彼女の名は?
「ご到着しました」
「……ふぇ?」
「ご到着いたしました。アルグスタ様」
御者の声にいそいそと涎を拭う。
途中まで起きていたんだけど……ってノイエも熟睡していた。
「ノイエ。着いたよ」
「……おはようございます」
「あはは。もう昼過ぎだね」
「はい」
僕に抱き付いていた彼女も起き出して背伸びをする。
こんな狭い馬車の中でそんなことが出来るのは子供の体型の賜物だ。
開かれた扉からまず外に出るのはノイエだ。ぴょんと飛び出して辺りを軽く見渡す。
「アルグ様」
「はいはい」
先日の襲撃の一件以来、彼女の僕に対する安全確保の精神がとても強まった。
大陸屈指のドラゴンスレイヤーだからボディーガードとしては申し分ないんだけど、どう見てもお子様な感じなので守られるこっちの精神的ダメージは計り知れない。
彼女の手を借りて馬車から降りると、屋敷の方から慌てた感じで走って来る人たちが。
「本日のご到着でしたか。アルグスタ様」
「申し訳ございません。仕事と馬車の都合で」
「いえいえ。ただ出迎えに遅れてしまったことはお許しください」
「構いませんよ。お仕事がお忙しいのでしょう?」
「はぁ」
恐縮状態の相手は下級貴族のご当主様だ。
元とは言え王家に連なる僕を前に汗かきまくりだな。心臓に毛の生えている娘を見習った方が良いと思うよ。
「あれ?」
「何か?」
「ミシュは?」
「……」
雨期による休みで実家に帰省しているはずのあの売れ残りが来てない。
彼女の父親であろうホーシュン・フォン・エバーヘッケさんが引き攣った様な笑みを浮かべる。
「あの子はその……」
「サボって寝てる?」
「いえ。朝から体調を崩した馬の看病に出てまして」
「それなら仕方ないね」
仕事ならしょうがない。
『滞在中はバッチリ面倒見ますから!』と無い胸を叩いて自信あり気に言ってたが……あとでからかえば良いや。
彼の案内でまず屋敷に向かい歩き出す。
辺りに目を向けると草原と木々の多い良い場所だ。とにかく空気が澄んでて美味しい気がする。
ユニバンス西部は木々が多い地で、ミシュやルッテの故郷でもある。
こんな大自然の元で過ごしたから……ミシュのような器だけ大きな人間とか、ルッテのような胸の大きな人間とかが出来るのかな?
ノイエも僕同様に辺りをキョロキョロ見ている。
彼女はいつも通り僕の右腕に抱き付いて離れない。
「アルグスタ様」
「ん?」
控えめにホーシュンさんが声を掛けて来た。
「娘の話では、アルグスタ様が現在"あれ"の上司に当たるとか」
「まあそうだね」
グッと覚悟を決めたように彼は震える口を開く。
「ミシュエラは無事に仕事をしていますでしょうか? 父親としてそのことが本当に気掛かりで」
「……」
あれ? ちょっと待って? 何か雑音が?
「みしゅえら?」
「はい。私たちの娘……ミシュエラ・フォン・エバーヘッケにございます」
「……」
自然と足が止まり……腕に抱き付くノイエを見る。クリリとした瞳が愛らしい。
その姿を見ているだけで何もかもが癒される。ああ……幸せだ。
「って、ミシュって本名じゃ無かったの~!」
初めて知った事実に驚愕したよ。
「私もどうして娘がミシュエラでは無くミシュと呼ばれるようになったのかは知らないのですが……」
広くは無いけど落ち着きのある応接間に通されて彼女の父親から色々と話を聞く。
次女として生を受けたミシュことミシュエラは、とても元気な幼少期を過ごして12歳の時に王都に出て以降……消息を絶った。
それから約4年後。上客となるハーフレン王子と共に突然帰郷し、それ以来定期的に帰って来るものの仕事内容は一切話さないそうだ。
何を聞いても『ちゃんと仕事してますよ~』だったが、ここ最近は『すっごい生き物を相手にしてますよ~』に変化し気が気でならなかったらしい。
すっごい生き物であるのは認めるが、うちの嫁に対して暴言は決して許さん。
「それでアルグスタ様。うちのミシュエラは?」
「仕事は……たまにしてますね。うん。まあ給金泥棒と呼ばれていますが、仲間内からは嫌われていないので放置してます」
「はは……そうですか」
口から魂が出そうなほど気の抜けた親父さんが可哀想だな。
まあ自分の娘が給金泥棒と呼ばれるほどダメなっ
「って誰が給金泥棒ですか! 兄弟そろって本当に失礼ですね!」
「ノイエ。あのちっさいの……軽く投げて来て」
「はい」
「って隊長! 普段見せないくらいにどうしてそんな軽い動きでぇぇぇぇええええ~っ!」
窓から入って来ようとした馬鹿が、貴族の令嬢のような少女に投げられて消えた。
流れるような動作でミシュを投げ捨てたノイエの様子に呆気にとられるホーシュンさんに、少しぐらい娘の真面目な評価を聞かせてやるのも上司の務めか。
「ここだけの話ですが……小隊に新人などが入るとどうしても気後れしてしまうそうです。仲間の輪に中々溶け込めずに居ると、必ず"あれ"が馬鹿話をしながらやって来るそうですよ」
「は、はぁ」
「勝手に笑いの種にされ……怒って怒鳴れば怒鳴るほどからかわれて……被害者意識が高まって仲間たちの輪に自然と加わっているそうです」
「……」
クスッと笑って隣に座りこちらを見るノイエの頭を撫でてやる。
彼女だって本来なら恐れられる存在なのに……小隊の誰もがノイエを怖がっていない。
「馬鹿を振る舞い笑いを提供する彼女は、それだけで小隊の士気を保っているんです。それに関しては本当に感謝しています」
こんな恥ずかしいことは、その本人に絶対聞かせられないけどね。
(c) 甲斐八雲
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