忠臣
クレアは周りを気にしながら、今朝は無事に執務室へとたどり着ける幸運に感謝していた。
先日はちょっとしたミスから頬に傷をつけてしまい上司であるアルグスタに心配をかけてしまった。
と、動かしていた足が止まりかける。
込み上がって来る気持ちを涙を嗚咽を……必死に堪え飲み込む。
迷惑をかける訳にはいかない。いつも意地悪をして来る人だが、彼は優しくて良い人なのだ。きっと自分のことを知れば彼は呆れた様子でその場を誤魔化し、裏でとんでもないことをやりかねない。
もし自分の今の境遇が彼の伴侶たる人物であったとしたら……あの無敵なお嫁さんが自分のような境遇になるとは思えないが、それでももしもと考える。考えて出た結論は相手への同情だった。
(何だかんだでアルグスタ様は容赦無いからな~)
心の中で、自分の境遇を案じ仕返ししてくれる上司のことを思い溜飲を下げる。
これくらいしか出来ない自分と言う存在も腹立たしいが、でも話を大きくすればきっと実家が……心優しいお姉さまが動いてしまう。
最近どこか思い詰めた様子の姉に厄介事など持ち込みたくなかった。
気を取り直し、トコトコと歩くクレアはその言葉を聞き壁に張り付いた。
扉の外で緊張気味に待機しているメイドと並び立つ少女は……室内からの声に耳を傾けもう一度確認する。どうやら聞き間違いで無かった様子なので、メイドと立ち位置を替わって貰って開かれたままの室内から聞こえてくる言葉に耳を傾けた。
「うちのイネル君とお見合いですか?」
「ええ。是非に」
どうやら本気らしいスィークさんの様子に僕は一瞬思案する。
分からん。唐突とはこのことを言うのだと思う。
「何故にうちのイネル君を?」
「……アルグスタは彼の家の古い話は知ってて?」
「古い話? 確かご先祖様がすっごく男らしいことをして、王様を諫めたとか何とかって話ですよね?」
ザックリとした説明を配属の時に馬鹿王子から聞いたけど、スィークさんがため息をっ!
「誰からその話を?」
「馬鹿王子です」
「今度あの糞を潰して埋めましょう。なら簡単にヒューグラム家の過去を話しましょう。女性を守り王すら叱る忠臣の鏡たる一族の話を」
それは4代前のユニバンス国王が統治をしていた頃の話です。
彼には優れた兄が居たので自分に王位など転がって来ないと遊ぶことばかりしていました。ですが運悪く兄が病気で他界し、王位が彼の元に転がり込んだのです。
しかし統治に興味のない彼は仕事を部下に丸投げし、毎日毎日遊んでいました。
ある日のことです。
王は盆の上に8つのグラスを置きそれにお酒を注ぎました。どれもが毒酒です。
本当に王は気ままに……その毒酒の準備をし、控えていたメイドに命じました。
「この中に1つだけ毒が入っている。飲んで死ななければお前の願いを叶えよう」
ですがメイドは全てが毒入りと知っています。ですからメイドは必死に頭を下げて命乞いをするのです。王はその姿を見て笑うだけ取り合ってくれません。
ただの暇潰しの為にメイドは殺されようとしていたのです。
「王よ」
「……何だ?」
その時一人の男性が声を上げ、王の前に現れました。決して身振りの良くない武官です。
「そのような遊びなどお止めください」
「なに?」
遠慮なくそう言って来る武官に王は興味を覚えました。
中年と呼ぶには少し老いが進んだ特筆すべき特徴を持たないただの男性にです。
「王たる者は国民を愛する者です。そのように国民の命を弄ぶ者は王の地位に相応しくない。その重く汚い尻をその椅子から退かし、別の者にその地位を譲ると良いと思います」
「ほう……お前は俺が王に相応しく無いと言うか?」
その場に居る全ての者が武官が殺されると思いました。
「はい」
「命は惜しくないと見えるな」
しかし武官はその言葉にも決して臆しません。
胸を張り王を睨みそして言葉を続けます。
「命など惜しくありません。ですが貴方のような王をその地位に残し死するは心残りとなります。ですから我が王よ……この自分と1つ勝負をしましょう」
「勝負だと?」
王はその提案に興味を覚え、武官を殺すために近づいてきた兵たちを制しました。
「はい。とても簡単な勝負にございます」
と、武官は盆に乗ったグラスを指さしました。
「この中に毒が1つあるとか。なら自分が7つ飲みましょう。残った1つを王がお飲みください」
「……何?」
その申しでに王は相手の正気を疑いました。その場に居た全員が全てに毒が入っていると知っていたのです。勿論彼も知っているはずの事実です。
「王とも言う者がまさか"嘘"など仰るはずがない。ならばこのグラスには1つだけ毒酒なのでしょう。まず自分が先に7つ飲みますので、もし毒酒を引くことなく全てを飲んだ暁には王にお願いしたいことがあります」
「……願いとは?」
「はい。『決して人の命を軽んじることなく、そして国民を愛し正しき政治を行う』と誓っていただきたい」
真っ直ぐ見つめて来る彼の迫力に臆して、王はゆっくりと頷いてしまいました。武官は王の返事を確認し、そしてグラスに手を伸ばすと……迷うことなく1つずつ毒酒を飲み始めたのです。
それが後に"忠臣"と呼ばれるヒューグラム家のその当時の当主でした。
(c) 甲斐八雲
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