシュは祝福を使った。
(c) 甲斐八雲
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