第53話 決着

 一学期の終業式が終わった。

 本当なら、これから来る夏休みに心を踊らせ、浮ついた気持ちになるだろう。

 しかし、俺たちはどことなく緊張感を漂わせていた。

 これから神崎と特別棟で対峙するからだ。

 昨日、神崎にLEENでメッセージを送ったところ、俺と会うことをすんなりと了承してくれた。

 そこに、彼女のどんな思惑があるのか。

 彼女の対応に不安になりながらも、俺たちは彼女と話し合わなければならない。

 俺たちのためにも、彼女のためにも。


「――っと」


 終業式も終わり、通知表も返されたところで、俺は荷物を教室に残したまま席を立つ。

 そして、スマホを触りながら特別棟へと向かった。

 

***


 俺が特別棟についてから十分ほど経っただろうか。

 廊下から足音が聞こえてきた。

 どうにか、うまくいってくれ。

 そう願っている内に、教室のドアが開かれた。


「――待ってたよ、神崎さん」

「なんで、アンタが……っ」


 開かれたのは、隣の教室の扉だ。

 俺のいる教室では無い。

 そして、その教室には汐見がいた。


***


 二週間前。

「今回、作戦とかは一切無い」

 俺がそう言うと、汐見以外の顔に疑問符が浮かんでいた。

「おい、真面目に考えろ」

 博之が俺の横から遠慮無しで突っ込んでくる。


「冗談とかじゃ無く、今回は話し合うだけだ。きっとそれで上手くいく」


 俺が真面目に解決策を言うと、汐見だけが俺を見て笑顔になった。

 

 そう、このメンバーの中で彼女だけは知っている。

 俺が嫌われ者になることで解決するだけじゃない。

 言葉一つで彼女の心に鍼を刺したことを。

 結果として、嫌われ者になりかけたが。


「神崎は今なにをやっても上手くいっていない。当事者としても、そうだろ?」

「……うん。変な噂はあるけど、前みたいに何かされたとかは無いかな」

「だから、今神崎と話し合って現実を突きつけてやるんだ。当事者の汐見が、”私は平気”と言うだけで神崎は多分崩れる」


 言葉は、誰が使っても凶器になる。

 ただ、今回は汐見が使うことで、より鋭さが増す。


「でも、本当に話し合いなんかが上手くいくわけ?」

 飯沢から質問が飛んでくる。

 本当にそれで神崎の心を折れるのか、もし折れても逆恨み等ないのか。

 当然の疑問だ。


「そう、だな。きっと上手くいかない可能性の方が高い。もし本当に神崎の行いを止めたいなら、神崎と話して心をボロボロにして、さらに晒し者に仕立て上げるくらいしないとダメだ」

 かつて汐見に同じ事をしようとしたのだから、自分が被害者になってみないと分からないだろう。


「だったら――」

「でも、それだと誰も救えないし誰も救われない。残るのはエゴだけだ」

 飯沢の言葉を制して、俺は自分の言葉で伝える。


 四月の一件。

 俺は、俺のエゴのため動いた。

 そして博之に怒られ、中島先生に諭され、汐見に謝らせた。

 その経験があったから、俺はここにいられる。

 

「汐見」

「なに?」


 俺は汐見をきちんと目で捉える。

(ああ、彼女と目を合わせたのは久しぶりかもしれない)

