私は本気よ

「アルグ様」

「ただいまノイエ」

「お帰りなさい」


 帰宅して寝室に向かったら、ノイエが食い気味に挨拶をしてきた。

 おかげでこっちから切り出しにくくなってしまった。


 全く……僕がノイエに何を唆したと言うのかね? 自分の胸がホライゾンだからって、あの売れ残りは被害者意識が強すぎるだけだ。


 トコトコと歩いて来た彼女が、その手を伸ばして僕の頭を抱きかかえるようにして導く。

 その先はふにゅっと柔らかな胸だ。


「ノノノノイエっ!」

「アルグ様」

「はい?」

「母乳はどうすれば出る? 吸うと出る?」

「……」


 ノイエが変なことを言ってるのは僕のせいでは無く、周りの環境が悪いせいだと言いたい!

 誰だ。うちのお嫁さんに変なことを言ったのはっ!


「まず落ち着こうか?」

「……」

「手を放して?」


 ギュッと抱きしめて来た。


 だから谷間に顔が挟まって喜び死ぬって!


「出れば赤ちゃんを抱ける」

「出なくても抱けるからっ!」

「本当?」

「本当本当。赤ちゃんは男の人でも抱けるからね! ってノイエも1度抱きしめたって言ってたでしょ!」

「……違う」

「はい?」

「抱きしめてご飯したい」

「……母乳を与えたいってことかな?」


 微かに伝わる振動で彼女が頷いたのだろうと想像する。

 顔に感じる柔らかな感触に変なことばかり想像しちゃってますけどね!


「良し分かった。……腕を放してくれたら説明します」

「……」


 渋々と言った様子で彼女が解放してくれた。

 後ろ髪引かれる思いだけど……大丈夫。引っ越しはもう間近だから。


「良いノイエ?」

「はい」

「ノイエは胸のことをどれ程知ってる?」

「聞いた。赤ちゃんのご飯が出るって」


 気持ち胸を張って、自慢げな返事だ。

 アホ毛がクルッと回ったのはどんな意味だろう?


「あのね……女の人はね? 赤ちゃんが出来たら母乳が出るんだよ」

「出来たら?」

「そう。えっと……ノイエ的には生殖活動かな? それをしたら子供が出来るのは知ってるよね?」

「はい」

「そうすると女の人は『母親』になって、赤ちゃんのご飯である母乳が出るようになります」

「……」


 ベッドの端に座り丁寧に説明したけど……納得してくれたかな?


「アルグ様」

「はい?」

「私も出る?」

「……赤ちゃんが出来れば、ね」


 そのはずです。

 僕らが習った保健体育と言うか……エッチな知識だとそうなっています。


「アルグ様」

「はい」

「引っ越しを早く」

「……」


 無表情なんだけど……雰囲気的には物凄く真剣だ。


 お嫁さんに求められていると考えれば嬉しいことなんだけど、そこまで頑なに拒否しちゃう僕の姿勢ってどうなんだろう? 彼女が求めるならメイドさんなんて気にしないで頑張った方が良いんだよね?


「ノイエ」

「はい」

「……今からする?」

「?」


 微かに彼女のアホ毛が傾いた。出来たら首とかを傾けてよ!


「あの……生殖活動をする?」

「アルグ様が言った。引っ越したらって」

「うん」

「だから引っ越したらする。約束は守るもの」


 そうだ。意外とノイエは頑固な一面があるんだったんだ。


 別にノイエの我が儘を聞き入れたって訳じゃないんだけど……彼女的にはそう捕らえているのかもしれない。

 何か物凄く悪いことをした気がする。


「だからアルグ様も約束を守って欲しい」

「うん。必ず守るよ」

「はい」


 ポフッと僕の肩に頭を預けて来る彼女のアホ毛に優しくキスをする。


「んっ」


 やはりこのアホ毛……神経とか通ってない?




 ふと体を起したノイエは自分の隣で眠る相手を確認する。

 全幅の信頼を寄せているのだろう……その寝姿から緊張など微塵も感じられない。


 ゆっくりと息を吐いてベッドから抜け出す。

 向かう先は壁に掛けられた鏡だ。


 この世界では磨き上げられた銅鏡の方が希少品とされているが、実用性を考えれば鏡の方が遥かに優れている。

 鏡に映る自分、その瞳をジッと見つめる。


「本当に"あれ"で良いの?」

「彼女が望んでいる相手よ?」

「でも……」

「少なくともあの男はノイエに危害を加えない」

「そうね」

「グローディアは不満過ぎて最近出て来ないけど?」

「でしょうね。彼女はカミューと一緒にノイエを溺愛していたもの」

「溺愛と言うか……あそこまでするのは正直怖かったけどね」


「きゃはは。確かノイエの着替えをどっちがするかって喧嘩して、半日殴り合ってたとかしてたね~」

「そんな馬鹿なことなんて普通でしょ? あの二人は」

「別に良いじゃん。今かんけーねーしよ」

「そうね。で、問題は?」

「……」

「分かってる。みんなが心配していることはただ1つでしょ?」

「ノイエが笑って過ごせるようになるか……」

「そうよね。そうなって貰わないと、わたしたちってば無駄死にだしね」


「生きてても死ぬ運命が先延ばしになるだけでしょ? だから皆でカミューの提案を受け入れたのよ?」

「難しい話はどーでも良いよ。それでアイツは信用出来るのか?」

「ノイエ自身は信じているわね」

「……」

「ならそれで良いじゃ無いの。私達はノイエのこれからを見つめて行くだけ」

「そうね」

「でももし彼がノイエに良からぬことを企もうとすれば……」


 鏡越しに映るベッドの上の青年に……赤い瞳が怪しく揺れ動く。


「その時は"全員"の持てる力を駆使して、生き地獄を味わいながら最も残酷で残忍な方法を用いて殺すだけよ」

「……珍しく出て来たと思ったら、グローディア怖いな~」


 鏡の前に立つ人影が動き……ベッドで眠る彼の首に手を掛ける。


「私は本気よ。この子が悲しむ姿を見るくらいなら全てを殺す。何よりユニバンスの血族なら容赦する必要なんて無いし……ね」

「あはは。殺しちゃえ……みんなみんな殺しちゃえ」

「黙りなさいファシー。何より殺す時は私が最初よ」


 首を掴む手に力が加わることも無く……彼女は、ノイエは、座ったままの姿勢で眠りに落ちた。




(c) 甲斐八雲

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