第28話 ペチカ

「寒い!」

「寒い!」

「寒い!」


 三人は急いで靴を脱いだ。外は気温が低い上に雨が降っている。爪先が冷えて仕方がなかったのだ。

 玄関ホールを駆け抜けて、ダイニングのドアを開けてリビングに転がり込む。

 リビングにはエアコンの暖房が入っている。ホットカーペットもついていて足先の冷えも取れる。何より、ハロゲンヒーターがある。

 神那がヒーターの電源を入れると、双子がヒーターの前に並んで座って手をかざした。


「生き返るー」


「おかえりなさい」


 キッチンで作業をしていた神那の母が顔を出し、三人の顔を順繰りに眺めてから微笑んだ。


「今日は寒かったでしょう。クリームシチューにしたからね。双子もいっぱいおかわりしてちょうだい」

「やったー!」


 本日双子の両親は仕事の都合で揃って東京だ。さすがに双子ももう高校生で留守番できないわけではないのだが、夫妻は念のため神那の母親に双子の監督を依頼して出掛けた。ひとのいい神那の母親は双子に餌付けもとい食事の提供を申し出た。


 双子の両親は自由業で生活が不規則だ。二人とも徹夜で仕事をすることもざらであり、普段は何時に起きて何時に寝ているのか分からない。一応高校生の息子がいるので夫妻が交代で食事を用意したり洗濯をしたりはしているようだが、百パーセント手が回っているとは言いがたい。


 対する神那の両親は、父親は電車通勤の会社員で土日祝日休み、母親はフルタイムパートの事務員でやはり平日五日きっちり定時だ。特に母の方は、平日は必ず神那を送り出した後の午前八時に家を出て、午後五時半に帰宅し、部活があれば七時頃に帰宅する神那のために六時から夕飯を作る。規則正しい、神那自身も真面目だと思うくらいの生活リズムの家庭だ。


 どちらの家も昔からずっとこうだったので、何の疑問も抱いたことはなかった。


 神那の母親が娘と隣家の息子たちのためにシチューを煮る。ミルククリームの甘い香りが部屋中に漂う。


「あなたたち、ヒーターの前で三人、団子になって。本当に仲良しね」


 歌う声は優しい。


「雪の降る夜は、楽しいペチカ。ペチカ燃えろよ、お話しましょ」


 双子が顔を上げて神那の母の顔を見た。


「昔々よ、燃えろよペチカ」

「それ、何ですか?」

「知らない? ペチカ」


 神那はよく知っている歌だった。ペチカなるロシアの薪ストーブのことを歌った唱歌だ。ペチカの前に家族が集って団欒をする――冬の北国の光景が浮かぶ。


 双子が二人とも揃ってポケットからスマホを取り出しグーグル検索にペチカと入力した。


「え、日本の歌?」

「そうよ。具体的には満洲みたいだけどね。私も昔ペチカが何か分からなくて調べたことがあるの」

「おばさん、童謡とか、詳しいですよね」

「そうかしら? NHK教育――今はEテレだったわね、みんなのうただか何だかでよく流れていたのよ。神那にも、神那のお兄ちゃんにも、神那のお姉ちゃんにも歌ってたの」


 双子が「そっかあ」と息を吐いた。


「神那ちゃんが歌が好きなのはお母さんの影響なんだね」


 そう言われて、初めて気がついた。

 神那の世界にはいつもいつでも歌がある。

 それは当たり前のことではなく、神那の母が、神那が生まれてからの十七年――正確には神那の一番上の姉が生まれた二十五年前から――築き上げてきたものなのだ。


 現代日本の、それも太平洋側に開けて冬は晴れた日の多い土地に住んでいる神那たちに、ペチカは縁がない。

 歌の中にしかないはずのペチカの存在が、目の前のハロゲンヒーターに重なる。


「はい、どうぞ。召し上がれ」


 キッチンからクリームシチューが出てきた。三人は急いでヒーターから離れてダイニングテーブルについた。


「いただきます!」






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