 直に俺の縁談が来ることは、分かってる。

 だから、彼女から少しずつ距離を取った。

 けれど、ただ目が合うだけでも俺の心はこんなにも揺れ動いてしまう。


「汐見には、難しいかもしれない」

「なにそれ。煽ってる?」

「汐見が傷つくことになるかもしれない」

「うん」

「けど、汐見が自分でケリをつけなきゃいけない」

「分かってる」


 俺たちは、分り合ってる。

 たった三ヶ月。

 過ごした時間は短いけれど、彼女は俺の言わんとしていることを分かっている。

 だから――


「私、やるよ? 神崎さんにやられっぱなしってのも面白くないからね」


***


View Change


 早まる鼓動を落ちつかせるように右手の握りこぶしを胸に当てる。

 そして、一息ついてから口を開いた。


「なんでって、私が神崎さんと話したかったから呼び出して貰ったの」

「……話って何かな?」


 さっきまでの動揺は何処に行ったのか。

 神崎さんはすぐに笑顔を私に向けてきた。

 だから、私も精一杯の笑顔で彼女に告げてやろう。


「私、神崎さんに感謝しなきゃいけないことがあるから」

「感謝?」


 そう、感謝だ。

 神崎さんに対して、ムカつく気持ちはもちろんある。

 だけど、感謝してるのはホント。

 それを如何に彼女に突きつけるか。

 私は満面の笑みを作り、彼女に言った。


「私と古橋くんの仲を深める出来事をたくさん作ってくれて、ありがとう」


「なんのこと? 私分かんないんだけど……」


 私の感謝に表情一つ変えず、神崎さんはちょっとだけ困ったような表情を作った。


「えー、例えば変な噂流してくれたり、気持ち悪い男子を私のとこに送り込んでくれたり?」

「そんなことした記憶は無いんだけど……」

「あとは、私の友達を悪人に仕立て上げて私を孤立させようとしてくれたこと。その後に彼氏まで宛がってくれるつもりだったんだよね?」


 私は笑顔のまま、彼女を冷たく見つめる。

 聡明な彼女の事だ。

 誰かが私に「共犯者しか知り得ない事実」を流しているのと気づくだろう。

 そして、彼女の顔から笑顔が消え、私は第一関門を突破した。


「なんで知ってんの」


 神崎さんは先程までの柔らかい言葉遣いではなく、酷く冷たい声色で私に問いかける。


「なんでって、そんなの分かるでしょ?」


 私は彼女をひたすらに煽る。

 それが古橋くんに頼まれたことだから。


「分かんないから聞いてんだけど」

「学年一の秀才の神崎さんでも、知らないんだ?」

「なにが」


 ――私の彼が優秀すぎるってこと。


「……っ。古橋なんかが優秀なわけない」

「そう? いつだって彼が貴女のお粗末な策を潰してたと思うんだけど?」


 煽る。

 とにかく、煽る。

 私ができることはそれだけ。

「なに。彼氏自慢? それなら他所でやってくれる?」

「べつに自慢じゃないよ? それより私は神崎さんの彼氏自慢が聞きたいなー」

「うるさい。別に彼氏とかどうでも良いし。というかアンタだって何もできてないくせに」

 神崎さんはかなり頭に血が上っている。それに対して、私は凄く冷静な気がする。


(どっかの誰かさんのがうつったのかな)


 そんなことを思うと、ふと笑みがこぼれてしまう。

「なに、何がそんなに可笑しいの!?」

「だって、貴女。本当に男を見る目がないんだなって思って」

「……っ」

 神崎さんが言葉に詰まった。

 古橋くんの言ったとおり。なら、あと少し。

「神崎さんの周りには居なかったの? 手を伸ばしてくれる人、貴女を助けようとしてくれる人。いたけど、貴女が勝手に切り落としてきたんじゃないの?」

「うるさい」

「いたよね? それもとっても身近に」

「……さい」

「でも、その人より都合よく使われる道を選んだんだよね?」

「……」


 神崎さんは俯いたまま、何も言わなくなってしまった。

 多分、心が折れたのだろう。いや、私が折ったんだ。

 そう思うと、途端に背筋が凍る。

 ここまで計算できていた古橋くんと、実行できてしまった私自身に。

 

「……もう、私達に突っかかってこないで」

 私は床に蹲った神崎さんに冷たく言い残して、教室を出た。


***


View Change


「なぁ神崎。惨めだな」

 汐見さんと入れ替わりに、彼女の彼氏様が私の元にやってきた。

「……なに。アレはアンタの入れ知恵ってわけ?」

 私は、今アンタと話したくない。けど、コイツにも舐められるのは癪だと思い、つい突っかかってしまう。

「あれは、お前に対する汐見の怒りだよ。一歩間違えれば犯罪者になってたんだから当たり前だ」

「……なに、私に追い打ちでもしに来た?」

 だとしたら、相当人をいたぶるのが好きなカップルだ。


「バカか。俺は俺のけじめをつけただけだ」

 古橋はそう言って、教室を出て行った。そして、入れ替わりで別の人が私の前に現われた。

 けれど、それが誰なのか今の私にはどうでも良かった。彼女と話して気づいてしまったから。

 付き合うとか付き合わないとか、どうでもいい。

 それ以前に大切にしなきゃいけなかった人がいたことを思い出してしまったから。あいつは、私がどんなことを言っても私から離れなかった。

 けれど、それはあいつが私に惚れていたから。その気持ちを利用し続けた。


 あいつに手を汚させた。汚させ続けた。

 そんな、私の手もきっと汚れている。手だけじゃない。あの人に心も身体も捧げて、抜け出せなくなって、私一人で勝手に自分自身を全部汚してしまった。


 だから、もうあいつは。

 そう思ったとき、私の手が優しく包まれた。


「――忠司」 

「……僕が、悪かったんだ。ずっとこの手を取れなかった臆病な僕が」

 忠司が悪い?ちがう。

 私が悪かったのに。あんたの気持ちを利用して、あんたが兄に逆らえないことを良いことに私が都合よく使ったのに。

「きもい。さわるな」

 だから私の手を離してよ。

 私なんか忘れてよ。

「いやだ。もう、離してやるものか」

 そう力強く言い放つ声に、私は思わず顔を上げてしまった。

「――忠司、顔に……」

 頬に大きな絆創膏を貼って、目の上辺りには青あざだってある。

「兄さんと話してきた。奏は貰うって」

 そう言って、笑う忠司は憑き物が取れたような屈託のない表情を浮かべていた。

 だから、私もちゃんと笑って。

「ばかね。私の承諾も得ないで……あれ?」

 目から涙が溢れてくる。

 これは、何なのか。別に悲しい訳じゃない。

 私は嬉しいのに、苦しくて、でもやっぱり嬉しくて。

 笑いたいのに、涙が止まらなくて。


「いいよ。いいんだよ、もう」

 そう言って、忠司が抱きしめてくる。


 ばかね。それじゃ涙が止まらないじゃない。


 


 

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