霊感少女と地縛霊。
由希
霊感少女と地縛霊。
「
「その花ちゃんっていうのいい加減止めなさいよ」
教室で静かに本を読む私に、
冬の澄んだ空は既にオレンジ色に染まっていて。見る人によっては、切なさを感じるのかもしれない。
「花ちゃんはさ、あれ、進路、どうするんだっけ」
「Y高の英語科。だから花ちゃんは止めなさい」
「いいじゃん、もうあとちょっとしか呼べないんだから」
「……」
「……あたしも、出来たらな。卒業」
窓の外を見つめながら茜が呟く。その首には生々しい縄の鬱血痕。
茜はこの教室に巣食う地縛霊だ。と言っても生きてる人間に害を加えたりはしない。授業風景を眺めているくらいが精々だ。
私、
何でも自分が見える人間と出会ったのは、長い幽霊人生で初めてだったそうだ。幽霊になってる時点で人生もへったくれもない気がするけれど。
以来私は彼女に懐かれ。私に友達がいないのをいい事に、こうして放課後になると会話をする間柄になった訳だ。
「しかし馬鹿だよねー、あたしも。フラれたショックで窓から首吊りなんてさ」
「そうね」
「ちょっ、否定してよー。傷付いた。今凄い傷付いた」
「私嘘は嫌いだから」
オーバーに傷付いた素振りを見せる茜を無視して、私は本を読み進める。茜のこの手の反応は、真面目に取り合うだけ馬鹿を見る。
「まー、確かに馬鹿だよ。でも……この教室で死んだお陰で、花ちゃんに会えたんだ」
「……」
「生きてた頃の友達より、花ちゃんのが近い気がする。……ホントだよ?」
「……」
「あ、今ジーンときた? ジーンときたでしょ?」
「……馬鹿」
「えへへー、花ちゃんの照れ屋ー」
得意気な茜にちょっとイラッときて、それ以上は無視を決め込む事にする。……図星、なんて事は死んでもない筈だ。……絶対。
……何で私は、こうやってわざわざ茜の相手をしているんだろう。孤独をまぎらわせる為? それとも茜を哀れんで?
解らない。自分の事なのに。それが何だかもやもやとして、スッキリしなかった。
『下校時間になりました。校舎に残っている人は……』
その時、下校時間を告げるアナウンスが鳴り響いた。今日もいつの間にか、そんな時間になっていたらしい。
本にしおりを挟むと、帰り支度を始める。茜の尻が邪魔だけど、どうせ触る事は出来ないので気にしないよう努める。
「じゃあ、茜。また明日」
「うん。また明日、花ちゃん」
最後にそう言葉を交わすと、私は鞄を持って教室を出た。
「花ちゃん、成仏ってどうしたら出来ると思う?」
「は?」
突然、茜がそんな事を言い出したので私は思わず本から目を離してしまう。茜はいつも通り、呑気な笑顔を浮かべていた。
「何よ、急に」
「んーほら、あたしもいつまでもこうしてられないかなって。花ちゃんが卒業したら、また独りぼっちになっちゃうし」
「そんなの今更でしょ」
「違うよ。……今までの独りぼっちと、これからの独りぼっちは」
不意に真面目な顔になる茜。茜のそんな顔を見るのは初めてだったので、私はついマジマジと見返してしまう。
「人と接するあったかみを知った後の独りぼっちは……知らない頃よりずっと辛いんだよ、花ちゃん」
「……………………」
何も言えない。何て言ったらいいか解らない。たった十五年ぽっちしか生きていない私には、茜の今の気持ちを想像は出来ても理解は出来ない。
そんな私の戸惑いを察したのだろうか。気が付けば、茜の表情はいつもの呑気なものに戻っていた。
「まーそういう訳でさ。花ちゃん霊感あるんでしょ? パーッとあたしの事成仏させらんない?」
「無理よ。言ったでしょ? 私に出来るのは霊を見て、波長が合えば声を聞く、それだけ。あんたとしてるみたいに、霊と普通に会話出来るだけでも稀なんだから」
「え、なになに? じゃああたしってば花ちゃんの特別?」
「馬鹿な事言ってないの」
嬉しそうに笑う茜に、何だか少しホッとする。……何でそう思うのかは解らない。
「でもそっかー、花ちゃんでも解らないか」
「解ってるならとっくに成仏させてるわよ」
「えー、友達相手に酷くない?」
「成仏したいって言ったのはあんたでしょ」
