この欲求の溜まった

 時はアルグスタがフレアに声を掛けられるよりも前に戻る。



 鼻歌交じりでいつものようにクレアに仕事を押し付けて書庫に来た。

 ムンクの叫びのようなリアクションを覚えたクレアをからかうのは楽しい。


 クレアも最近は書類集めの外回りをイネル君に押し付けているのだから苦労するべきである。

 イネル君が休みの日なんて、各部署に書類を回収しに行く人が居ないからメイドさんが持って来てくれる。一応部外秘の物とかも混ざっているからメイドさんがどっかの国のスパイとかだったら大問題なんだけどね。


 何度か口頭で注意しているんだけど、この件に関してだけはクレアは全力で耳を塞ぐ。

 実はああ見えて人見知りなのかもしれない。そんな子が王都で結婚相手探しとか間違っている気がするけどね。ロマンチックに運命の出会いとか信じているのかな? 僕のような一発宝くじで超幸運なんて普通落ちていないんだけどね。


 そんなことを考えながら書庫の中を彷徨い歩く。

 探している物が見つからないから現実逃避が止まらない。


「おかしいな……」


 前回イネル君が束と持って来た例の書類が何処にもない。


 棚を見ていた僕の腕にふと何か当たった。

 ポヨンでは無くてボフッとした感じでクッション性のない……


「人生を終わらせますよアルグスタ様」

「……何故にいきなりの死刑勧告?」

「今わたくしの胸に対してとんでもなく失礼な感想を抱いたでしょう?」

「とんでもない。メイド長の胸の谷間を堪能出来てとても幸せです」


 静かに幽霊の如く湧いて出て来たメイド長に、体当たりを食らわしていた僕としては色んな意味での終了を感じる。

 だが結構年上の叔母様は何故か自分の胸を抱くとそっと顔を背ける。


「わたくしのような完璧なメイドに欲情を覚えるのは仕方ありませんが、これでも妻の身であります。まさかアルグスタ様は人妻に興奮を覚えるというのですか?」

「もしも~し?」

「冗談ですよ」


 いいえ。人妻と言う単語には興味を覚えますが、僕の辞書に『熟女ラブ』は載っていません。


「何か良からぬことを考えていますね?」

「滅相も無い。メイド長は今日も美しい」

「……当然です」


 こちらを怪しんでいる様子も見えるが、ここは煽てて穏便に逃げ出そう。


「では美しいメイド長様。自分はこれで」

「待ちなさい」


 しかし逃げられなかった。


「何を……さっきから探しているのですか?」


 とても冷ややかな声がとても怖い。


「あのですね……そうそう。うちの若い子の手本となる夜の営みについて書かれた物を」

「それでしたら一番奥の棚を動かしてさらに奥に進んだところにあります。ですがその場での閲覧は禁止です。男性はそこで……まあ掃除が大変なので」


 冷ややかな相手の視線により疑わしい感じが混ざる。

 しまった。選択肢を間違えた。


「言いなさい"アルグスタ"。これは言えることでしょう?」

「……はい」


 メイド長から叔母であるスィークさんに変化した彼女の圧に負け、僕は例の事件で処刑された者たちを書き留めた書類を探していることを素直に話した。

 だって叔母さんモードになったスィークさんはマジで怖いんだもん。


「その書類でしたら確かあちらに」


 メイド長に戻った相手の後を付いて行く。だが案内された棚にその書類は無い。


「……全部無いのはおかしいですね」


 流石のメイド長も空となっている棚を見て少し驚いていた。


「そんな訳で探していたんです」

「なるほど。分かりました」


 相手が納得してくれたから後は逃げ出すだけだ。


「それで誰の物を探しているのですか?」

「……カミーラだけど」


 この程度の名前なら言っても問題無いはずだ。

 辺に隠し過ぎるとメイド長が勘ぐって締め上げられそうだしね。


 うんうんと頷いた彼女は、僕を書庫内にある机へ引き摺って来た。


「先ほどクロストパージュ家のご令嬢が、こちらに向かうようなことを同僚の騎士と話していましたので……彼女に聞きましょう」

「フレアさんに?」

「ええ。彼女はカミーラと同郷で、彼女から剣の手ほどきを受けていたのですよ。まあそちらの才能は無く、最終的には魔法の勉強ばかりしていましたが」


 知らなかったわ~。つかフレアさんって一体何者なの? 馬鹿兄貴のお嫁さん候補で魔法と事務能力は天才的だし、何よりあの事件の関係者と知り合いとか。

 ん? 知り合い?


「ねえメイド長」

「何か?」


 椅子に座らせられ、何やら準備するメイド長を見ながら僕はふと疑問に思ったことを口にする。


「フレアさんの魔法の先生って知ってる?」

「ええ。彼女は最初ご生母から魔法を習い、クロストパージュ領に預けられていたハーフレン王子が王都に戻る際にこちらへやって来て、それから学院でご生母の師より学んでおりましたが、とても優秀でしたので学院一の天才児の元へ預けられました」

「もしかして……アイルローゼ?」


 スッと目を細めてメイド長がこちらを睨んで来る。

 アカン。マジで怖い。


「その通りです。ですがその師も、そして共に学んだ仲間たちも今はこの世に居ません。ですのでそのことは質問せぬように……良いですね? アルグスタ」

「はい」


 叔母さんとなってそう言って来る相手の言葉に素直に頷き返す。 

 何だかんだでスィークさんは基本優しい人なんだ。そう心の底から思っていないと僕はいずれこの人に殺されてしまう。


「さあご令嬢が書庫内に入った様子です」

「……どうするの?」

「はい。わたくしがここからご令嬢が話したくなるような言葉を書いて見せるので、アルグスタ様はその通りに仰ってください。途中適当に会話を挟んでも構いません。そこはこのメイド長の腕の見せ所です。それと普段通り悠然と構えて座って貰い」


 と、スラスラとどこからか取り出した紙に彼女が言葉を書いていく。

 メイド長の様子を見つめながら、とりあえず普段通りに座って……普段通りってどんな感じだろう?


「このように見せるので、そのままお読みください」


『この欲求が溜まった雌豚が! 俺様が相手をしてやるから喜んで泣き叫び全てを口にするが良い!』


 って、言えるか~っ!

 余りの問題文章に、僕は額を机に打ち付けた。




(c) 甲斐八雲

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