第54話 俺は君と


 神崎のことを永田に任せた俺は、特別棟から自分の教室に向かう。

 帰りのホームルームが終わってから既に三十分ほど経っており、すれ違う生徒たちはこれから訪れる夏休みに心を躍らせている様子だ。

 靴を履き替え、自分の教室へと戻るとそこにはいつもの面子がそろっていた。


「お疲れ、文月」

「古橋、上手くいったか?」


 博之と加藤君が俺に詰め寄ってくる。

「まぁ俺ができることはした。あとは、あいつら次第ってとこだ……てか、暑いから近づくな」

 この二人には永田へ今日の作戦の説明と協力要請を行ってもらった。

 だから、当然事の顛末を聞く権利はあるのだが、今は七月下旬。季節を考えてくれ、暑い。

 俺はそんな二人を適当にあしらって、女子たちの方に声を掛ける。

 

「大丈夫か?」

「……ちょっと疲れちゃったかも」

「そっか。お疲れ」


 汐見はぐでっと机に身を任せてそう答えた。

 今まで自分を貶めようとしてきた相手と言い合いをしたのだ。

 疲れるに違いない。そのため、飯沢と仲町を汐見がいる教室の声が聞こえるよう、外に待機させていた。


「てか、楓めっちゃ怖かったんだけど、あれは古橋が指示したの?」

「俺はただ、神崎を煽ってくれとしか言ってない。あれが汐見の本性だ」

「えぇ~じゃあ今まで楓は猫被ってたんだ?」

 仲町の質問に俺が答えると、飯沢が面白がって汐見をからかう。

 女子特有のじゃれあいをはじめた三人から離れ、博之と加藤君の方へと戻る。


「あっちに混ざらなくてよかったの?」

「バカか。お前が混ざってこい」

 博之が俺をいじるが、それに応えられるほど余裕がない。

 人を傷つけたんだ。あまり気分は、良くない。

「彼女持ちだからパス。加藤が行くってのは、どう?」

「いやいや、むりむりむり!?」

 こいつら、いつの間にこんなに仲良くなったのか。

 まぁ勝手に仲良くなってくれるのはこっちとしては助かるが。

 男特有の馬鹿な話をしてる横で、俺は一人考える。


 自分のために、誰かを傷つける。

 それは四月の一件でもやったことだ。

 けれど、今回はこいつらを巻き込んでしまった。

 

 本来ならば、背負わなくてもいい重荷をこいつらにも背負わせた。

 そのことがただ、苦しい。

 誰かの手を汚して、目的を達成する。

 神崎もきっとこんな気持ちだったのだろうか。

 そう思うと、苦笑を浮かべてしまう。

 

(流石、神崎といったところか) 

 俺にはこんなやり方を続けていくことはできない。

 こっちの方が心が壊れてしまいそうだ。


 そんな俺の気持ちよりも、心配なのは汐見だ。

 彼女に負担をかけたことに違いない。

 ただ、話し合うだけと言っても相手は自分に敵意を向けてきた人だ。

 そんな相手に怯えずに、予想を超える働きをしてくれた。

 俺はぼーっと彼女の様子を伺う。

 飯沢と仲町と楽しそうに笑いながら話しているため、そこまで心的ストレスは無かったようにも思えるが、あとで確認しておかなければ。


「……」

「……」

「……なんだよ」

 博之と加藤君はニヤニヤしながら俺を見ていた。

 人が一生懸命考え事をしているというのに、なんだその表情は。

「いや、なぁ……?」

「いや、ねぇ……?」

 二人して、似たような反応をする。

 そして、女子たちのほうを見ると、飯沢と仲町が二人と似た表情を浮かべて、こちらに近づいてきた。

「私達お邪魔なんじゃない?」

「まぁ、今日は古橋に任せようか」 

「はぁ? 何言って――」

「そうだな。帰ろう」

「俺も彼女迎えに行ってくるわ」


 そう言って、四人は教室を出て行ってしまい、俺と汐見が教室に取り残された。

「……」

「……」

 沈黙。

 俺と汐見はチラチラをお互いの様子を伺いながらも、口を開かなかった。


 ここ最近、他の人がいるところでは会話をしてきたが、二人きりでは一ヶ月くらい会話をしていない。そもそも俺は汐見のことを避けていたのだ。

 先日、父親の書斎に置いてあったいくつものお見合い写真。

 きっとそう遠くないうちに俺の縁談相手が決定する。

 そのとき、これ以上彼女の傍にいれば、傷つけてしまうかもしれない。


(……なんでこんなところだけ鈍感じゃないのか)

 俺はつい、天を仰いで息を勢い良く吐き出す。


 汐見は俺のことを憎からず想っている。


 いつからかは分からないが、最近の彼女を見ていると流石に俺でも分かった。

 だからこそ、彼女を遠ざけたのに。


「汐見」

「なに?」

「一緒に帰るか」


 なのに、この気持ちは止まってくれない。

 彼女を想うなら、突き放すべきなのに。もう少しだけ、あと少しだけ。

 俺の中でそんな気持ちが大きくなっていく。

(いつまでだろう。けれど、今だけは。今日だけでも)