そんな会話を続けながら、ふと今まで考えなかった事を考え始める。生前の茜は、一体どんな子だったのだろう。
男にフラれて自殺したとは聞いたけど、正直今の茜を見ているととてもそんなタマには見えない。嫌な事があっても長々とは引きずらない、そんな風に見える。
通説では霊が成仏出来ない時というのは、何か現世に未練がある時だという。ならば茜にも何か未練があるのだろうか。
自分をフッた男に? ……それは多分違う。学生生活に? ……解らない。
私は、自分が茜の事を全然知らなかった事に今更ながら気付いたのだった。
「……茜、今、楽しい?」
気付けばそんな事を聞いていた。そういえば私から茜に話を振ったのも、これが初めてなんじゃないだろうか。いつもは一方的に話す茜を適当に受け流すばかりで。
すると茜は目をパチパチと瞬かせ。それから満面の笑顔を浮かべて。
「うん! 花ちゃんがいるから、楽しい!」
と、照れもなく言うものだから。私の方が妙に照れてしまって、思わず目を背けたのだった。
「……明日、いよいよ卒業式だね」
「……………………」
卒業式を明日に控えた日。いつものように、私は茜と二人、教室に残っていた。
明日はこの教室に残る事はない。だから、これが茜との最後の会話。
「……花ちゃん、あのね」
今日の茜は妙に歯切れが悪い。何かを言いかけても、その後が続かない。
けれど私は続きを催促する事はしなかった。茜が自然に言うのに任せようと思った。
「あたしね。……あたしね」
「……」
「……あたしね」
「……」
「……先生と、付き合ってたんだ」
やっと茜が口にした、その一言に私は思わず茜の顔を見る。茜はどこか悲しげに笑い、話を続ける。
「内緒の恋だった。誰にも言えなかった。こっそり会って、大人同士でする事もした。でも、先生、別の女の人と結婚するって」
「……」
「馬鹿だよね。遊ばれてたの、全然気付かなかった。先生にはあたしだけだって、そう思ってたから耐えてきた。子供だって出来たけどこっそり
「……茜」
「花ちゃんに、ずっと言おうと思った。でも怖かった。嫌われるんじゃないかって思った。それが怖くて、何も言えなかった」
「……」
「今日で最後だから。だから、全部言っちゃう決心がついたんだ。明日で花ちゃんいなくなるから。そしたらもう言える人いなくなるから」
茜はいつの間にか泣いていた。大きい目から涙をぽろぽろ零してしゃくり上げていた。それを見て、私は無意識のうちに茜を抱き締めていた。
「ごめんね、ごめんね。こんな馬鹿なあたしでごめんね」
「そうね、馬鹿ね」
「花ちゃん、嫌いになった? あたしの事嫌いになった?」
「ならないわよ、馬鹿」
ああ、そう答えて気が付いた。私は茜が好きだったんだ。友達だと思っていたんだ。だから茜と一緒にいたんだ。
友達なんていらない、なんて気取ったふりをしていたから。一年間ずっと一緒にいた、茜の内心にも気付けなくて。
馬鹿は、私もだ。それも、救いようのない。
「花ちゃん、花ちゃん、好き。大好き」
「私もよ、茜」
相手は幽霊だから、感触なんてないけど。それでも私は茜を抱き締めて、頭を撫で続けた。
それは、別れを惜しむように。それは、想いを伝えるように。
そうして、どのくらい時間が経っただろう。急に、茜の声が聞こえなくなった。
「……茜?」
顔を上げる。さっきまで抱き締めていた筈の茜の姿は、どこにも見えなくなっていた。
――ありがとう、花ちゃん。
窓が開いてもいないのに風が吹いて、そう声が聞こえた時。私はやっと理解した。
彼女は……もうこの教室にはいないのだと。
「……私より先にいなくなるんじゃないわよ、馬鹿……」
そう呟いた、私の頬に。一筋の温かい雫が、流れた。
今でも、春になる度思い出す。中学最後の一年間、茜と過ごしたあの日々を。
あれから、色んな霊と関わったけれど。茜以上に強烈な印象を残す霊はいなかった。
『花ちゃん、大好き』
未だ耳に残るその声を思い出す度、私はそっと微笑み私もよ、と返すのだった。
fin
霊感少女と地縛霊。 由希 @yukikairi
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