女性の胸は

「ん……ん~っ!」


 大きく背伸びをして、フレアは冷たいくらいの新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 ドラゴンの血肉の臭いも朝のうちは地面間近に溜まっているので気にならない。部下たちが動き回れば臭いは広がるが、その頃には鼻が麻痺して何も感じなくなっている。

 ただ体臭だけは気を付ける。香水は必需品だ。


 もう一度新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで空を見上げる。

 青い空には薄い雲が広がっている。そろそろ雨期が近づいて来たのかもしれない。


 ドラゴンは自身の体調管理に難のある生き物だ。雨が降ったりして体温を上げられないと自然と活動を止める。

 つまり長期の休みが取りやすくなるし、その間に施設の工事などを進められる。


 新しい上司は本当に有言実行してくれた。まず手洗い所が男女別になって真新しく建て替えられた。

 田舎の都市にでもあるようなかめを跨いだだけの作りになってしまうのは場所柄仕方が無いが、それでも個室になっただけでも上出来だ。


 次は雨期の間に建物の方を新しくする。

 だいぶ大掛かりな工事になるので一回で終わらないが、段階的に拡張されて行く手筈だ。


 もちろんこの場所だけ優遇される姿勢は、団長を含む他の近衛の主だった者たちから強い反対を受けた。

 しかし責任者であるアルグスタは一歩も引かない。


『文句があるなら金を生む努力をすれば良い。無駄な金を湯水のように使っている者たちの給金を生み出しているのは誰かな?

 もう一度問う。別に全ての無駄を減らそうとしている訳ではない。ただ少しずつ協力してくれれば……うちのノイエが挨拶に行く事態を避けられるけど?』


 これ以上の脅迫は無い。

 最近は『アルグスタ様を絶対に王位に就かせてはいけない』と貴族の間ではその話で持ちきりだ。


(あの人は隊長と仲良く出来れば良いんでしょうけどね)


 ふぅ~と息を吐いて辺りを見渡す彼女は、いつも通り白い人影を見た。

 隊長のノイエだ。


「隊長。おはようございます」

「おはよう」


 ツカツカと足を止めず真っ直ぐ来た彼女にフレアは軽く身構える。


 また何か変な質問だろうか?


 だがノイエの次の行動は、会話では無かった。

 目の前から消えた白い存在。と……フレアは自分の着ている鎧の隙間から何かが入り込むのを感じた。


「えっ! ちょっと……隊長? あっ! ちょっと何をっ……んんっ! してるんですかっ!」

「……」


 忍び込んで来た彼女の手がこれでもかと胸を揉んで来る。

 全体的に形を確認するような、それでいて確りとガッツリと揉んでいった。


「あふっ」

「……」


 たっぷり揉んで金髪の副隊長を開放したノイエは、次なる獲物を見つける。

 薪を抱えて歩いて来た小柄なうっすい子だ。


「隊長? 何してるんですか?」

「……これは無理」

「意味は分からないですけど、物凄くけなされた雰囲気を感じましたよっ!」


 薪を投げ捨て憤慨する者を無視して……ノイエは視線で探す。

 あれが一番、確認しやすいはずだと。


「隊長~。今日は夜間行動するドラゴンは出てないみたいなんで、急がなくても平気ですよ~」

「……」


 丸太小屋のドアを少し開け顔を覗かせた標的を見定める。


「着替えですね。今出るんでちょっと」

「……」


 ヅカヅカと一気に歩み寄り、ドアを閉めようとしていた見習いの少女の背を押して一緒に小屋の中へと入る。


「隊長なんですか? って何ですか~っ! ダメですよっ! そんな鷲掴みにしてっ! あ~も~!」


 丸太小屋の中で何が起きているのかは知らないが、嫌がっていたはずの少女の声がどんどん小さく艶めかしい物に変化し……それを聞かされていた野郎共が、静かに自主練の為に木々の間へ消えて行った。




「柔らかい、ですか?」

「はい」


 昼の休憩時、フレアが朝の凶行を問いただすと……ノイエの答えがそれだった。


「柔らかいが分からない。これは柔らかいの?」


 食べ終えた骨を粉砕して川へと流してから、ノイエはそっと鎧の上から自分の胸に触れる。


 仕事の時は特注品のプラチナ製魔道鎧を着ているし、彼女の普段着は脱ぎやすさ重視の飾りっ気のないワンピースのような物が多い。つまり知る人しか知られていないが……細い腰を持つノイエは、典型的な隠れ巨乳派に属している。

 アルグスタは決して認めていないが。


「隊長のは柔らかいと思いますよ。ええ……羨ましいくらいに」

「そう」


 胸の話の時点で、ミシュは世の中の胸を呪いながら馬に跨り消えてしまった。

 ルッテは気にしていない様子で耳を澄ましてこちらの話を聞いている。

 その手の会話が気になる年頃なのだろう。ただ片腕で完全に胸を護っているのは、これでもかと揉まれたことに対する恐怖の表れかもしれない。


「どうしてそんなことを気にするのですか?」

「……」


 全力で目が泳いでいる。

 これは間違いなく必死に思い出そうとしている時のノイエの癖だ。


「見た」

「何をですか?」

「赤ちゃんが胸を……不思議だった」

「……」

「どうして胸を? ただ柔らかいだけなのに?」


 純粋な疑問が正直辛い時もある。

 特にノイエは一般的な知識が思いの外少ない。出会った頃などは一人での着替えも怪しいほどだった。


「良いですか隊長?」

「はい」

「女性の胸は特別なんです」

「特別?」

「女性の胸はですね……」



 フレアの説明を聞いたノイエはようやくそれを知った。




(c) 甲斐八雲

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