「うん!」


 汐見は先程までの不安げな表情など、微塵も感じさせない笑顔で頷いた。

 そんな笑顔に一ヶ月前の俺の決意は更に揺らいでいく。


 せめて、彼女にだけは全てを伝えるべきか。

 全部伝えて、二人で逃げ出してしまおうか。


 そんな子供じみた考えが脳裏をかすめ、思わず吹き出してしまう。

「ん? どうしたの?」

 汐見は不思議そうに俺の顔を見る。

「いや、何でも無い。行くか」

 そう言って、俺が教室を出ると、汐見は俺の隣に並んだ。

 そして、学校を出て、汐見の家へと向かう。


「ねぇ、ちょっと寄っていい?」

 帰宅途中、汐見に制服の裾を引っ張られ、彼女が指さす先は公園だった。


「はいこれ」

「……ありがと」

 近くの自動販売機で飲み物を買って、俺たちは公園のベンチに腰掛けた。

 公園には俺たち以外に人はいなく、環境音がやけにうるさく感じる。


「で、なんか話でもあるのか?」

 中々話を切り出さない汐見に変わって、俺が直接質問する。

 時刻は午後二時前。

 そろそろ、暑くなってくる時間だし、昼食を食べてないのでおなかも減った。


「あのさ、古橋君は嫌なやつだよね」

「おい、悪口か? 帰るぞ」

「違う違う! 良い意味で! 良い意味で嫌なやつってこと!」

 俺がベンチから腰を上げると、汐見が大きな声で弁明してきた。

「……で、どういう意味で?」

 もう一度ベンチに腰を下ろして、汐見に問いかける。


「その、今まで私に色々あったでしょ? なのに、全部古橋君は裏でコソコソ動いたり、変なこと言ったりして全部解決してくれた。私の問題なのに私に背負わしてくれないなんて、嫌なやつじゃない?」

 確かに、それは良い意味で悪いやつかもしれない。

 俺が返答に困っている間も汐見は話し続ける。


「これまで、いっぱいあった。最初は文化祭の売り上げが盗まれたりして、千弦が犯人扱いされたっけ。私、最初は千弦のことが好きだからあんなことしたんだって思ってたんだよ?」

「あの当時、話したことすら無かったよ」

 そう、あのときキミの周りの人と話したことは無かった。

 話したことがあったのは、キミだけだった。


「家に帰ったら、弟が私と同じクラスの古橋って人に案内して貰ったって言うから、余計に古橋君が分からなくなった。それから、進級しても同じクラスで、今回は委員会まで一緒だったから、ちゃんと話したかった」

「あのときの俺、汐見にめっちゃ怯えてたからな」

 俺がそんな軽口を叩くと、汐見に肩をぺしりと叩かれた。

 そして、互いに顔を見合わせて笑いあう。


「それで、私が変な男子たちに絡まれて、危険な目にもあった」

「……」

 それは、彼女の心の傷になっていると思っていたが、汐見楓にとってそれはもう過去の話らしい。


「そして、古橋君が傷ついた」

「べつに、傷ついてないけど」

 俺はそんなに柔じゃない。そう反論するも、古橋君が気づいてないだけで、傷ついたんだよ?と汐見に諭され、おとなしく黙る。

 とりあえず、彼女が何を言いたいのか分からないので続きを聞く。


「私は無力だって古橋君に言われた気がした。だから、今回は嬉しかった」

「……うれしい?」

 誰かを傷つけるのが、うれしいのか?


「古橋君に頼られたことが嬉しかった。古橋君の力になれることが嬉しかった。古橋君の横に並べたんだって嬉しかった」

「ちょっとしお――」

 まずい。次に来る「その言葉」は、きっと俺に贈られるべき言葉じゃない。


 俺は汐見のことが好きだ。

 だから、これまでも彼女を救いたくて手を伸ばし続けた。

 けれど、それはここまで。

 彼女を神崎の手からは救った。友達になった。

 ここが、限界地点だ。

 これ以上は俺からも手を伸ばせないし、彼女の手も取れない。

 彼女の事を想うからこそ、俺はもう進めない。


「だからね、これからも私を隣に――」


「汐見!」


「な、なに……?」

 俺が汐見に怒鳴り声をぶつけると、彼女は肩をびくりと震わせ、言葉を紡ぐのをやめた。


――ピロン


 たった一秒。その沈黙の隙に、電子音が俺たちの間で鳴った。

 その音の正体は俺のスマホであった。

 そして、スマホの通知を確認する。


「悪い。急用が入った」

「えっ……」


 俺はベンチから腰を上げ、駆け足で公園を出た。

 この時の俺は、まるで汐見から逃げるようだった。



第二章 終

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俺の全部で君と恋したい。 浅野 蛍 @Asanohotaru

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