君は間が抜け過ぎてるぞ?
ざわめきに視線を向けたら、見慣れないものを見た気がして一度視線を逸らした。
落ち着いてもう一度見ると、どうやら見間違いでは無いらしい。
2人仲良く歩いて来る。そう……歩いて来るのだ。
「我が幼き君よ。ようやく帰って来れましたぞ」
「そうね。うふふ……」
満面の笑みでミシュの手を引くマツバさんの姿を見て僕の何かが凍った。
この世の春を満喫している感じのマツバさんはとにかく笑顔だ。
「さあ幼き君よ。これからどうしますか?」
「そうね。帰って来たことを報告しないと……」
弾むマツバさんの声とは対照的にミシュの声は一本調子だ。
まるで念仏でも唱えているかのように感情の欠片も見えない。何よりその表情が死んでいる。魚の腐ったような目と言う表現があるが……たぶんこれを写真に撮って見せれば万人が納得するような目をしている。
「おおモミジよ」
「……お帰りなさいませ。兄様」
「うむ戻ったぞ」
「……」
テンションの高過ぎる兄に戸惑うモミジさんの様子が痛い。
気持ちは分かる。実の兄が浮かれまくっている姿を見るのは辛かろう。
だが対照的にミシュは今直ぐにでも地面に溶け入りそうなほどフニャフニャしている。
「あの~マツバさん」
「おお! これはアルグスタ殿。久しいな!」
「はい。御戻りになったと言うことは……終わったのですか?」
この2人は、ユニバンスに居る他国の密偵狩りをしていたはずだ。
「それは分からん。だが毎日のように襲いかかって来た者たちがこの3日訪れなくてな……丁度王都にも近いと言うことで、こちらの方に出向いて来た次第だ」
「はぁ……」
笑いながらそう話しかけて来る相手のテンションに引く。
何よりミシュの目が死に過ぎている。人の目ってここまで濁る物なのか?
「あの~。ミシュは?」
「うむうむ。良くぞ聞いてくれた!」
と、何故か女性陣全員が僕の背後へと回り込み盾にする。何故ノイエまでもが?
怖いくらいのテンションを見せるマツバさんが上機嫌で口を開いた。
「王都を出てから何日になるであろう……その間ずっとこの熱い心の内を彼女に伝え続け、昼夜を問わず求婚し続けた結果、ついに彼女もこの熱い想いを受け入れてくれたのです!」
「……」
どう見ても受け入れたのではなく、壊れ切って思考能力ゼロになった感じにしか見えない。
「あ~。マツバさん」
「何かね!」
「……はい。結婚ともなると色々と家族との語らいも必要でしょう。どうぞモミジさんとあっちで語らってください」
「ちょっと待って下さい! アルグスタ様!」
今は泣いてくれ。モミジさんよ。
「ノイエ」
「はい」
「モミジさんをあっちに」
「はい」
「ちょっとノイエ様っ! いやぁ~! 第六感が逃げろと言うのです! アルグスタ様~! どうか御慈悲を~!」
少し嬉しそうにノイエがモミジさんを抱えて運んで行った。
その後ろをウキウキとしたマツバさんが付いて行く。
ノイエよ……木に縛り付けるとか良く分かっているじゃないか。後でなでなでのご褒美だな。
「で、フレアさん。ミシュはどう?」
「……」
無言でミシュに往復ビンタをお見舞いするフレアさんの反応が芳しくない。
遅かったか。こんなことになるなら……まあ二・三日もすれば復活するだろう。ミシュだし。
「アルグスタ様」
「なに?」
「これをどうしますか?」
「あ~。打つ手なしだな」
精神的に逝っちゃってる人を元に戻す方法なんて僕は知らない。
フレアさんと2人で地面に崩れたような感じで倒れているミシュを見つめる。
あのミシュがここまで壊されるなど、マツバさんはどうやら本物の変態らしい。
「仕方ない。最終手段だな」
「最終……ですか?」
「うん。ノイエ」
「はい」
兄の手によって甘い家族計画を聞かされ痙攣しているモミジさんを眺めていたノイエが僕の横に来た。
「とりあえずミシュの頬を叩いてあげて」
「全力?」
「全力」
「はい」
止めようとするフレアさんの手を掻い潜り、地面に伏しているミシュの顔面に向かってノイエが拳を振り下ろした。
ズン……と地面が揺れたが血の花は咲かない。
寸前で立ち上がったミシュが、心底驚いた様子でこっちを見ている。
「……叩くって話は?」
「ノイエが面倒臭くなった感じ?」
「だからって……ちょっと……隊長? いゃぁ~!」
どうやら殴るまでが仕事と解釈したノイエの拳が止まらない。
ブンブンと振り回される拳をミシュが必死に回避する。
ほほう。本気では無いとは言えノイエの攻撃を躱すとは。
「ノイエ」
「はい」
「もう少し早く」
「ちょっと!」
「分かった」
「分かるな!」
握った拳を僕に見せ、ノイエがスピードを上げてミシュを殴ろうとする。
必死に回避するミシュはマジ泣き状態だ。
やはり死んだ振りをしていたか……甘いのだよミシュ君。
「って隊長もモミジもまだ居るしっ! 2人とも仕事に行ってください! ドラゴンが迫ってますから!」
慌てた様子で扉を開いて顔を見せたルッテの言葉に、僕ら全員がハッとなった。
完全にドラゴンの存在を忘れてたよ。
「ノイエ」
「はい」
「今日も頑張って」
「はい」
フッと消えたノイエが素早く着替えを済ませて飛ぶようにして出て行く。
フレアさんが縄を解き、解放されたモミジさんもまた馬に跨って急いで処理場へと駆けて行く。
「もう……みんなして気を抜き過ぎです」
「だな。で、ルッテ」
「はい? 何ですか?」
「胸が出ているが……君は間が抜け過ぎてるぞ?」
慌てて自分の上半身を確認したルッテが室内に飛び込み扉を閉じた。
(c) 甲斐八雲
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