ないものねだり
チャプチャプと水面に差し込んだ足を振るう。
自身の足に纏わり付く水に目を向け……フレアは深いため息を発した。
胸の奥が、心の中が、ベタベタと重たい気持ちに覆われている。
分かっている。分かっているがそれを認める訳にはいかない。
自分は彼に『捨てられた』のだから……。
と、遠くで最大な爆音と濛々と土ぼこりが立ち上る。
一瞬祝砲かとも思ったが、土ぼこりが見える方角は木々の覆う場所だ。
隊長が勢いに乗って何かやったのだろうと見切りをつける。
ルッテが居ない都合、警戒のために待機所を覆うようにして立つ兵士たちが『良いんですか?』と目を向けて来るが、フレアは軽く首を振って無視を決め込んだ。
良くなくとも隊長であるノイエを止める手立てなど無い。それが出来る人物は現在、『彼』の結婚式に参列しているのだ。
(ないものねだりよね)
そう思い体を後ろへ倒し、腕で顔を覆う。
(アルグスタ様はきっと何があっても隊長を手放さない。一緒に居ると強い覚悟を持っている……ただそれだけのこと)
分かっている。そんな『簡単』な理屈だと。
でも心の中がざわざわして止まらない。胸の中に虫でも湧いたのかと思うほど不快だ。
(全部が全部……幸せな話で終わらない。幸せで終わる分だけ不幸せな終わりもある)
それが自分だっただけだ。
誰でも無い。フレア・フォン・クロストパージュだっただけだ。
彼に捨てられたおかげで自分は自由を手に入れた。
あの日から、あの時から……ある意味で自分に課せられていた目に見えない
正室候補から外れただけで、今でもこうして『自由』に会うことも話すことも出来る。
(ないものねだりよね。本当に)
本当の自分は何処までも貪欲で卑しい女なのだろうかと……フレアは自身をなじり蔑む。
それは半ば彼女の癖だった。
どこで間違えたのか?
10年前のあの時からか?
親友を喪ってしまったあの時からか?
それとも彼と出会ってしまった時からか?
自問しても答えなど見つからない。
ただ解っているのは、自分はもうあの時には戻れないと言うこと。
彼の元で正室候補として過ごしていたあの頃には、彼を兄と慕っていたあの頃には。
「嫌になるわね……本当に」
体を起しフレアはまた川の中に足を差し込む。
清らかな水はここから流れ色々な汚れを得ながら海へと至る。
自分が今吐き出しているこの不満は何処へと流れるのだろうか?
考えても決して答えなど見つからない。
だからこそ彼女は、暇を見つけては自問する。
『自分は何故……人の命をこうも平然と扱えるようになってしまったのか?』と。
「おに~ちゃん、大変です~」
「ああ」
「すっごいです~。あれです~。すっごく大きいです~」
「確かに」
キャミリーが抱き付いているルッテの胸と対象人物の胸とを見比べ続ける。
普段"巨乳"と言われ嫌悪感を示すルッテですら、あれを見た瞬間自分の胸と見比べて『まだ育ちますから……』と恐ろしいことを呟いていた。
式場会場である場所は、一部貴族男性たちが中腰になる異様さだ。
馬鹿兄貴のお嫁さん……リチーナ・フォン・ミルンヒッツァ嬢は、その豊かな胸を限界まで見せつけるかのようなドレスに身を包み歩いて来る。
彼女の頬が真っ赤なのは、どの感情が働いての物かは定かじゃない。
衆人に見守られてバージンロードを歩いて来るのは恥ずかしいし、あの服もちょっとどうかと思うし、何よりこの後のキスを思うとその気持ちは理解出来る。
つか折角の花嫁さんの横に居る筋肉ダルマが邪魔だ。簀巻きにして捨てて来いと言いたい。
華やかな場所は綺麗な者を見たいのであって見慣れたダルマなど目の毒だ。
「ルッテ」
「はい?」
「隣のあれが邪魔だから射殺しちゃって」
「わたしにどれほどの難題を押し付ければ気が済むんですか!」
「馬鹿だな~。人生とは死ぬまで難題の積み重ねだよ?」
元の世界に居た時に近所の御婆さんが良くそう言っていた。名言である。
静々と歩く花嫁さんは、胸ばかりに目が行くけど全体的に見ると……少し日焼けが見える元気そうな感じだ。
「南の方だから日焼けとかしてるんですかね?」
王国東南の出身と聞いたから『そうなのかな?』と思い聞いてみると、お兄ちゃんが左右に首を振る。
「ここだけの話だが、中々にお転婆らしい」
「はい?」
苦笑気味に言葉を続ける。
「王都に来てからも姿を見せず礼儀作法を学んでいたとなっているが、屋敷から逃げ出しては馬に乗り、あっちこっちを勝手に見て回っていたらしい」
「……」
あの兄貴にお似合いと言えばお似合いだけど……二乗して悪い方向に突き進みそうな気すらする。
「ん~」
「どうしたアルグスタ?」
「ん? はい。個人的な意見なんですけどね」
「言ってみろ」
失礼かなって思ったけど促されたから素直に言おう。
「あれのお嫁さんは彼女のような人じゃない方が良いかなって」
「ほう」
感心した様子で頷いて来る。
「では誰ならば思う?」
容赦のない質問が来たよ。
一度言ってしまった都合、開き直って全てを言った方が気も楽か。
「個人的にはフレアさんですね。彼女だったらあの暴れ馬の手綱を確りと握ってくれそうなんで」
「確かにな」
薄く笑ってお兄ちゃんも納得した様子だ。
「だがな」
視線を動かすと、壇上を見上げる横顔が目に入る。
綺麗に整っているだけにあの王様の息子とは思えない。
「昔のフレアは、人見知りで臆病で引っ込み思案だったんだ」
「……冗談ですか?」
あのフレアさんが? それだけは無いって。
だけどお兄ちゃんはそれ以上何も言ってくれませんでした。
壇上に優しげな眼を向けるだけで。
(c) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます